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遊びを生まれた目的とは?
- わたしたちは、遊びをするために、戯れるために生まれたのでしょうか?遊びをせんとや生まれけむ。
- 子供は遊ぶために生まれてきたとも解釈されるが、何なのでしょう?遊びをせんとや生まれけむ。
- 産業革命後のイギリスと日本の子供の違いは、何に由来しているのでしょうか?
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いぢわるぢいさんの出しゃばるところだと思い込みまして。・・・ ▽ 仏は常にいませども 現(うつつ)ならぬ ☆ とさとったところで あぁ とか あはぁ とかあるいは ▽ あはれ! ☆ という自己表出があった。 この《うつつ》にあっては 無限なるブッダターと 有限なるわが生わが思考わが感性とは 矛盾なり しかもこの矛盾をもちこたえるのが われらが非思考の庭なるハタラキなり 矛盾に我慢がならないのは おそらくこのウツツのほかに ブッダの常寂光土が別にあると思う その心なり よって あはぁ。 という表出を得た。 このウツツであそぶというのは おのれを日から日へうんうんと推しつつ 自分のために自分の家族のためにちょっぴり周りの人たちのためにも ちからを尽くすこと。これよりほかにない。とさとることである。(無住処涅槃)。 この道をあゆむ者にはやがて魚が網に掬われるかのごとく何ものかに拾い上げられ そこにボディサトワなるハタラキもつけくわわり その人はたわぶれの中にもみんなと一緒にすすむという姿へと変えられてゆく。前史から後史へとステージをあらためて そこにあそぶ姿が実現してしまう。 それはあたかも子どもたちがあそぶ姿に似ているであろうとひらめいたゆえ こう語った。: ▽ 遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ揺(ゆ)るがるれ すなわち《ゆるがされた》のなら あそぶのは うつつのいま・ここであり――ここが ロードスであり―― あそぶ姿に変えられるのも すでにいま・ここにおいてである。(即身成仏。即得往生)。
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- kurinal
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NemurinekoNya様、こんばんは。 >「産業革命後のイギリスにおいては、子供は労働力。」 まあ、大多数に大雑把に見れば、そうなのかもしれないですが、 そうでない(施す側の)子どもも居たかもしれません。 「欧州の羊飼いは、牧童を雇った」というのを見たことがあります。 良くも悪くも、「自然とのタタカイ」だったのでしょう。
お礼
ヨーロッパの中世は、 子供を可愛いと思わなかった時代 http://blogpal.seesaa.net/article/42161114.html そういうお話、学説があるとか、ないとか。 新大陸アメリカからトウモロコシがヨーロッパを救った、という研究者もいたりして・・・。 あと、ジャガイモ。 回答、ありがとうございました。
- 0fool0
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ご質問の「遊び」は生きる事だと、私は解釈します。 正解かは判りませんが・・。 イギリス云々では、基督教の教義に見る事が出来ます。 基督教の教義では、人はエデンの園から追放された時に労働の義務を課せられました。 児童労働自体は日本でも欧米でも同様だと思いますが、スタンスは大きく違います。 日本では労働する事によって、幸せになれる。 基督教では生きる為に労働しなければならない。 日本の思想では労働も楽しみの一つとして、「労働の喜び」という考えがあります。 この思想は世界的に理解されていないです。
お礼
回答、ありがとうございます。 1830年代のイギリスでは、9才の少女が工場で一日19時間の労働をさせられていたという事例もあるようです。 http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/kindai/67-sangyou5.html 英国議会が児童労働の実態を調査した際の正式な記録です。 かなり劣悪かつ過酷な状況で長時間労働を強いられていたようです。 このためなのでしょう、 当時の一大工業都市のマンチェスターの平均寿命は、なんと15歳。 ひどい話ですよね。
補足
日本人にとって、 仕事は単なる賃金を得るための手段ではなく、 自己実現の何かなのかもしれませんね。 ひょっとしたら、 『荘子』に見られる勤労観が日本人の勤労意識に強い与えているのかな。 ○○道みたいな考え方が根底にあるのかしら???
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お礼
そう、 「わが身さへこそ揺(ゆ)るがるれ」 という言葉にすべてが集約される、収斂するのだ、 と思います。 だ・か・ら、 「遊びをせんとや生まれけむ 戯(たはぶ)れせんとや生まれけむ」 に、過去推量の助動詞「けむ」が使われている。 「遊びをするために」、「戯れるために」生まれてきたなんてことが嘘なのは、この歌の作者は分かっているですよ。 ではあるが、揺さぶられてしまう。 この、魂、我が身さへも、私の全存在を自然に揺さぶる「???」は何か、 これが問題なんです。 bragelonneさんの言葉を使いますと、《ブッダター》かもしれない。 ではなく、人間という存在の根源的《無明》のなせる業なのかもしれない。 《汚れちまった(オトナの)悲しみ》なのかもしれない。 回答、ありがとうございました。