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《押しつけはいけない》は押しつけではないか?
どうでしょう? 自分の意見を他人に押しつけてはいけないという意見を表明することは 押しつけではないですか?
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ラッセルとか出てくると、発言したくなっちゃうんですよね(^^;)。 ラッセルのパラドックスの数学的証明自体は、至極簡単です。#7さんの言った手順の通りです。ただちょっと普通の証明にはない違和感があり、高尚な哲学問題と見られがちだが(←本当にそうなのかも知れないが)、技術屋として言わせてもらうと、ここでも意味論と構文論が衝突してるだけだ。そんな事例は現実世界にはごまんとある。 自分も、押しつけになるかならないかは、実際には文脈(メタ理論)によると思います。ラッセルのクラス理論も実際には、数学として明文化されないメタ理論の発想が先にあり、いわば押しつけになるケースとならないケースを、論理学の理論構成として区別した訳です。ただし区別出来ただけで、その区別が現実の文脈とどう関わるのかなどは考慮の埒外だし、逆にどう関連付ければ良いのかを、本気で研究した人もいない。きっとみんな、クラス理論を読んだ(聞いた)瞬間に、現実とは、ほとんど関わりないと思ったからでしょう。 この前も言ったように自分は、このような抽象理論を現実の文脈と強引に関連付ける事については、すごく懐疑的だ。じっさいラッセルのクラス理論は、カントルの素朴集合論の矛盾を解決するためのものだった。そして誰もが唸るほどには妥当に、解決はできなかった。 大きなお世話でもう一言いえば、今回はもう少し質問の意図を説明しても良かったんじゃないですか?。じっさい自分は、この質問の意図がわかっておりません(^^;)。
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こんばんは。そろそろ登場してもよろしいでせうか。 クレタ人の話は、新約聖書、テトス1章12節ですね。バートランド・ラッセルのタイプ理論については、むづかしい本を読まなくても、 井上ひさし『私家版日本語文法』新潮文庫 247ページ以下 で、笑ひながら読めます。
お礼
ご回答をありがとうとございます。 ★ そろそろ登場してもよろしいでせうか。 ☆ いかにも真打ちが登場しますよと言わんばかりですね。 そういう受け取りかたがなされるセリフですよ。老婆心ながら。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ クレタ人の話は、新約聖書、テトス1章12節ですね。バートランド・ラッセルのタイプ理論については、むづかしい本を読まなくても、 井上ひさし『私家版日本語文法』新潮文庫 247ページ以下 で、笑ひながら読めます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 《床屋さん》というものですから 聖書記事から離れました。 井上ひさしの本も 読んでいません。大野晋と丸谷才一とともに 日本語相談として回答者になっている質疑応答集は読んだと思いますが。 井上は しっかりと問題を解決しているのですか? まぁ それほど言うのでしたら しているのでしょう。 けっきょくそれをわたしが読まないなら 結論のゆくえは分からないということになりそうです。
- urigadai2013
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ラッセルの「うそつきパラドックス」にこう言うのがあります。 「クレタ島の床屋が、クレタ島人はみんなウソつきである、といいました」と。 果たして、床屋はウソつきか、それともウソつきでないか? もし床屋がウソつきでなければ、床屋の言っていることは正しいことになり、床屋はウソつきになる。 逆に床屋がウソつきならば、床屋の言っていることはウソになり、床屋はウソつきでないことになる。 パラドックスになります。 あなたの質問・・・「押しつけはいけない」は押しつけではないか? だとすると、「押しつけはいけない」は、押しつけであることになり、矛盾することになる。 逆に「押しつけはいけない」が、その通りならば、「押しつけはいけない」は押しつけではなくなるから、矛盾する。 どっちにしてもパラドックスになる。 「自分の意見を他人に押し付けてはいけないという意見を表明することは」、押しつけである場合もあり、無い場合もある。 「押しつけてはいけない」と言っているのだから、正直に受け取れば、それは押しつけではない。 素直でなく、ひねくれて受け取れば、「押しつけてはいけない」ということは「押しつけ」になる。 要するに自己言及のパラドックスの問題。 ラッセルは最初の文とその後の文を1階と2階に分け、タイプ階型理論によって、それを解決した。 ウィトゲンシュタインは簡単に、自己言及するからパラドックスに陥るんだから、自己言及しなければいい、自己言及を禁止すればいい、といいました。 つまり、「押しつけはいけない」と言われたら、素直に「そうですね、押しつけは良くないですね」と答えればよい、ということになります。 あなたのように、「押しつけはいけないは押しつけではないか?」とひねくれて考えずに・・・・・・ つまり自己言及しないことです。 「押しつけてはいけない」と言われたら、そのまま素直に受け取ればよろしい。
お礼
うりがだい2013さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ★ 「押しつけてはいけない」と言っているのだから、正直に受け取れば、それは押しつけではない。 ☆ ここで笑っちゃいました。うりがだいさんともあろう人が 《正直に受け取れば》ですか。 これはね。論理などのその表現内容のもんだいではないということ。ここが ミソです。 どういうことか? つまり 当事者ふたりが 上下関係にあるとすれば 《おしつけの内容》が《正直に受け取れる》ようなふつうにまっとうなことなのかどうかにかかわらず――つまり内容に関係なく――その権限にまかせておまえよ この指示を飲めというとき それは《押しつけ》だとなるのです。 あるいは 利害関係をちらつかせて 飲めと迫るとか。あるいは 脛に傷のある人間に対してなら そのことをばらすぞと脅して 飲ませるとか。――こういう場合は 押しつけなのです。 つまりは 内容がいかにきびしいものであっても 内容だけからは 押しつけという言語による自己表現なる行為は あり得ないのです。これが 表現の自由です。 なんでここで こんな講義をしなきゃならないの? ★ 「クレタ島の床屋が、クレタ島人はみんなウソつきである、といいました」と。 ☆ 床屋さんは じつは キプロスから来た外国人であったかも知れない。と言って茶化すことはやめにすれば 要するに問題は 《みんな》という言葉に 特に論理学者は 引っかかってしまう。というだけのことです。 《パラドックス》という用語を使いたいだけなのではないですか? 《ほとんどみんな》の意味だとか 《三分の二だとか 過半数だとか》 そういった意味合いで床屋さんは言っているに過ぎない。 これが 日本人の哲学の示す正解です。 ★ 素直でなく、ひねくれて受け取れば、「押しつけてはいけない」ということは「押しつけ」になる。 ☆ だ・か・ら 表現の自由という黙契に落ち着くのです。言いかえると どれだけ批判をおこなっても 自由だという意味です。ことばだけの問題であるなら たとえ《おしつけ》に成ってもかまいません。むしろ気をつけなければならない問題は プライワシの問題などです。 ★ 「押しつけはいけないは押しつけではないか?」とひねくれて考えずに・・・・ ☆ のあとは 批判をふくむ言語表現についても まったく自由なのですねと確認しあう。これが つづきます。 ★ ラッセルは最初の文とその後の文を1階と2階に分け、タイプ階型理論によって、それを解決した。 ☆ すみません。大きな口をたたいておきながら このことは知りません。と白状しておきます。 ★ 「押しつけてはいけない」と言われたら、そのまま素直に受け取ればよろしい。 ☆ という押しつけを よく平気でやりますね。と言われたなら それは みな例外なくひねくれ人間が言うことだと答え返して言い切ったわけですね。 だとすれば 《押しつけてはいけないよ》というセリフは 先に言ったもん勝ちと決まっていることになります。それでよろしいですか?
- 雪中庵(@psytex)
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#5の者です。 >その意見の示す内容を 採用して欲しい》と思わない >意見表明者がいましょう。 >採用を求めるのは おしつけですよ。 それが決められたルールである場合、それを守らない人に 注意するのは、その当人の意見ではなく決まりごとの確認です。 法律で死刑が定められた状況で、その社会に参加している人が 殺人を犯して死刑になったとしても、「これも殺人だから裁判官も 死刑だ!」と主張する事はできません。 ご自分のルールで運営できるサイトを、ご自分で開設して、 ご自由にどうぞ。
お礼
ご回答をありがとうございます。 再回答とは またまた。お天道様がひっくり返らないといいんだけれど。 ★ それが決められたルールである場合 ☆ これが 考え違いです。世間では 自由は公理として黙契のごとく認められているのです。 表現の自由。その下に 具体的な場での規則が 必要に応じて取り決められます。 何でこんなことをいちいち確認しなければならないのか。 もし 《世間》での問題ではなく ここなる質疑応答の場の話をしているのだとすれば: ★ それ(= 決められたルール)を守らない人に / 注意するのは、その当人の意見ではなく決まりごとの確認です。 ☆ そりゃあそうかも知れないけれど その《決まりごとの確認》は ここOKヱーヴでは する必要がありません。いえ してはいけないのです。ただ 通報をするのみなのです。 分かりましたか? こんな分かり切ったことを何度も言わせるな。 あとは 無関係のことのようです。
- 雪中庵(@psytex)
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意見を表明する事と、押し付ける事は違う。 意見の表明の場ではない所で意見を主張したり、 意見を求めているのではない他人の回答に対して 反対したりするのが、「押し付け」である。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ 意見を表明する事と、押し付ける事は違う。 ☆ 考え違いがあるのではありませんか? どこに《その意見の示す内容を 採用して欲しい》と思わない意見表明者がいましょう。 採用を求めるのは おしつけですよ。 けれども むろん じつは質問の趣旨は その段階にはとどまっていません。意見表明は まったく自由である。ということを 煮詰めた議論としては 言おうとしています。 ★ 意見の表明の場ではない所で意見を主張したり、 ☆ いまは 《場》の問題ではありません。質問をよく読んでください。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ 意見を求めているのではない他人の回答に対して 反対したりするのが、「押し付け」である。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ほんとうは 何でもかんでも ○ 反対されると「押し付け」だと感じる。 と言おうとしているに過ぎないのでしょう。 また ★ 意見を求めているのではない他人の回答に対して ☆ とあります。 どうしてもこの質疑応答の場で問題として扱いたいとのことのようですから 応じますが: もし《意見を求めているのではない》とすれば――このOKヱーヴでのやり取りにかんしてですが―― 情報交換とは言いません。また 《回答》というとき それが ほかの人の意見を求めていないとすれば その回答者の回答は まったくの正解であるとみづから言い放ったも同然です。それでよろしいですか? そうして 最後にまだ 難点が残っています。 ★ 意見を求めているのではない他人の回答に対して / 反対したりするのが、「押し付け」である。 ☆ と言い放って 文章を切っているということは そのような押しつけは いけないことだから つつしみなさいという含みがあると受け取らねばならないでしょう。 そうしますと その含みにおいて この文章のヌシは 《そのような押しつけは やめなさい》という押しつけをおこなっている。ことは 明白な事実です。 こういう問題です。
- jusimatsu
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>このように考えますと そーゆー理屈が判って無いから、この質問があるんだろ?
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ◇(回答No.2) >このように考えますと そーゆー理屈が判って無いから、この質問があるんだろ? ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ええ。質問者の立ち場も 同じです。そのお礼欄に書き込みました。 ただ《メタ規則》であるなら 規則を守ろうというふうにして或る意味で《押しつけ》になったとしても いや ならないというのでは まだその理屈が分かりません。納得が行きません。 そのとおりです。確認していただきました。
- NemurinekoNya
- ベストアンサー率50% (540/1073)
#2の付け足し。 言語学の方で、メタ言語というのがあるじゃないですか。 わたしは、人間語の言語学は知らないのですが・・・。 メタ言語とは http://i.impressrd.jp/e/2008/02/22/382
お礼
前回のお礼欄にて さらに補足要求を提出しています。 よろしくどうぞ。
- NemurinekoNya
- ベストアンサー率50% (540/1073)
「自分の意見を他人に押しつけてはいけない」は、たぶん、メタなんですよ。 メタ規則、規則の上位に位置する規則、規則を規定する規則なので、ふつ~の規則と同列に扱ってはいけないんじゃないでしょうか。 このように考えますと、悪循環には陥らない、と思います。
お礼
こんにちは。ご回答をありがとうございます。 ◇ 「自分の意見を他人に押しつけてはいけない」は、たぶん、メタなんですよ。 / ・・・規則を規定する規則なので、ふつ~の規則と同列に扱ってはいけないんじゃないでしょうか。 ☆ それならそれで そのメタ規則なる内容について 根拠をしめして議論をしておくべきではないですか? 必ずしも自明ではないはずです。 つまり 見解の表明というのは ごくふつうに自分のをもふくめて人びとの意見についての批判をふくみ得ます。 つまり 批判をおこなうということは その内容を――理論的・論理的な根拠にもとづき――誰もが採用するようにしましょうという含みを持ちますから 言わば《押しつけ》をおこなおうとしています。 批判一般 あらゆる批判が いけないというのでなければ 《メタ規則としての〈押しつけはいけない〉》についての根拠説明をする必要があります。どうでしょう? しなくても メタ規則だからというように ◇ 考えますと、悪循環には陥らない、と思います。 ☆ と帰結することが出来ますか?
- jusimatsu
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それ言ったら、結局、無限ループ地獄なんだが?
お礼
こんにちは。 悪しき無限判断に落ち入るかどうか? もう少し 推論を伸ばしてもらえませんか?
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お礼
おっと でーでーてーさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ラッセル理論としては: ★ ~~~~~~~~~~~~~ ラッセルのクラス理論も実際には、数学として明文化されないメタ理論の発想が先にあり、いわば押しつけになるケースとならないケースを、論理学の理論構成として区別した訳です。 ただし区別出来ただけで、その区別が現実の文脈とどう関わるのかなどは考慮の埒外だし、逆にどう関連付ければ良いのかを、本気で研究した人もいない。きっとみんな、クラス理論を読んだ(聞いた)瞬間に、現実とは、ほとんど関わりないと思ったからでしょう。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ということですか。 でーでーてーさんご自身の回答としては: ★ 自分も、押しつけになるかならないかは、実際には文脈(メタ理論)によると思います。 ★ 技術屋として言わせてもらうと、ここでも意味論と構文論が衝突してるだけだ。そんな事例は現実世界にはごまんとある。 いや 何だかご不満がおありのようですね。 ★ この前も言ったように自分は、このような抽象理論を現実の文脈と強引に関連付ける事については、すごく懐疑的だ。じっさいラッセルのクラス理論は、カントルの素朴集合論の矛盾を解決するためのものだった。そして誰もが唸るほどには妥当に、解決はできなかった。 ★ 大きなお世話でもう一言いえば、今回はもう少し質問の意図を説明しても良かったんじゃないですか?。じっさい自分は、この質問の意図がわかっておりません(^^;)。 ☆ ラッセルへの不満なのか。質問者への叱責なのか。 質問者のコンタンは すでに触れています。 ☆☆ (No.5お礼欄) ~~~~~~~~~~~ どこに《その意見の示す内容を 採用して欲しい》と思わない意見表明者がいましょう。 採用を求めるのは おしつけですよ。 けれども むろん じつは質問の趣旨は その段階にはとどまっていません。意見表明は まったく自由である。ということを 煮詰めた議論としては 言おうとしています。 ☆☆ (No.7お礼欄) ~~~~~~~~~~~~ だ・か・ら 表現の自由という黙契に落ち着くのです。言いかえると どれだけ批判をおこなっても 自由だという意味です。 ことばだけの問題であるなら たとえ《おしつけ》に成ってもかまいません。むしろ気をつけなければならない問題は プライワシの問題などです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ あとは 権限関係を笠に着て相手に自分の意向を飲ませる。これが 《おしつけ》であると言っています。言語表現の外で コトは繰り広げられているという意味です。 だから やはり表現の自由に話は 落ち着く。ということを言って 問うています。どうですか?
補足
★ ここでも意味論と構文論が衝突してるだけだ。そんな事例は現実世界にはごまんとある。 ☆ これは 言い得て妙であると 見直しました。(気がつかなかっただけぢゃないか このぶらじゅろんぬ野郎!)。