- ベストアンサー
損益分岐点と操業停止点について
- 損益分岐点とは、売上高と費用が等しくなるポイントのことを指します。
- 操業停止点とは、売上高が費用をも上回らない状態で、企業が操業を続けても利益が出ないポイントのことを指します。
- 損益分岐点と操業停止点は、企業の経営判断や収益性の分析に重要な役割を果たしています。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
回答2の訂正。回答2の最後のところに 「損益分岐点生産量はAC (q) = MC(q)を解いて、q = √(F/q)であり、操業停止点生産量はAVC(q) = MC(q)を解いてq = 0であることがわかる。」 とあるが、 「損益分岐点生産量はAC (q) = MC(q)を解いて、q = √(F/c)であり、操業停止点生産量はAVC(q) = MC(q)を解いてq = 0であることがわかる。」 と直してください。 ついでですので、あなたは 「P=MCである以上、その時点の生産量では、利潤が0になりますが、上記の利潤最大化ポイントになるはずです。」 と書いていますが、 「P=ACである以上、その時点の生産量では、利潤が0になりますが、上記の利潤最大化ポイントになるはずです。」 の間違いですよね。競争企業がP = MCを満たす生産量を選択するなら、それは利潤最大化生産量だが、同時にその生産量がP=ACを満たしているなら、利潤はゼロである。利潤がゼロというこは利潤最大化と決して矛盾しない、ことを理解することは大事だ(回答1で説明したつもりだが。。。) それどころか、利潤がマイナス(つまり損失が出る)となることだって、利潤最大化と矛盾するわけではない。いま、市場価格PがACの最低値よりは低く、AVCの最低値よりは高かったとしよう。そのとき、利潤最大化(この場合は損失最小化だが。。)の条件は、やはりP = MCを満たす生産量を選択するこだ。このとき利潤はマイナスとなる(損失が発生する)が、それは競争企業にとっては、損失を最小化する(数学的には利潤最大化)という意味で最適な選択なのだ。損失が出るからといって操業を停止すると、損失はさらに大きくなるのだ!
その他の回答 (2)
- statecollege
- ベストアンサー率70% (494/701)
>損益分岐点と操業停止点の計算式の理屈について教えて頂けますでしょうか 経済学でいう「損益分岐点」は、AC(q) =MC(q)となる生産量q(あるいはその生産量を生産るための平均費用)であり、「操業停止点」はAVC(q)=MC(q)となる生産量q(あるいはその生産量を生産するための平均可変費用)である。別の言葉でいうと、損益分岐点とは、平均費用ACが最低となる生産量(あるいはその生産量を生産するためにかかる平均費用)、操業停止点とは平均可変費用AVCが最低となる生産量(あるいはその生産量を生産するめにかかる平均可変費用)ということになる。 教科書で説明されるようなU字型のAC曲線、AVC曲線においては、MC曲線はAC曲線の底(ACの最低点)とAVC曲線の底(AVCの最低点)を下から上へ横切って通過する。 費用曲線が簡単な式で表わされる場合を除くと、これ以上簡単な式にはならない。仮に、費用曲線が C(q) = cq^2 + F という簡単な式で表わされる場合には、 AVC(q) = VC(q)/q = cq^2/q = cq AC(q) = C(q)/q = cq + F/q MC(a) = 2cq であるから、損益分岐点生産量はAC (q) = MC(q)を解いて、q = √(F/q)であり、操業停止点生産量はAVC(q) = MC(q)を解いてq = 0であることがわかる。
お礼
ご回答ありがとうございました。
- statecollege
- ベストアンサー率70% (494/701)
経済学の勉強をはじめた人にとっては当然の疑問です。いくつかポイントがあるので説明しましょう。 ・競争企業(完全競争市場の売り手)とは、与えられた市場価格のもとで、利潤を最大化する生産量を選択する企業のこと。 したがって、ある価格PのもとでP=MC =ACが成立しているということは、その価格のもとで最適に選んだ生産量のもとで得られる利潤が0だといこと。したがって、別の生産量を選べば、利潤はマイナス(つまり損失が発生する)ということです。生産量を0にする、つまり操業を停止すれば、0になるのではないかと考えるかもしれないが、生産量をゼロにしても(短期的には)固定費用があるので、固定費用の分だけマイナス、つまり損失が発生するのです。市場価格PがACの最低点の水準まで下がってしまえば、最大できることはP=MCのところまで生産量を選択し、利潤0を確保することなのです。 ・つぎに誤解があると思われるのは、経済学の「利潤」概念と会計学の「利益」概念とは違うということです。経済学では、「費用」は「機会費用」の概念で測られ、企業の「利潤」とは企業の生産し、販売した財の売上金額(収入)から、財を生産するためにかかった(機会費用概念の)費用を差し引いたものだ。例をあげよう。 ある野菜農家を考えてみよう。この農家は農家が(先祖代々?)所有する土地で、家族労働を使って野菜をつくり、収穫した野菜を市場に出して「利益」をあげているとする。費用として計上するのは、収穫期には家族の手では足りなくなるので、外から臨時に、賃金を支払って労働者を雇いれるのでその人たちに支払う賃金と肥料会社から購入する肥料代等だけだろうか?経済学でいう「費用」はそれだけではない。投入される家族労働だって自分たちの農場で働く代りに、ほかの会社で(たとえば)工場労働者として働けば相応の賃金が得られたはずなのにそれを断念して自分たちの農場ではたらいているのだから、得られたであろう賃金は、野菜農家のにとって、野菜を生産するためにかかる費用(「機会費用」)なのだ。土地の使用料だって、自分たちの所有する土地だから支払う必要がないからといって経済学的にはゼロなのではない。その土地をほかの企業にレンタルすれば相応の土地使用代(地代)がはいるだろう、経済学的にはそれを野菜を生産するためにかかる費用として計上する必要があるのだ。したがって、この農家の経済学的な「利潤」を計算するためには野菜の売り上げ収入から、外部に実際に支払われる臨時労働者賃金、種籾代、肥料代のほか、(実際には支払われることはなくても)家族労働への賃金、(家族所有の)土地への使用代を差し引かなくてはならない。したがって、利潤がゼロということは、生産に用いられたすべての生産要素(労働、土地、肥料)が正当なる報酬を得ている「正常」の状態であって、利潤が正(プラス)ということは、収入がこれらの費用を超えた余剰(超過利潤)が発生している状態なのだ。 いま、この野菜農家はちょうど経済学的利潤がゼロだとしてみましょう。このとき、会計学的「利益」は、「費用」としては外部への支払いのない、家族労働や土地使用への支出が費用として計上されない分だけ、プラスの利益になっているでしょう!逆に、会計学的には利益はプラスであっても、利益の大きさが十分大きくないなら、利潤はゼロ以下の可能性もあるのだ。
お礼
重ねてご回答頂き、ありがとうございました。 良く理解できました!