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日本語勉強「もの」

日本語勉強中です、よろしくお願いいたします。 下記の文書に、「もの」を付けなくてもいいだという気がします。 自分で話すときに、どの場合ものを付けてはなしますか、どの場合ものを使わないか よく勘違いです。教えてくるとありがたいです。 日本の歴史を学ぶときに、できるだけ現地に立ってみることも重要なことだと思います。 現地に立つと、文献ではわからない過去の事実が見えてくるものです。

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noname#227653
noname#227653
回答No.1

この場合の「もの」は、「そういうことがよくある」とか「そうなることが多い」という意味です。 「見えてきます」と言い切るのに比べ、「見えてくるものです」と言うと「見えてくることがよくありますよ」「見えてくることが多いですよ」という意味が加わります 他の例を考えてみます。 「難しいと思っていても、やってみればけっこううまくいくものだよ」は「うまくいくことが多いよ」という意味になります。 「親の言うことはちゃんと聞くものだよ」は上の例とはちょっと違って「ちゃんと聞くべきだ」「ちゃんと聞くのが正しい」「ちゃんと聞いた方がいい」というような意味になります。 「子供の頃、ここでサッカーをしたものだ」と言うと「しばしばサッカーをした」というような意味になります。 なお、会話ではたいてい「もん」になります。「うまくいくもんだよ」「ちゃんと聞くもんだよ」「サッカーをしたもんだ」です。

xyue2013
質問者

お礼

詳しく説明してくれてありがとうございました。 よく勉強になりました。

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回答No.4

「もの」を付けなくても一向に構わない。「見えて来るのです。」がシンプルで良い。ただし、この例文で言われている文脈全体の見解は間違い。様変わりしている筈の現地に立ったところで、真実は見えない。独りよがりな誤解、曲解を生む恐れが大きく、逆効果となる可能性がある。 不要と思われるものを省こうというのは、第一言語として日本語を扱う者には難しい。貴方がたには、是非、不要なものを省いた表現法をどんどん遣って欲しいと思う。微妙なニュアンスの違いなど、今の日本人は理解できない。微妙なニュアンスの違いを言い募って、「もの」を付けるべしというのはナンセンス。 以下の文章も、不要部分があるように感じました。 >「もの」を付けなくてもいいだという気がします。 →、「もの」を付けなくても好い(良い)気がします。(「~という」は不要。「~だという」は不自然表現) ただ、「~という」とか、「~もの」を付した文章を作る人は賢く見える。逆に、その種の表現を知らない人、その種の表現を遣わない人を幼稚な人と判断される可能性はある。つまり、「~という」、「~もの」という表現を、まず、今も昔も、小学生の子供たちは遣わない。いや、遣いこなせない。

xyue2013
質問者

お礼

指摘してくれてありがとうございました。 今後もよろしくお願いいたします。

  • OKAT
  • ベストアンサー率38% (247/639)
回答No.3

次のサイトをご覧ください。コピーするといいのですが、そういう使い方はしないでくださいと書いてありますので。辞書的な説明があります。

参考URL:
http://www.nihongokyoshi.co.jp/manbow/manbow.php?id=1127&TAB=1
xyue2013
質問者

お礼

ありがとうございました。

回答No.2

どの部分を聞いているのかわかりませんが、最後の文の日本の歴史をの文は'もの'の使い方はいいと思いますが、その前の文は少し変かな。ニュアンスがよくわからないので、もし英語が出来るのであれば、英語で書いてくれれば、日本語で訳すことが出来ると思いますが。

xyue2013
質問者

お礼

申し訳ありませんでした。

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