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「秘」はなぜ「のぎへん」なのですか
「神祕」といふ言葉からも明らかなとほり、「しめすへん」は祭事についての表現なのですが、なぜ「祕」は「のぎへん」の「秘」になつたのですか。
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秘という字体はこちらの字典によると8世紀の顔真卿書ですでにあるので、そう最近の話ではないようです。 http://sf.zdic.net/shufa/0610/e15b994f0c91ef50fd27c78572252db2.html#ks 顔真卿は禾もありますしネもあります。 それより古い王羲之(4世紀)の書も禾に見える形になっています。 なお示偏は手書き楷書の場合ネになっている字体が多いことには注意が必要と思います。示偏を示と書くのは康煕字典の印刷書体である明朝体のデザインとされていますが、これを見る限りは毛筆手書きでも示と書いているのが無いわけではないようです。 このウェブ辞書の秘の隷書体を見ると示偏になっていますので楷書体の時に混同と言うか字統によれば本来別字である秘の字が流用されたということになりますね。しかしよく観るとここにもひとつ紛らわしい形のが入っています。 以上考えますと、当用漢字のころには本来違うにしても一般的に使われている方を使わざるをえない状況ではないでしょうか。本来「間違って」いるほうが正式になることは良いか悪いか私は判断を避けますが、実際言葉ではよくあることのように思います。 康煕字典では祕を正字として秘を俗字としており。現在の辞書もそれを採用している形と思います。 http://www.zdic.net/z/20/kx/7955.htm 同じく康煕字典、「秘」として「香草なり」としています。(字統と同じ解釈です) http://www.zdic.net/z/20/kx/79D8.htm 秘が使われるようになった理由については今のところわからないとしか言えないように思います。 以下余談 祕は今のUnicodeで採用されているようなので、使えないわけではないように思います。 示偏の字体についての今のWIKIの解釈。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BA%E9%83%A8
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- Postizos
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この「中華博物」の辞書は秘を祕の異体字、つまり現在では同じ意味と考えるという扱いにしているから祕のほうは省略されているのでしょう。 王羲之とか顔真卿が祕の意味で秘を使っているかどうか、若干疑問はありますが、当然調べているものと解釈する他はありません。 そもそも王羲之の真跡は無いそうですし、写しとして残った中から拾っているだけですが、写しは袋文字で輪郭を写しているそうなのでそこでの間違いは起きにくいように思います。 http://www.tnm.jp/modules/rblog/index.php/1/2013/02/19/%E7%8E%8B%E7%BE%B2%E4%B9%8B%E3%81%AE%E8%A4%87%E8%A3%BD%E3%82%92%E4%BD%9C%E3%82%8D%E3%81%86/ 結局康煕字典の記述は説文解字を元にしているのだと考えられます。 http://www.chineseetymology.org/CharacterEtymology.aspx?submitButton1=Etymology&characterInput=%E7%A5%95 http://www.chineseetymology.org/CharacterEtymology.aspx?submitButton1=Etymology&characterInput=%E7%A7%98 なお繁体字では「祕」(ただし偏の字形がネ)も使われているようですが、簡体字では「秘」に統一されているようです。 金文では見つかっていないようです。 結局康煕字典は指摘したけれども世間は俗字を使い続けてるということになるのでしょうか。
お礼
再度の回答、ありがたうございます。 >>この「中華博物」の辞書は秘を祕の異体字、つまり現在では同じ意味と考える >>という扱いにしているから祕のほうは省略されているのでしょう。 このあたりのリンク先の扱ひがよくわかりませんでした。「祕」と「秘」の両方で検索してみました。結局は、昔も今も、日本でも中国でも、混同されてゐる、といふことなのかもしれません。 >>王羲之の真跡は無いそうですし、写しとして残った中から拾っているだけです 王羲之の書として示されるものは、すべてパクリだつたのですね。聖書やホメロス、古事記なども原本が残存してゐるわけではありませんので、何の不思議もありませんが。 >>康煕字典の記述は説文解字を元にしているのだと考えられます。 別サイトの紹介、ありがたうございます。 『説文解字』は手持ちのものでも確認しました。「兵媚切」「神也」といつた説明は同一ですね。「秘」の文字は見あたりませんでした。このサイトにも「none」になつてゐますね。 >>金文では見つかっていないようです。 回答番号5の「お礼」で、確認もせずにいいかげんなことを書いてしまひました。「祕」の初期文字に関しては、「none known」なのですね。 >>康煕字典は指摘したけれども >>世間は俗字を使い続けてるということになるのでしょうか。 権威者ならば「正しい」といふわけではないでせうから、いろいろあつていいと思ひます。私は『康煕字典』の指摘どほり、「祕」のほうが好きですけれど。 このたびは、歴史的な資料からの解説をありがたうございました。
- OKAT
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>記載の意味を把握しかねるのですが、もともと別字で、黍に似た草を表してゐたといふことでせうか。 確かに分かりにくい表現ですね。ただ、白川氏の言い方「~従う」は「祕字が禾に従うべき理由はなく、筆の誤りである」から見ると「その部首にある」という意味らしいので、特殊な検索(超漢字検索)を使ったら、『黍+必』の字が存在したことは分かりました。(この字は普通のフォントでは出力できません)ただ、その字があったからどうだというのかまではよく分かりません。参考までに、『黍+必』の外に『ネ+必』もあったようです。 ところで、「漢和辞典」はいくつも出ているわけですが、その編者によって「多少」というか、「相当」というか、相違点が存在することが分かってきました。No.1の方が見られた『学研 新漢和大字典』(多分編者の中に藤堂明保氏が入っている)、No.3の方の『貝塚茂樹・藤野岩友・小野忍編:角川漢和中辞典』、わたしの手元にある『学研「漢字源」藤堂明保』その他ネットで見かけただけの『小川環樹氏が編者の一人である「角川 新字源」』があります。 <ちょっと興味本位であげたのは編者「貝塚茂樹」と「小川環樹」の両氏、いずれも湯川秀樹氏のご兄弟ですね。> なお、白川静氏と藤堂明保氏の間には大きな意見の差があったことも付け加えます。その点については下記サイトをごらんください。もっとも、このブログの筆者は藤堂氏の肩をもっているようですが。 それはさておいて、『角川漢和中辞典』が「字形 意味の類似しているところから 通じて用いられ 秘が新字体に採用された。」と述べている以外は、多くの辞書が「当用漢字字体表」(昭和21年)ができたとき俗字の「秘」が用いられたことに非を唱えていると理解しました。 今回の発言には興味本位の点がありましたので、おゆるしください。 http://d.hatena.ne.jp/iirei/20130812
お礼
>>今回の発言には興味本位の点がありましたので、おゆるしください。 大歓迎です。しばしば、アンケートカテゴリには正解がなく、学問教育カテゴリには正解がある、といふ投稿を読むのですが、意味がわかりません。正解がわからないから疑問を抱き、考へるのだと思ふのですけれど。最先端研究の成果が教育課程に反映されるのは数年後でせうし、答なんていくらでもあります。この質問もしかりです。私の鈍い頭では、まじめにベストアンサーを決めることは不可能です。みなさんひとりひとりの御意見すべてに感謝してをります。 >>ちょっと興味本位であげたのは編者「貝塚茂樹」と「小川環樹」の両氏、 >>いずれも湯川秀樹氏のご兄弟ですね。 若いころ読んだ『老子』の中公文庫の小川環樹さんの注釈書にそんなことが書いてありました。老子の主張する個人主義思想は、知らず知らずのうちに私も影響を受けてゐます。孔孟思想はおしつけがましく感じられます。他者のためといふ愛や正義の押しつけこそが、争ひの原因だとして、自己中を礼賛する投稿を何度もしてきました。 >>『黍+必』の外に『ネ+必』もあったようです。 これはまた、話がひろがつてきました。「のぎへん」の部分が「黍」だつたわけですか。そこまで読み取れませんでした。御説明ありがたうございます。 当用漢字の作成者が「ネ+必」を知つてゐたら、採用してゐたかもしれません。「のぎへん」よりも、こちらにすべきだと思ひます。もつとも、「しめすへん」なら「示」のままでいいのですけれど。 >>「漢和辞典」はいくつも出ているわけですが、 >>その編者によって「多少」というか、「相当」というか、 >>相違点が存在することが分かってきました。 「相当」だと思ひます。甲骨文字や金文の解釈や、『説文解字』などからのヒントにもとづいて、各人が推測するわけですから、相違があつて当然です。この「お礼」文の始めに述べたとほりです。回答番号3の「お礼」に書きました「食」なども、諸説あり、俗説をはびこらせる一因となつてゐます。 >>白川静氏と藤堂明保氏の間には大きな意見の差があったことも付け加えます。 リンク先を読むと、白川静さんのほうが「おもしろい」といふ印象を受けます。もつと考慮されてよささうです。具体的な文字の比較がないので無責任な発言ですけれど。 >>多くの辞書が「当用漢字字体表」(昭和21年)ができたとき >>俗字の「秘」が用いられたことに非を唱えていると理解しました。 私もそのやうに理解しました。少なくとも感覚的にはさうです。日本語関連のいくつかの書物でもみかけます。多数決では判断できませんけれど。 再度の御回答、まことにありがたうございました。今後とも御指導くださいませ。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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No.3です。お礼を読みました。 《俗字》という領域では 学問はほとんどその探究の手をすすめがたい。こういう意味ですか? ぱくるって――《パクリ人間》だともありましたが―― 何をパクッタのですか? よく分かりません。 入力エラーがありました。辞典からの引用のなかで: × 〔祕〕 禾5 ○ 〔祕〕 示5 でした。おわびします。
お礼
再度の回答ありがたうございます。 >>《俗字》という領域では 学問はほとんどその探究の手をすすめがたい。 「探究の手をすすめがたい」とまではいへませんが、やりにくいといふ面はあると思ひます。語源の問題で、「民間語源」のテーマも同様ですが、私としては、そのあたりの情報が豊富になつてほしいと思つてゐます。これも人間活動の一部ですから。 >>何をパクッタのですか? 私にはオリジナリティがないので、パクリだらけです。 「かつてあったことは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない。」 (旧約聖書 伝道の書1章9節 新共同訳)
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんばんは。 わたしは 関心を持つ分野が狭く自分で動こうと思う分野はなお狭いのですが ふたつの回答を見ていて 思わず自分の漢和辞典では どうかとしらべてしまいました。あぁ 感化されたくなかった。・・・ ▲ (『角川漢和中辞典』:秘) ~~~~~~~~~~~~~~ 【秘】 禾5 当用漢字 〔祕〕 禾5 ヒ ――(訓読無し)|かくす [解字] 形声文字。新字体の秘は必(ひつ)の転音が音を表わし ないことを意味する語原(無)からきている。 禾(か)(いね)をなくして 見えなくする意。 旧字体の祕は 必が音を表わし 形のない見えない神の意。ひいて 奥深く知ることのできない また かくすなどの意に用いられる。 字形 意味の類似しているところから 通じて用いられ 秘が新字体に採用された。 (貝塚茂樹・藤野岩友・小野忍編:『角川漢和中辞典』1959初版 1965四十八版 p.792 ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
お礼
おはやうございます。漢字のもとの意味については、考察が困難で、世間で俗説がはびこる一因となつてゐます。私がいちばん嫌ひな解釈は「食」を「人を良くする」と分解するばかげた説です。漢字の(少しばかりの)簡素化には賛成ですが、「食」にせよ「秘」にせよ、まつたく簡素化されてをらず、意味を不明確にしただけです。 新字体「秘」の説明として、抽象的に「ない」なのか、具体的に「草」をあらはすのか、私では判断しかねます。このやうな解釈の相違は他の漢字でもしばしばみられます。古い用例がたくさんあれば、いろいろと考察もできるかもしれませんが、「俗字」とみなされてきた以上、追及はむづかしいのかもしれません。 御回答ありがたうございました。またどこかで、ぱくるかもしれません。
- OKAT
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白川静「字統」によれば、『「祕」の説明の後に「秘は祕の俗字。もと黍に従うて香草のの名であったらしい。祕字が禾に従うべき理由はなく、筆の誤りである』と書かれています。
お礼
こんばんは。いつも私の役に立たない個人的質問に名回答を寄せていただき、感謝してをります。もちろん、他の質問者のかたがたの有用な質問への明解な回答文も拝見してゐます。 >>秘は祕の俗字。もと黍に従うて香草のの名であったらしい。 記載の意味を把握しかねるのですが、もともと別字で、黍に似た草を表してゐたといふことでせうか。 >>祕字が禾に従うべき理由はなく、筆の誤りである 俗字といふのは、そんなものなのかもしれません。調査するにしても、資料探しがたいへんです。 貴重な情報をありがたうございました。この字は、ずつと気になつてゐるものですから。
- technatama
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私が持っている『学研 新漢和大字典』で調べてみました。 【秘】の項の〔参考〕として、下記の説明がありました。 示偏は、新字体ではネの形になったが、「祕」の字は俗字に「秘」があったのでそれを採用したもの。 「ネ偏+必」の字はない。 だそうです。
お礼
さつそくの御回答ありがたうございました。 >>私が持っている『学研 新漢和大字典』で調べてみました。 私は漢和辞典の大部のものを所有してをりません。お調べくださり、感謝してをります。 >>「祕」の字は俗字に「秘」があったのでそれを採用したもの。 このあたりの事情がわかりませんでした。 なぜ「のぎへん」の俗字があつたのか。 「祕」と「秘」は画数も同じで簡素化されてすらゐないにもかかはらず、なぜわざわざ意味不明な俗字を採用したのか。 意味不明と感じるのは、私だけなのかもしれませんが、以前から納得のいかない文字です。といふよりも好きでない文字といつたほうがよいのかもしれません。
お礼
貴重な資料を御教示いただき、ありがたうございます。英語カテゴリでしたら例文の提示が豊富で、質問したときにわかりやすくしてくださるのですが、他のカテゴリは比較的用例が少ないのを感じてゐたところです。 >>秘という字体はこちらの字典によると8世紀の顔真卿書ですでにあるので リンク先を拝見しました。混同は、ずいぶん古くからの話のやうですね。現代中国語の漢字が日本以上に混乱してゐるやうに思へますので、この辞書の見方が難しいのですが、「祕」と「秘」で検索してみました。 サイトの資料によれば、顔真卿の場合は、「祕」も「秘」もどちらも「ネ」なのですか。王羲之は、「祕」が「禾」なのですね。 >>よく観るとここにもひとつ紛らわしい形のが入っています。 はい。 >>本来「間違って」いるほうが正式になることは良いか悪いか私は判断を避けますが、 >>実際言葉ではよくあることのように思います。 さうですね。私にも何が「正しい」のかは判りません。それぞれが考へるべきことです。もちろん、教科書にあるから「正しい」わけでもありません。回答番号5の「お礼」に書きましたので、ここでは繰りかへしません。 >>康煕字典では祕を正字として秘を俗字としており >>現在の辞書もそれを採用している形と思います。 >>「秘」として「香草なり」としています。 『康煕字典』は手持ちのものがありましたので、確認しました。「【正字通】从示从必。俗从禾作秘,譌。」誤りとする、いちばんの根拠なのですね。 >>祕は今のUnicodeで採用されているようなので、 >>使えないわけではないように思います。 ユーザー辞書に登録して使用してゐます。ほかに特に嫌ひなのが「並」で、「竝」を使ひます。 このたびは、たいへん勉強になりました。今後とも御教示よろしくおねがひいたします。