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壬申の乱の奈良吉野村窪垣内
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こんにちは NO2で回答した者です。追記を。 『角川 日本地名大辞典29 奈良県』に次のような記述があります。 窪垣内くぼがいと 吉野川と支流高見川の合流点付近に位置する。この付近では吉野川が大きく湾曲して地形が窪状を呈し、地名はこの地形に由来する(吉野町史)。天武天皇にまつわる伝承が多く、白鳳山林泉寺・御霊神社・キリガ谷・大塚古墳などはその伝承地である(県風俗志料/吉野町史)。吉野川右岸の西斜面から石屑が多数出土し、また国栖小学校地内に犬塚古墳があったが、小学校建設時に破壊された(県綜合文化調査報告書)。 窪垣内村 江戸期~明治22年の村名。吉野郡のうち。「慶長郷帳」に窪垣内、寛永2年「大和一国村々高帳」に窪坂村、「寛文郷帳」に窪垣村と見える。 平凡社の日本地名辞典 奈良県には次のような記載があります。 窪垣外村(くぼがいとむら) 「大和志」(*江戸幕府最初の地誌『五畿内志』の中の一部)には「クホカヒチ」と訓じている。 延宝七年(1679)の大和国吉野郡窪垣内村検地移(写)帳 ところで、「垣内(かいと)」ですが、語源は「かきつ」です。「かきつ」は、垣根の中。屋敷の中。かきうち。の意味ですが、万葉集にも、「古きかきつの桜花いまだふふめり」(『広辞苑』引用)と用例があり、派生語として、「垣内田(かきつた)」・「垣内柳(かきつやぎ)が万葉集にあります。この「かきつ」が変化して「かいち」、「かいと」になったとされています。 このように、見てくると、村名としては江戸期からということのようですが、地名としては古くから存在したのではないかと思います。現在は大字のようですが、それほど多い資料ではないのですが、読み方としては「くぼがいと」が現在のものですが、「大和志」にある「クホカヒチ」が古い読み方を記録している可能性があります。ともかく、「おくがいと」という地域・小字については情報がありませんでしたが、「この付近では吉野川が大きく湾曲して地形が窪状を呈し、地名はこの地形に由来する」という記述から、「窪垣内」に、「おくがいと」という小字などは存在しないのではないかと思います。そのように考えると、NHKの放送で「おくがいと」と読んだのは、読み間違いであったのではないかと想像します。 以上、参考まで。
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- fumkum
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こんにちは 面白い話だと思って、検索したら次のようなページがありました。天武天皇に関連して犬の話もありますので、このことだとは思います。 http://convenience.typepad.jp/naze/2011/05/%E7%AA%AA%E5%9E%A3%E5%86%85.html 地名は現在「くぼがいと」と読むようですが、古い時代には「おくがいと」という地名だったのかの知れません。「窪」を「おく」とは読めないので、別の地名・漢字、例えば「奥垣内(垣外)」が古名だったのかも知れません。ただ、単純に読み間違いをしただけなのかも知れません。 以上、単純に検索しただけの結果で申し訳ないのですが、参考まで。
- kamobedanjoh
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「垣内」は「かきうち」が訛って通常は「かいち」と読まれます。 垣内は神域とその周辺の神領地を表す通称です。 「窪垣内」は「くぼがいち」と読みたくなりますが、固有地名には独特の読み方がありますから、「おくがいと」がその地域の地名であれば、それで間違いないのでしょう。 犬のことは分かりませんが、京都のある地域では、『ナマズが洪水の被害から救ってくれた』という伝説があって、今でもナマズを食べないそうです。 地方の伝承には、意外と根深いものもあるようです。 鳥取県伯耆町溝口地区(旧・溝口町)では、鬼を先祖として神様同様に崇めています。 節分の豆まきも『福は内、鬼も内』に成ります。
お礼
大変興味深いお話をありがとうございます! ナマズや鬼も改めて調べてみたくなりました。
お礼
詳しくありがとうございます! アナウンサーが読み間違え(?)てくれたおかげで、大変勉強になりました。 犬が今もいないのかはいつか訪ねて見てみたいと思います。