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日本語としての「愛」の起源
「愛(あい)」という言葉を良く見かけますが、アイと読むのは音読みなので、日本語として重要なシーンで使われるのにふさわしくないように思ってしまいます。 なぜか気恥ずかしいは私だけでしょうか。 万葉集などでは、「愛」をどう表現していたのでしょうか。 日本人として、訓読みでふさわしい言葉があれば知りたいので、教えてください。 神は愛なり・・・などと言われると余計に使えなくて困ってしまいます。
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愛という言葉と意味は、仏教と共に渡ってきたと考えられています。 漢訳仏典では愛染・愛縁・愛想・愛欲などの語としてあらわれますが、いずれも断ち切るべき煩悩としてとらえられており、決して良い意味ではないですね。 (例外的に恩愛や愛縁を肯定的に用いている例はありますが) 万葉時代には動詞「めづ」やその名詞形「めで」などが用いられていました。 にほひにめでて出でて来にけり(15-3704) かむながらめでにあめのした申し給ひし(5-894) 他に思いつく語として「いつくし」「いとほし」などがありますが、「いつくし」は元々厳かである意だし、「いとほし」もやはり心苦しい、気の毒だという意味で使われていた語で、「愛しい」意味に転じたのは近世になってからです。 「好き」「好く」も本来は風流を解する心という意味で使われていたもので、異性に対する好意の意味で使われだしたのは早くて室町ですし。 こう考えると、現在和語で用いられている愛情をあらわす語で、万葉時代から意味が変わっていないものは驚くほど少ないですね。 では万葉~古今時代に恋歌がなかったかというと全然そんなことはないのですが、ただ当時の恋歌で恋だの愛だのといった直截な用語を用いるような無粋者はいなかった、ということかもしれません。
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- cotiku
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私も話し言葉で「愛」は使いにくいし意味も人によって受け止め方が違って難しい言葉と感じています。 重要なシーン・・・万葉集の恋のうた・・現代でも使えそうなのを少し。 ありつつも君をば待たむ打ちなびくわが黒髪に霜の置くまでに 磐姫皇后 奥山の岩本菅を根深めて結びし心忘れかねつも 笠女郎 頂に蔵める玉は二つなしかにもかくにも君がまにまに 市原王 千鳥鳴く佐保の河瀬のさざれ波やむときも無しわが恋ふらくは 大伴坂上郎女 葦辺より満ち来る潮のいやましに思へか君が忘れかねつる 山口女王 ももしきの大宮人は多かれどこころに乗りて思ほゆる妹 大伴家持
- yamatohime
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確かに,万葉集では「愛」という表現は見ませんね。「恋」はけっこう使われているようです。「恋ふ」は「乞ふ」つまり相手を求める気持ちを表現する言葉ですね。有名な額田王に対する大海人皇子の返歌にも『人妻ゆゑにわれ恋めやも』ってありますし。 私の乏しい知識の中で、「愛」の字を使っているのは、大伴坂上郎女の『恋ひ恋ひて逢える時だに愛しき言尽くしてよ長くと思はば』だけですが、(「愛しき」は「うるわしき」もしくは「うつくしき」と読ませてます)この「愛しき」は相手に対するいたわりやいとしさ、あるいは畏敬の念を表現するときに使われている言葉だそうです。 あと、もっと広い意味で使われてるのが「思ふ」でしょうか。今とあまり変わらない用法みたいですが,今よりも愛情表現に多く使われているような気がします。 万葉集は結構能動的な歌が多いので、「あなたが好き」とか「彼が恋しい」とか「君と寝たい」みたいな表現は割と多いんですが,「愛」という概念を表現した語は見かけません。もともとの和語にはなかっただろうし、ましてやキリスト教的な「愛」の概念はなかっただろうと私は想像してます。相手を「恋ふる思ひ」や「愛づる」気持ちは、もちろんあったでしょうけど。
- zenra
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「天意」と書いて「アイ」と読みます。 そこから来たらしいです。
- everyone
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音読み訓読みという質問から離れてしまうのですが、和英辞典からそういった単語を発見され るのも面白いアプローチかと思います。 例えば、see、とは日本では見ると習いますが大筋では理解するといったような意味ですよね。知る学ぶ見るにはknow、learn、watch、look、などあると思いますが、日本語で知るのと外国語訳から理解発見する日本語が出てくると思います。
お礼
早速のお返事有り難う。日本人は間接的な表現のほうが適しているようですね。 和語で新しく作れないものか、仏教では愛はエゴだったのでしょうか。