- 締切済み
明治以降、芸者遊びしなかった文人は誰ですか?
「芸者遊び」という言い方は適切じゃないかも知れませんが、明治以降戦前までの小説家は結構、芸者との付き合いが常態だった人が多いように思います。 漱石は芸者・俳優・勲章肩書きが大嫌いだったとのことですが、私の狭い知識では、田山花袋、石川啄木、太宰治、川端康成などは芸者遊びをしていたように思います。 そこで、知りたいのですが、芸者遊びをした文人、しなかった文人を教えて下さい。作品の中に芸者を細かく描写するような所があれば、やはり芸者遊びの経験があったと想像されます。断定は出来ませんが・・・ 政治家は大半が芸者遊びや妾をもったと思いますが、文人はどうなんでしょう? よろしくお願いします。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
- Nebu3
- ベストアンサー率29% (114/386)
お返事をありがとうございます。つけたしをさせて下さい。 本当は一々、出典を明記すべきなのでしょうが残念ながら、 おぼろげな記憶からですのでご容赦を願います。 ・漱石は英国留学で赤貧の苦しみを味わっています。そしてかなりのケチ だったと先日、NHKの番組でみました。 ・宮澤賢治も同様の苦しみを経験しまた妹思いな人でした。「雨にも負けず」 の作者が芸者をあげては日本文学が赤面です。 ・石川啄木の件は初耳。まあ後付けで言えば平気で借金をしまくって遊ぶ 人ですから頷けます。 ・「尊敬される」の表現にご不満のようですね。でも僕は明治の政治家が、 競うように芸者を愛人にしたり結婚する状況が今と変わらぬ反面、妻と して迎えるところが意外なのです。つまり彼等権力者は芸者遊びを隠す べきものとは思っていない、世間もそれを唾棄すべきものとは思わない。 当時の進歩的な知識人が西洋的な視点で嘆いただけで世論は肯定的。 全体として貧しく人生を制限される女性の中で、有力な男は有力な家の娘 かそれがダメならば庶民の中できらびやかに飾り社交術をもつきれいな娘 を得る力をもち、芸者は有力者に選ばれる対象なわけです。 いわゆる高級品を現金で買えるお金持ち自慢。インテリ層が嫌うのは当然。 ・「妾をかこうのも男の甲斐性」すごく恥ずかしい言葉ですが、これも全体として 貧しく、借金返済に苦しむ庶民の家の娘が重圧からのがれて「気楽」に暮らす 唯一の道だったと思います。その意味で「妾」は日陰の存在ではあるけれど 道徳的に「良くない」という認識はないです。現代でも複数のアンケート統計を 見ましたが国民の男女平均して8割は不倫を悪いこととは思わない、これは欧米 諸国の統計とくらべると大きな特徴です。 ・フランス大統領の件はフランス国民の意識として公的な業績と私事は無関係 とする矜持を示していると思います。それだけに「業績」評価は厳しい。 宇野総理の件は僕自身、個人としては腑に落ちない。他の政治家も愛人や 女遊びは当然の如くしている。要は「醜聞」を公にされたからという事に。 地方の一芸者が総理の人間的に恥ずかしい行いを暴露した。恐らくはこの 芸者を動かした政治的背景があったのかも。 ・日本の多くの男が女遊びに寛容なことは江戸時代~現代に見られます。それは 古代日本人男女が性交にとてもおおらかな風俗である事と江戸以降の男尊女卑 にあると思っています。東京都議会でのセクハラ暴言を解決できない状況が 男女関係の後進性を物語っていると思います。 長々と失礼しました。
- Nebu3
- ベストアンサー率29% (114/386)
ご存じかどうか日本人だけではないのでしょうが、 男が女遊びをするのにとても寛容な国ですから芸者をあげての お座敷遊びなどはステイタスが高い人物として尊敬される。 だから政治家や学者その他有名人はこぞって芸者遊びをひけらかし 好きな女を囲っていたと思います。そんな中夏目漱石や宮澤賢治を 除けばプロレタリア文学の代表作家である小林多喜二・徳永直らは 間違いなく芸者遊びとは無縁でしょう。 要は文学で金を儲けた人は女や酒に快感を覚え、金を儲けずに 貧しい生涯を送った人はそうした金持ちの生活を忌み嫌ったという わけです。
お礼
回答ありがとうございます。 漱石は文壇の大御所で経済的には余裕があったハズですが、芸者遊びはしなかった。彼の追及しているテーマから考えると当然に思えます。 宮沢賢治も当然だと感じます。 大衆のために命を懸けて書いているプロレタリア作家が、己自身の快楽に身を委ねるというのは矛盾しますね。 石川啄木は生涯貧乏だったのに、少なくとも釧路では芸者遊びをしましたね。 >男が女遊びをするのにとても寛容な国ですから芸者をあげてのお座敷遊びなどはステイタスが高い人物として尊敬される。 尊敬される・・とのことですが、そこまではないと思いますが。何で読んだか今、思い出せないのですが、あの時代の何かの新聞だったと思います。そういう上流階級の男たちの芸者遊びを嘆いている内容でした。 巷では「妾をかこうのも男の甲斐性」という意識もありましたが、正論では、それは良くないことだ、という意識だったと思います。当人たちは矢張り、出来るだけ隠そうとしたりしていたようですから。 フランスでは大統領でも愛人を'隠し'持つのが常識で、国民も「プライベートライフは別」と区別していますが、日本では以前宇野という首相が、昔の芸者遊びが露見して辞任に追い込まれました。 寛容なところと、厳しいところが同居しているのが日本ですね。
>芸者遊びをした文人、しなかった文人を教えて下さい。 なんとなく武者小路実篤で調べてみたんですが、彼はお座敷遊びをした人だそうです。 http://www.poketabi-hikaku.com/tour/P002366/index.html ◆オススメ2◆のところに記述がありました。
お礼
回答ありがとうございます。 実篤は高校時代、熱心に読んだ作家の一人で、非常に人間の生き方をシビアに考える誠実な人間で好感を抱いていたのですが、芸者遊びは彼にとっても常識だったのでしょうかね。 そう言えば、彼の何かの小説は「…は女に飢えている」というセリフがあって、ドキッとしたことがありました。
補足
色々と情報ありがとうございます。 ・漱石は英国留学で赤貧の苦しみを味わっています。 ノイローゼに陥って精神的な苦労をしたようですが、公費留学だから、私がやったように毎日々々、職探しに精魂尽き果てたということはないでしょう。 それとも何かの理由で食費代をストップされたとか? >>つまり彼等権力者は芸者遊びを隠す べきものとは思っていない、世間もそれを唾棄すべきものとは思わない。 当時の進歩的な知識人が西洋的な視点で嘆いただけで世論は肯定的。 貴方はどこからこういう結論を出されているのでしょうか?私の見聞したものとは違うんですね。 私は実は高齢者でして、父母は明治中期に生まれています。母は船場の商家の娘ですが、母が「誰それの妾」について語った時の表情は、決して肯定的ではありませんでしたよ。それから私は明治時代を背景に描く溝口健二の映画を沢山見ているのですが、そこに登場する妾の地位は、やはり微妙なもので、たとえ資産家の奥さんになっても、元芸者と言うのは相当な軋轢になっていました。 それから、森鴎外の「雁」でしたかね。夫が妾を持ったのを知った奥さんが「私はどうすればいいんですか!」と夫に詰問している場面がありました。女のほうだって、男が妾を囲うことを平気で認めているわけじゃないんですよ。世論は肯定的という認識は、私の見聞に反します。 >>「妾」は日陰の存在ではあるけれど 道徳的に「良くない」という認識はないです。現代でも複数のアンケート統計を 見ましたが国民の男女平均して8割は不倫を悪いこととは思わない、これは欧米 諸国の統計とくらべると大きな特徴です。 日本人は、男女関係に寛容というのを明治時代と現代を短絡されていると思います。8割が不倫を悪いと思わないというのは戦後急速に現実化した現象です。欧米に戦争に負けて、欧米のものが全て正しいと認識して見境なく真似した結果です。本家本元をしのぐフリーセックスの国になりました。しかも、結婚という足枷すら無視するほどの国になりました。 戦後しばらくまでは、不倫や婚前交渉に対しては非常に厳しかったですよ。私の姉たち3人は結婚までは処女でしたし、それは当然という社会でした。私の父母兄弟は謂わば明治時代の家族で、私を入れて9人兄姉ですが、誰一人不倫をしていません。それが普通でした、昔は。元々不倫に寛容だったのではなく、戦後そうなったのです。 江戸時代までは性に大らかだったようですが、私の見聞した日本人は、そうではありません。私の祖父母は全て江戸時代に生まれた人です。彼らから伝えられた感覚では、貴方が仰るようなことにはなりません。 失礼しました。もし、貴方に寛容さが残っていましたら、今一度考えて下さる様お願い致します。