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宣教師たちの言う「Vo」について

日本史に詳しい方に質問です。 かつて日本に来たイエズス会の宣教師は、天皇のことを「Vo(オー)」と書き表したそうです。 この表記の由来を知っておられる方はいますか? 私がネットで調べた限りでは、「皇(おう)」と「王(おう)」の2つの説がありました。個人的には後者が正しいように思います。熟語の要素としてでなく単独で「皇」と書いて「おう」と読ませ、それで天皇を指し示す習慣が昔の日本にあったなど、聞いたことも無いからです。それとも、「皇」という語がそのように使われることは普通に(「王(おう)」で天皇を指し示す以上の頻度で)あったのでしょうか? 詳しい方、お答えください。

みんなの回答

  • kifimi
  • ベストアンサー率72% (425/586)
回答No.6

『日本国語大辞典』(第二版)の「おう」(王)の項目に、「天皇」を意味する用例がありました。 そのうち、『太平記』巻第二十六「妙吉侍者事」に「都ニ王ト云人ノマシマシテ、若干ノ所領ヲフサゲ、内裏・院ノ御所ト云所ノ有テ」(日本古典文学大系『太平記』三より)という用例があります。ここで「王」と書かれているのは、天皇のことです。 他にも『看門御記』応永32年9月13日に「王と御所とのしつづきぞなき」という記述があり、ここの「王」も天皇を意味しています。 他にも15世紀頃の同様の例がいくつか挙げられており、中世の日本において「王」と書いて天皇を意味することがあったことになります。 『太平記』はキリシタン版も存在するほどにキリシタンが文章規範の一つとした作品なので、キリシタンが知らなかったということはありません。むしろ、参照していたでしょう。 歴史研究者がキリシタンのVǒをなぜ「皇」と宛てたのかは知りませんが、キリシタンの文献で、漢字にルビが振られていて読みが確定できるのはごく少数です。ほとんどは欧文の文脈の中にローマ字書きの日本語がある状態で、これを翻訳する際に訳者が漢字を宛てています。 国語学の専門家が訳したわけではないので、日本語の表記の観点から見るとちょっと不自然な宛て方をしている例もあるかもしれません。

  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.5

松田毅一著「南蛮史料の発見」によると1577年来日した、 ポルトガル人、ジョアン ロドリゲスーツヅ(日本教会史の著者) は「皇居といえば1565年の火災と掠奪から残ったものは、… それもすでに破壊されていた。皇の部屋まで入るのを取り締まる べき門番さえいなかった」と記している。 ここで「皇」は「おう」と読み天皇を意味すると解釈されます。 私が見た皇の一字を「おう」と読み天皇を示した例はこれ一つです。 現在では例外とされるこの使い方をした理由は当時の日本人の中に 「皇(おう)」の使い方をする人がいた。 またはこれは訳文であり、著者が何等かの根拠からこう書いた。 欧州人が天皇を「おう」とみるのはロドリゲスーツヅの前任の シャヴィエルが「 … 国民はもうずいぶん以前から国王に従わなく なっている … 」と書いていることから判り、「おう」の漢字を たずねられた日本人が天皇のことなので「皇」を教えたという所で しょうか。

  • kifimi
  • ベストアンサー率72% (425/586)
回答No.4

何かのヒントになるかどうかは分かりませんが、キリシタンが出版した漢和辞典『落葉集』には、「王」の字に音「わう」と訓「きみ」、「皇」の字に音「くはう」と訓「すべらぎ」があります。この辞書にある音訓がすべてではないかもしれませんが、キリシタンにとっても一般的にVǒと読むのは「皇」よりは「王」であったのではないでしょうか。 日本人のほうで、単独の「皇」表記でオウと読み、それで天皇を意味した例がないのであれば、キリシタンがわざわざそんな新しい語彙を作ったとは考えにくいです。だって、当の日本人に通じませんから。 称号としては「皇」と「王」は区別されるべきなのでしょうが、一般的な語彙としては、そこまで漢字を使い分ける意識があったかどうか……?ということでは。

DailyGot
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 おお!『落葉集』などという、キリシタンが書いた漢和辞典が存在するのですね。知りませんでした。ご紹介に感謝いたします。 なるほど、やはり「Vo」の由来は「王(わう)」である可能性が高いですね。 >称号としては「皇」と「王」は区別されるべきなのでしょうが、一般的な語彙としては、そこまで漢字を使い分ける意識があったかどうか……?ということでは 同意します。 ありがとうございました。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.3

 #1です。捕足です。 >>>王より上で帝とも違う漢字を探した可能性はありますが うーん、(後略)  僕の説明不足でした。「帝」が導入されたのは秦(紀元前3世紀)ですから、日本に漢字が来る来る前です。  日本で首長をさす文字を色々考える際に「王より上で帝とも違う漢字を探した可能性はあります」と言ったので、『古事記に』スメラミコトに当たる漢語として「天皇」の漢字が選ばれた経緯にはそんな考慮もあったのでは、と考えただけです。  別にキリシタンに直接聞いた訳ではありませんので憶測ですが、「便所をさす言葉について」という研究のようなもので、外国に来て宣教に当たるものには縁の薄い語彙だったと思います。  「何天皇の時代か不明だが」と漢語を並べないで「いづれのおほんときにか」とぼかす伝統、今でも「お上」などと婉曲表現でそのものズバリを避ける慣習は見逃せないと思います。  言わない言葉の歴史って難しそうですね。

DailyGot
質問者

お礼

度々の回答、ありがとうございます。 ああ、なるほど。『王より上で帝とも違う漢字を探した』の主語は、「古事記が書かれたくらいの頃の日本人たち」だったのですね。恥ずかしながら、全く気付けませんでした。申し訳ありません。 確かに、古い日本語は奥が深いですよね。 有益な情報を色々と教えてくださり、ありがとうございました。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.2

 #1です。捕足です。 >>どういう意味で「ごもっとも」なのかよく分かりませんでしたが、  「私がネットで調べた限りでは、「皇(おう)」と「王(おう)」の2つの説がありました。個人的には後者が正しいように思います。」のご意見に賛成しますと言う意味です。では。

DailyGot
質問者

お礼

再度の回答、ありがとうございます。 あなたのおっしゃった『ごもっともです』と、その後に続く『「王」は、中国で「帝」の制度が採用されて以来、その下に位するとされたので、帝の子供を指す時などに使われています』とのつながりがよく分からなかったので、私は『よく分かりませんでしたが』と書きました。 結局あなたのおっしゃりたかった事は、『「王」という言葉は帝の子供を指す時などに使われるから、天皇を指すのには使われないと思われがちだけど、DailyGotの言うとおり、「王」は天皇を指すのにも使われる言葉。そしてそれが「Vo」という言葉の由来となったという考えにも賛成だ』という事だったわけですね。 納得できました。ありがとうございました。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.1

1. かつて日本に来たイエズス会の宣教師は、天皇のことを「Vo(オー)」と書き表したそうです。この表記の由来を知っておられる方はいますか? ロドリゲスの『日葡辞書』にはオ段の開合(下記)が書いてありますから Vǒ と書いてあって、当時の発音は [wɔ́ː] であったものと思います。  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8B%E5%90%88 2。私がネットで調べた限りでは、「皇(おう)」と「王(おう)」の2つの説がありました。個人的には後者が正しいように思います。  おっしゃるとおり、「王」の漢字音は、歴史的仮名遣いでは「ワウ」です。 3。熟語の要素としてでなく単独で「皇」と書いて「おう」と読ませ、それで天皇を指し示す習慣が昔の日本にあったなど、聞いたことも無いからです。  ごもっともです。「王」は、中国で「帝」の制度が採用されて以来、その下に位するとされたので、帝の子供を指す時などに使われています。 3。それとも、「皇」という語がそのように使われることは普通に(「王(おう)」で天皇を指し示す以上の頻度で)あったのでしょうか?  それは分かりません。王より上で帝とも違う漢字を探した可能性はありますが、ポルトガル人から見れば日本の天皇は世襲制の君主で rei みたいなものだから Vǒ にした可能性もあると思います。

DailyGot
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >ごもっともです。「王」は、中国で「帝」の制度が採用されて以来、その下に位するとされたので、帝の子供を指す時などに使われています どういう意味で「ごもっとも」なのかよく分かりませんでしたが、「王(おう)」で天皇を指すことは無かったという事でしょうか? http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/34540/20/Honbun-4902_17.pdf←しかしここには、当時の日本語史料に出て来る「王」は、ほとんど天皇を指すと書いてありますけど。 >王より上で帝とも違う漢字を探した可能性はありますが うーん、個人的には、宣教師が漢字を必死に勉強してそんな事をしたとは信じられないです。当時の日本人が天皇の事を「わう」と言ってないのに、宣教師たちが「ふむ。“皇”という漢字があるらしいぞ。これこそ、“京におられる一番偉い人”を指すのにピッタリの言葉だ。えーと、この漢字の発音は…“わう”、ほう、“Vo”というのか。じゃ、これでいこう」と考え天皇を「Vo」と呼んだなんて。 私には、宣教師たちが普通に、当時の日本人が話し言葉で言っていた「わう」を音訳して「Vo」と記したのではないかと思われるんですよね。で、日本人たちが天皇を「わう」と呼んでいたのなら、それは当時の書き言葉ではどの漢字に当たるのかな…と私は思ったわけです。 >ポルトガル人から見れば日本の天皇は世襲制の君主で rei みたいなものだから Vǒ にした可能性もあると思います つまり、宣教師たちが「“京におられる一番偉い人”は、世襲制の君主で rei みたいなものだ。えーと、日本語でreiに当たる言葉は…ふむ、王(わう≒Vo)か。まあ、日本人たちは“京におられる一番偉い人”を王(わう)と言わないみたいだけど、私たちはこれでいこう」と考えたということでしょうか。 宣教師たちが単に「reiのようなもの」ということで天皇をVo(王)と呼んだのなら、足利将軍や大名が全くVoと呼ばれなかったのはおかしいと思います。http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/34540/20/Honbun-4902_17.pdfに書いてあるように、reiは天皇だけでなく、足利将軍や大名を指すのにも使われています。しかし、Voと呼ばれるのは天皇だけです。 また、上にも書きましたが、やはり私としては、宣教師たちが日本における天皇の呼称を無視して独自に「王より上で帝とも違う漢字」とか「reiにあたる日本語」とかを調べ、それで天皇を呼んだとは思えないわけです。日本における天皇の呼称を無視するにしても、それならそもそもポルトガル語でemperador(皇帝)とか、あるいはさっき出て来たreiという言葉で表現するのではないでしょうか(実際、文献によってはそう表現されていますし)。わざわざ自分たちで漢字や日本語を勉強し、日本には無い新しい“漢字・日本語の用法”を作り出す意味があるでしょうか。 ということで私は、「当時の日本人たちがほぼ天皇だけを指して用いる“わう”という言葉があり、それを宣教師たちが音訳してVoと言った」と考えます。 「開合」のページは面白かったです。ありがとうございました。

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