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論理哲学論考に於ける事態とは事実の構成要素ですか?
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「論考」は次の7つの整数である命題とそれに枝番号が付いたいくつかの命題の集積からなります。 整数で表記された命題は以下の通りです。 1、世界は成立している事態の総体である。 2、成立している事態、すなわち事実とは諸事態の成立のことである。 3、事実の論理像が思想である。 4、思想とは有意義な命題である。 5、命題は諸要素命題の真理関数である。 6、真理関数の一般的形式は・・・・・・・・・・・である。(注、・・・・・・・点線部分省略) 7、語りえないものについては沈黙しなければならない。 1、は世界というものが何であるか、2、は事実とは何であるか、3、は思想とは何か、4、は思想と命題の関係、5、は要素命題と真理関数、6、は真理関数の一般形式、7、は論理で語れないものは示すしかないから、語れない、沈黙するしかない。 ウィトゲンシュタインは哲学は論理であって、論理には限界があり、論理以外のものは示す、つまり行為で表すしかない、そして行為は哲学の役割ではない、といって、自分はこの「論考」をもって哲学のすべてと世界の謎をすべて解明してしまったから、もう何もすることが無くなった、と言って、哲学を捨て、小学校の教員になりました。 自分の言ったことを実行に移したわけです。 まあ、29歳の若者の若気の至りです。 世界の謎が解けたなんてありえない。 だけど後にウィー学団のシュリックやライヘンバッハによって論理実証主義の聖典になり、ハイデガーなどの形而上学の命題をナンセンスだと言って非難することになります。 「論考」があのような箇条書きになったのは第一次大戦で捕虜になったとき、営倉で、トルストイの「要約・福音書」を読んだせいで、それが箇条書きになっていたのです。 それを熱心に読んで、そのスタイルを真似したのです。 そして彼は信仰と倫理について深く考えていました。 戦争中だったので死についても考えたのでしょう。 それが「論考」に反映しています。 だけど後年、自分の言ったあれは間違いだったと言って、哲学に復帰します。 そこであなたの質問ですが、前にも言ったかと思いますが、かれにはショーペンハウワーとカントの表象(論理)と対象とか世界が並行論的に対応しているという考えがあり、 要素命題(ラッセルの原子命題)には事態が対応し、その事態には、成立しているものと成立していないものがあり、成立している事態が、事実と言われるもの。 では事態とは具体的には何を言うのかといえば、「この花は白い」というような命題のことです。 だけど花が白くないこともあり、その場合は事態が成立していないことになります。 そして成立している事態が「事実」と言われるものです。 そして成立している事実の総体が、「世界」と言われます。 この場合の「世界」とは私たちの考える物の集合としての世界ではなく、事実の総体ですので注意する必要があります。 ラッセルは世界といったら物の集合と考えていたので、「論考」の序文を書いたとき、ウィトゲンシュタインはオレのことをぜんぜん理解していないといってカンカンになって怒りました。 そして事態は対象(事物・物)の結合です。 前に言った「この花は白い」という命題を考えれば分かります。 「この花」という対象・事物と、「白い」というその物の性質を主語と述語で結合したものが命題ですから。 要素命題、事態、事実、世界、論理空間、対象・・・・・などの用語を定義することが、「論考」の前半です。 「論考」の一番の問題は要素命題というのが具体的に何か、ということです。 ウィトゲンシュタインは後年、要素命題を否定しました。 3と4でいう思想とはフレーゲの考え方。 そして真理関数理論がウィトゲンシュタインの独創的な部分で、複合命題を要素命題に分解して、それぞれの要素命題の真理の組み合わせで、全体としての複合命題が真理になる場合と偽になる場合を関数表によって示しました。 そして5-6、を境に主体を論じ人生だとか倫理に話が移って行きますが、それまでと調子が異なり、私としては首をかしげる部分です。 ウィトゲンシュタインが頭が変になったのか、と思いました。 それ以前とつながらない。 そして最後に至って、あの有名な「語りえないことには沈黙しなければならない」が来ます。 私は「論考」はあまり纏まりのいい本じゃないな、という感想を持ちました。 色んなものがいっぱい詰めすぎ、終始一貫していないところがあります。 だから私はウィトゲンシュタインの本としては後期の「哲学探究」とか「青色本・茶色本」そして「確実性の問題」の方が好きで、現在はもっぱら「確実性の問題」に関心が移っています。 「論考」の解説書としては野矢茂樹の「論理哲学論考を読む」があり、滝浦静雄「ウィトゲンシュタイン」があり、「論考」に刺激を受けて書かれたラッセルの「論理的原子論の哲学」があります。 あとちょっと専門的になりますが、アンソニー・ケニーの「ウィトゲンシュタイン」が参考になります 読んでみてください。