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赤穂浪士、足の冷たさはただただ我慢したのでしょうか
間もなく国民待望?の忠臣蔵の日がやってきます。 そこで一つ、二つ。 1.討ち入り当日は雪だったといわれています。草鞋に足袋?では、雪が 沁みこんでつらかっただろうと思いますが、ひたすら我慢をしたので しょうか。 2.草鞋というものは結構丈夫だったのでしょうか。数時間闘争を続けた のでしょうが、その間紐が切れるというようなことはなかったのでし ょうか。 3.討ち入り時には鳴り物(太鼓あるいは銅鑼)を使ったのでしょうか。 打ち鳴らせば、周りにすぐ知れてしまうと思うのですが。 4.吉良邸の周囲の屋敷は何の反応も示さなかったのでしょうか。物音な どで気付いたと思うのですが。 5.武器ですが、槍が主で刀は副だったのでしょうか。弓矢は使ったので しょうか。 以上、素朴な疑問です。
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- k16399638
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回答No.3
- DIooggooID
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回答No.1
補足
>2.…足元も草履ではなかった どんなものを履いていたのでしょうね? >4.…みんな寝ていたのでは・・・。 切り結ぶ音、気合い、走り回る音などなどで周囲の屋敷の人たちは 目を覚まさなかったのでしょうかね。 >5.…このような理由から、弓は使いづらかったのでは。 やはり刀が主だったのでしょうか?