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ブッダについて
閲覧ありがとうございます。この世を一切皆苦と表現したブッダですが、何故子どもをつくってはいけないという教えを作らなかったのでしょうか?
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No.5です。 子がまだいないのですか。子がいる喜びや孫がいる喜びを知ったら、子を作ってはいけないなどの教えを信じる気になりません。この感情は理屈ではなく自然なもので疑いの余地がありません。きっとDNAに書き込まれているのでしょう。 子を持つと育てる経済的余裕が必要になります。子を殺す親のニュースを見ると怒りと哀れみの気持ち抱きます。経済的余裕が無くて死んでいった子どもは今でも世界中にたくさんいます。だったら作らねばよいではないかと思うでしょうが、それは誤りです。生きれる確率が低くても子は生まれるように作られているのです。 釈尊の教えが難解なのは年を取るにつれて教えが変化していることです。妻子を捨てたころは苦しむ自分にもがいていたのだと思います。縁起・因縁の悟りを得ると議論を吹っかけ勝って喜ぶ日々であったのです。今で言う自己中心的な考えです。ところが晩年はカースト制で貧しい者や弟子達のことを案じるようになります。教えを広めるために弟子とともに80歳まで旅を続けています。 釈尊は妻と子を捨てたが、後にその子は十大弟子の一人になっています。子がいたことで釈尊は嬉しかったのだろうと思います。
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- hannya-gl
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人間の一切は苦て゜あると、知恵、によりて見る者は自らの苦悩を癒す。とブッダは語った。(と聞いた)では?。 釈迦の哲学は、知恵によりて見る、の方でしょう。 知恵により見る(理法に照らして考える)事を縁として、子共を作っては作っては成ならないという、 教え、が起こる。となりますかね。縁起の理法に敵っているかを見るのが。本当に釈迦が言ったかどうかを判別する、第一の目安だと思います。 釈迦が常に口にしていたのは、 己を陽炎泡沫の如き者と思う者には既に知恵がある。 己を陽炎泡沫の如きものと、知恵によりて見る者は、自らの苦悩を癒す。 知恵によりて見ることを縁として、知る、ことが出来る。 知ることを縁として自らの苦悩が癒える。が、解脱、と言う事でしょう。 釈迦の哲学を最も判り安く、簡潔に伝えているのは、と思うのは「世界の歴史」という本にある歴史家が述べているる一文です。 菩提樹の下で瞑想思索し、悟った、と言われる釈迦は。かって修行、苦行を共にした、5人のバラモン修行者 を前に次ぎのように語った。 修行者達よ。 ここに四っの真理がある。苦と苦の起源と苦の滅と苦の滅に至る道、とである。 生も苦、老いも苦、死も苦であり、愛する者と離別するのも苦であるなら、好まぬ者と結のも苦である。 苦の起源とは何か 喜びと貪りとを伴い、あれこれ執著する愛執である、 苦の滅とは何か 愛着の心を残りなく滅する事である、 苦の滅いたる道とはなにか 八っの正しい道 1正しい思惟(理法、考え方)2正しい認識 3 正しい言葉 4 正しい行為 5 正しい生活 6正しい努力 7 正しい思念 そして 8 正しい瞑想 である。 苦集滅道、とか、四締八正道、と言う。法門(仏教の始まり、入門)と言われるものでが。 ご質問の、苦、とは意味あいが違うのでは。
お礼
なるほど!生も死も苦であると考えていたのですね!回答ありがとうございます!
本能を否定することになるから。 悟りというのは、聖人になることではありません。 むしろ、聖人ぶった人を信用していない。 欲を最低限にしろとは言います。 これは足をしるため。 でも、完全になくすのは、もはや人間ではない。 そんな訳のわからない理想論を言うほど、お釈迦様は愚かではないということです。 きっと「ひとりの女性をずっと愛しなさい」ぐらいは言ったと思いますけどね。
お礼
なるほど、苦しくなるからほどほどにしろということですね!回答ありがとうございます!
- 0fool0
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>いや、だから最初から言っているではありませんか。自分が苦しいと思うことをなぜ自分の子どもにも強いるのかと。なぜ仏陀は子どもを作るなという教えを作らなかったのかと。それについてのあなたの回答は「辛いんだったらさっさと死ねよ」ということですが、どういうことですか? なぜ何千年も昔の教えが現在にもまだ残っているかわかってますか?その何千年間も運命は変わらず、同じ運命であり、それに苦しむ人間がいたからです。 「死ねよ」の前に、私は「何故生きているの?」と問うてますよね。 貴方は苦しいけど、生きている方が良いのでしょう? ならば、子供を生むのも道理だと言っているのです。 生きるのが「苦」のみだったら、子供を生む以前に、貴方がさっさと死んで居る筈でしょう? 貴方の発言は「生きるのは苦しい、だから子供を生むのは可笑しいのではないか?」です。 しかし貴方は何はともあれ生きています。 生きる価値(楽しみやメリット)があるから、生きている訳です。 何で、他人の生の権利を剥奪するような発言をするのでしょう? 何を甘えているんだかw
お礼
回答ありがとうございます!大きな苦しみよりも小さな苦しみを優先しているのです。つまり、死ぬときは苦しくて怖いから生きているのです。死ねないから生きているのです。 苦しいけど死ぬ「時」よりましだということです。眠るように楽に死ねる施設があるならとっくに行っています。生きている方がいいといいますが、どちらもマイナスです。マイナスの出来事について比べているわけです。そのマイナスの世界にマイナスについて悩む人間を作り出すのはどうかということです。「生きている方がいい。生きていることすらマイナスだけど。→じゃあ子どもを生むのも道理だよね」ということが理解できません。 あと、最後に人格否定しないでください。それは関係ない話です。都合が悪くなるとそうやって相手を押し退けて黙らせているんですか?私は単に疑問を解決したいだけなのです。
- paraspor
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補足です。 イスラムに通じるはちょっと書きすぎたかもしれません。 ブッダはイスラムよりはちょっと厳しい。 ジャイナ教よりは穏健だが、それが本当に理想的な道であり、人間はそこを歩むことができると考えていたような感じがします。
お礼
わざわざ補足までしていただいてありがとうございます!
- paraspor
- ベストアンサー率26% (4/15)
ブッダの思想はジャイナ教と酷似しています。 唯一の違いは、ジャイナ教が厳格で徹底しているのに対し、ブッダは穏健なところ。 ジャイナ教が本当に理想的な生き方を追求しているのに対し、ブッダは苦しくない、守れる程度にやろうよと言っているように思えます。 ブッダはそういう戒律を作ってもほとんどの人間にはそんなもの守れず、余計に苦しみを生み出すに終わると考えたんじゃないでしょうか。 人間は弱いもので、本当に望ましい戒律を守りきれないという人間観はイスラムに通じるところもありますね。
お礼
回答ありがとうございます!
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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仏陀の教えもどんな教えも生まれ、存在しやがて終わっていく間の事に対する教えですよね。 生存開始以前や解脱した後の教えがありますかね。 生むなって教えは始まる契機となるべきではないということですね。 それはA(開始)U(持続)M(消滅)という現象の否定ですよね。 開始や持続を否定することは釈迦が教えることの外なんでしょうね。 つまり釈迦教え以前の事でしょう。釈迦の教えの範囲ではない。
お礼
なるほど、釈迦よりも前にそれは解決しているからそれについては述べていない、ということですね!回答ありがとうございます
- kurinal
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augmydt様、こんにちは。 >「どれから?」 「augmydt様の、今回の疑問から」かもしれません。
お礼
回答ありがとうございます。仏陀は、一切皆苦という同じステージに立たなければならない他人の気持ちを考えていなかったのでしょうか?
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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No.8を承けます。 ☆☆(回答No.8) ~~~~~~~~~~~~~~ ★ (No.6お礼欄) 苦しいと考える世界に新しく人間を産み出しても、そんなもの知らんということですね? ☆ いえ。《苦》から始める理論は その裏返しとして《おれさまだけは その苦から自由になった》と言っている議論であって 勝手にほざいていろと答えてやればよいしろものだという意味です。 ★ (No.8お礼欄) ~~~~~~~~~~~~ あなたの言うことだと、俺だけが克服した、だから新しく生まれる人間のことなんか知らんということですよね?それでも私の質問は「いえ。」なのですか? ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ブラフマ二ズムが 輪廻転生ということを説きました。それは 社会における身分は すでに生まれによって決まっており ただし現世のあり方によって次には高い身分に生まれてくることが出来るのだと言います。 ゴータマは 人の生きるあり方は すべておのれの行為(カルマン)によって決まると言って 苦にまみれる生からの自由を自分は得たとし そのさとりの状態を得るようにと人びとに説いた。そうすると すでに人は苦の上に成る人の生をふたたび持つことはない・つまりは 人間に生まれてくることはない。と言った。 ★ 新しく生まれる人間のことなんか知らん ☆ というのではなく 来世のある者はまださとりを得ずブッダとなっていない〔だから 転生する〕と捉えたということではないでしょうか。 もし同じ DNA の者が過去に誰もいないとすれば 輪廻転生という説そのものが阿呆らしいと考えられます。取るに足りません。 そこへ ★ 何故子どもをつくってはいけないという教えを作らなかったのでしょうか? ☆ という問いをはさむということですが そういう発想を持たなかったから。ではないでしょうか? 行為によってすべてが決まる。そして親と子とは 人格が違うとでも捉えた。ゆえに 子どもをつくるかどうかについてオシエとして何かを考え決めるということは思わなかった。のではないでしょうか。
お礼
長文の回答ありがとうございます。人として生まれたら来世ではもう人として生まれなくてもいいから子どもを作るということでしょうか?自分の子どもを苦に追いやることで自分は上のステージに行けるということですか?子どもを作るという行為はプラスの行為なのでしょうか?マイナスの行為なのでしょうか?
- Y Y(@yy8yy8az)
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苦行の意味のなさを実感したのは、苦行をしたから。 苦行を通さずに“中道・中庸”を覚ったのではないと思います。 凡人の思う、想像する、中道のレベルではないのではないでしょうか。
お礼
なるほど!ありがとうございます。話は戻りますが「銭湯の温かみのようなもの」を自分の子どもにも実感させるために、子どもをつくってはいけないという教えをつくらなかったということですか?
- lv4u
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>>一切皆苦のこの世に子どもをつくって、果たして本当に子どもは幸せになるのかと考えたまでです。私は論理的です。勝手にレッテルを貼らないでください。 質問内容からしたら、レッテルを貼るような回答をするしかありませんでしたのでね。 なお、ブッダの初期の教えは、質問者さんに近い考え方だったようです。つまりは、「この世は一切皆苦、だから、早く、すばらしい、あの世の天国に帰りたいものだ」っていう考え方ですね。また、悟りを得たとき、ブッダは「この幸福な心の状態を抱いたままて、死んでゆきたい」なんて考えたともいわれてます。 なので「生きていても、苦しいばかりで、何も良いことはない。あの世に帰って楽になりたい!」って考えて自殺する方がいても、不思議ではありませんね。 でも、悟りにもレベルがあるし、ブッダも年齢を重ねるにつれて、悟りが深まり「この世には、この世の存在意義がある」という思想に変化したといいます。 そういう意味からも、子供をつくるってことに意味を見出していたと思われます。 仏教教団のあり方も、ブッダの生活も、初期のころと晩年では大きく変化していました。ですので、ブッダの教えが変わっていくのも当然でしょうね。 なお、現代の坊さんは、当時と比較したら、妻帯するし、酒も飲みますし、凄く大きく変化しましたね。
お礼
回答ありがとうございます!悟りのレベルというのと、彼が悟ったこの世の存在意義について具体的に教えていただけませんか?
お礼
なるほど、子がいて嬉しかったからそういう教えを作らなかったのですね!回答ありがとうございます!