ご期待の反論ではないですが仏教という宗教を個人救済なのか集団救済の宗教なのかと考えた場合、私の知っている限り個人救済の宗教という判断が圧倒的に多いのは事実です。大乗仏教は大きな乗り物でみんなで救済を得よう、また宗派によってはそれが可能であるとしております。釈迦の始めた原始仏教は出家主義それこそ「個々」が解脱の為の努力をしなければならなかった。出家自体恵まれたものしかできないし、インドという風土もそれに適していたのかもしれない。
集団救済の宗教として儒教と古代ユダヤ教が挙げられるが儒教の場合統治者に徳がないと駄目とか古代ユダヤ教の場合戒律(神との契約)を破ってはいけないとかで仏教の大乗の集団救済と私は異質なものであると思う。特に日本へ入った仏教は戒律がないに等しく南無○○○○と唱えると救済へ近づくというものであるからだ。
個別の宗派に対して言及したくはないのですが、結婚できる・南無○○○○と唱えると西方浄土に生まれ変わるというような宗派が日本にはありますが海外の評価ではこれは仏教の枠組みから逸脱しているという評価を得ている宗派もあるようです。
結論として「上座部仏教」や「戒律」を「個々」に大切にとらえ解脱へ向かって努力を「個々」にするのが仏教本来の姿かなと思っております。
お礼
momochan_0110様、ご回答ありがとうございます。 >「ご期待の反論ではないですが」 はい。 >「仏教という宗教を個人救済なのか集団救済の宗教なのかと考えた場合、私の知っている限り個人救済の宗教という判断が圧倒的に多いのは事実です。 大乗仏教は大きな乗り物でみんなで救済を得よう、また宗派によってはそれが可能であるとしております。 釈迦の始めた原始仏教は出家主義それこそ「個々」が解脱の為の努力をしなければならなかった。出家自体恵まれたものしかできないし、インドという風土もそれに適していたのかもしれない。 集団救済の宗教として儒教と古代ユダヤ教が挙げられるが儒教の場合統治者に徳がないと駄目とか古代ユダヤ教の場合戒律(神との契約)を破ってはいけないとかで仏教の大乗の集団救済と私は異質なものであると思う。特に日本へ入った仏教は戒律がないに等しく南無○○○○と唱えると救済へ近づくというものであるからだ。」 「日本へ入った仏教」については、「とにかく信じなさい」みたいな側面が、あるとか >「個別の宗派に対して言及したくはないのですが、結婚できる・南無○○○○と唱えると西方浄土に生まれ変わるというような宗派が日本にはありますが海外の評価ではこれは仏教の枠組みから逸脱しているという評価を得ている宗派もあるようです。」 それは、まあ、いろいろでしょうか。 他者の人権を侵害しない限りにおいて、信教の自由です。 >「結論として「上座部仏教」や「戒律」を「個々」に大切にとらえ解脱へ向かって努力を「個々」にするのが仏教本来の姿かなと思っております。」 そうですか。 私としては、(そうした)「トラワレ」からの自由、ということかと思っています。