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相対
二人居れば、相対でしょう。
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一人でも相対。 「一人」と意識できる客観性は、環境との 相対性において得られる。 本当に宇宙に独りだけであれば、認識する 対象もないので意識も生じない。 意識の発生そのものが相対化である。
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誰も相対と判定する者がなければ 相対という概念が意味をなすのか という議論を考察してみた。 人は自己中心的(絶対的)な認識の 元に生きているが、他者が一人でも いれば、自己と他者両方を同時に 客観的に視ることが出来る。この俯瞰的 視点は、間違いなく相対である。 だが、二人とも意識がなくただそこに 二つの肉体が存在するだけの状態で あったとしたら。 その二つは二つで一つの絶対的な存在か、 あるいは相互に関わり合う相対的な存在か、 判定する第三者が必要ではないか。 すると合計で三人となる。 前述の自己による俯瞰的視点は、認識により もう一人の人間を作り出すものであり、 結局、擬似的な第三者あるいは物理的な第三者 の介入がなければ、相対という概念は 成立しないように思える。 二人なら相対。 常にそう言えるわけではないようだ。
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nolaneco様、ありがとうございます。 >「だが、二人とも意識がなくただそこに 二つの肉体が存在するだけの状態で あったとしたら。 その二つは二つで一つの絶対的な存在か、 あるいは相互に関わり合う相対的な存在か、 判定する第三者が必要ではないか。 すると合計で三人となる。」 まあ、なるほど、それで。 >「前述の自己による俯瞰的視点は、認識により もう一人の人間を作り出すものであり、 結局、擬似的な第三者あるいは物理的な第三者 の介入がなければ、相対という概念は 成立しないように思える。 二人なら相対。 常にそう言えるわけではないようだ。」 !そういうことですか。 つまり、「気付き」が相対に必要ってことで。・・・ さすが哲学スレですね。
- kanto-i
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あい‐たい〔あひ‐〕【相対】 1 当事者どうしがさし向かいで事をなすこと。「―で話をつける」 2 対等であること。対等で事を行うこと。 「―よりも少し自分を卑下したお辞儀をした」〈有島・星座〉 3 合意すること。互いに納得した上であること。 「男と―にて乳母に出でける」〈浮・織留・六〉 4 連歌・俳諧で、前句に相対して同じ趣向で句をつけること。春に秋、山に野でつける類。相対付け。 そう‐たい〔サウ‐〕【相対】 1 向かい合うこと。向き合っていること。また、対立すること。「難題に―する」 2 他との関係の上に存在あるいは成立していること。 goo辞書より ここは哲学カテなので、それにもう一つ。 自己内部では、比較をしなければ相対的にならない。 比較は苦しみも生み出す。 比較している自分に気づくことが大切だったりします。 苦しみを生み出すのは、自己内部ですね。 外を探しても見つかりません。 相対性理論の本が出版された時、ネーミングから 男女関係の本だと思われ、売れなかったらしい(笑) 時代の言葉の印象は世相が反映されて、それもまた良し。 辞書を一読すると、楽しいですよ。 今の辞書と古い辞書も違いがあるので、半世紀以上前の辞書を読むと その時代がちょっと垣間見えたりもします。
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kanto-i様、こんばんは。 >「自己内部では、比較をしなければ相対的にならない。 比較は苦しみも生み出す。 比較している自分に気づくことが大切だったりします。 苦しみを生み出すのは、自己内部ですね。 外を探しても見つかりません。」 なるほど。 苦しみを探そうというつもりでは、なかったのです。 「「あるがまま」を認識する」というか、ですね。 >「相対性理論の本が出版された時、ネーミングから 男女関係の本だと思われ、売れなかったらしい(笑) 時代の言葉の印象は世相が反映されて、それもまた良し。」 「時代の言葉」・・・最近、興味ですねえ。 (「性」の一字で、売れなかったんでしょうか。 そんな時代もあったんですね。) >「辞書を一読すると、楽しいですよ。 今の辞書と古い辞書も違いがあるので、半世紀以上前の辞書を読むと その時代がちょっと垣間見えたりもします。」 そこまでマニアでもありません。 せいぜい、「学生時代に使った」辞書しか、持ってませんよ。 (それすら、満足に使いこなせません)
相対とは絶対の反対。 絶対とは固定的。ニュートン。 相対とは変動的。アインシュタイン。 人は人それぞれの座標系をもつ。 二人いれば二通りの座標系。 二つは決して同一ではない。 ゆえに二人は相対的か。 第三の座標系は不要か。 人は自己の絶対座標系で生きる。 自己の絶対座標系で他者を認識する。 相対という認識。 その時人は何処に立つか。 自己と他者を俯瞰する第三の座標。 そこに立つは第三者としての自意識。 二人いれば相対。 但し以下を要する。 二人を俯瞰する第三の自意識。 ゆえに。 二人共に無意識ならば。 それは相対ではない。
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nolaneco様、こんばんは。 >「その時人は何処に立つか。 自己と他者を俯瞰する第三の座標。 そこに立つは第三者としての自意識。」 それが無ければ、「相対」ではない、ですか。 あれあれ、しかし。 つまり「絶対」なくして「相対」なし、ということですか
お礼
psytex様、ご回答ありがとうございます。 >「一人でも相対。」 もうね、想定の範囲をぶっ飛んだご回答です。笑っちゃうしか、ありません。 >「「一人」と意識できる客観性は、環境との 相対性において得られる。 本当に宇宙に独りだけであれば、認識する 対象もないので意識も生じない。 意識の発生そのものが相対化である。」 「あの時の自分とは、違う」といった話なら。