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赤壁の戦いの矛盾??
赤壁の戦いって208年に蜀と呉が魏を破ったんですよね。でも蜀の建国は221年、呉の建国は222年、そして後漢が魏曹丕に禅譲したのは220年ですよね。 じゃあ赤壁の戦いの時点では魏も呉も蜀も存在していなくて後漢の時代だということですよね? じゃあどうして魏と呉と蜀が戦ってるんですか?この矛盾のもやもやを誰か解決してください(><) お願いしますm(_ _)m
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後漢の時代なのになぜ軍が分かれて戦争をしているのかというと、 曹操の建前: 自分は帝の勅命により、帝に従わない孫権および劉備を討伐する 孫権・劉備の建前: 帝を傀儡とする曹操を誅す というわけで戦争をしていたわけです。 ちなみに魏、呉、蜀建国後も建前は大体同じで、 魏: 後漢の最後の皇帝から正式に禅譲を受けたのだから、魏こそが正当な中華の帝王である。 従わない呉と蜀は滅ぼさなければならない。 蜀: 魏は断じて正当な後漢の後継者などではない。 後漢の皇族に連なる劉備こそが正当な後継者であるから、魏を滅ぼさねばならない。 呉: 後漢の命運は尽きた。 また、魏は正当な後継者ではない。 であるから、我々は独立したのだ。 呉だけが建国の建前は弱いですが、地理上の理由だとか、地方豪族の強さだとか、いろいろと理由はありました。
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- ossutoshi
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そもそも、ここが間違い。 ↓ 「赤壁の戦いって208年に蜀と呉が魏を破ったんですよね」 「じゃあどうして魏と呉と蜀が戦ってるんですか?」 ご自身で書いていらっしゃいますが「当時はまだ“後漢”の時代」です。 なので「赤壁の戦い」は「孫権勢力と劉備勢力の連合軍が、曹操勢力を破った戦い」とすれば正解です。 「魏と呉と蜀が戦った」という表現は、不正確です。 くどい言い方をすれば「221年に蜀を建国する劉備の勢力と、222年に呉を建国する孫権の勢力が、220年に建国される魏に繋がる曹操の勢力を破った」と言うことでしょうか。
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回答ありがとうございます。 間違ったまま覚えるところでした。教えて下さってありがとうございます。
- oska
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>赤壁の戦いの矛盾?? 三国志は、三国史ではありません。 歴史・伝承を元にした、物語です。 ※韓国自治区を除く中国の周辺諸国では、三国志=侵略史扱いです。^^; この事実を元に考えると、矛盾があっても何ら不思議ではありません。
お礼
回答ありがとうございます。 三国志はフィクションもあるんですね!勉強になりました。
- ithi
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sunrisecedarさん、こんばんは。 赤壁の戦いの頃はまだ後漢時代でした。まだ、三国が建国されていません。だから、曹操の軍を劉備・孫権連合軍が破ったというのが正しい見方です。 詳細は下記のURLを参照ください。 赤壁の戦い http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%A3%81%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
お礼
回答ありがとうございます。 勘違いをしていたようです。教えて下さってありがとうございます。
- ok-kaneto
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>208年に蜀と呉が魏を破ったんですよね。 違います。 劉備・孫権の連合軍が曹操軍を破った戦いです。建国はその後。 国同士の戦いではありません。
お礼
回答ありがとうございます。 そうなんですか!やはりまだ魏呉蜀は出来てなかったんですね。
お礼
回答ありがとうございます。 詳しく教えていただきすごくわかり易かったです! 色々と理由があったのですね。