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ご落胤の話を知りたい
平清盛が白河院のご落胤であったと言われています。この話は「平家物語」でも懐妊中の祇園女御を平忠盛に賜わり、その子が清盛だと言うのです。日本の歴史・中央公論社版で、明治26年に滋賀県胡宮神社の古文書にもご落胤の記載がある。清盛の母は祇園女御ではなく妹だというのである。日本書紀に記載のある仏舎利の一部を祇園女御を通じて清盛に渡し、それが奉納された(仏舎利相承図)というのである。白河院が祇園女御のところに通ううちに妹にも手をつけた。この話はNHK大河ドラマ『平清盛』でも描かれていた。 この時代、鳥羽天皇の皇子の崇徳天皇が白河院の子であることは衆知であったらしい。清盛か白河院のご落胤であっても不思議ではない。武士が公家になり太政大臣になるなど前代未聞のことであるからだ。忠盛が自分の子でもない清盛を跡取りにしたもの不思議なことです。 この真偽について質問しているのではなく、ご落胤とはこのようなものなのだろうと思っています。古くから天皇や公家や武家でご落胤はたくさんあったと思うが、隠しているのでよく分らない。源義家や源義朝のご落胤が東国源氏の家系になったことは公知のことです。天皇家や公家や武家のなかで、これは間違いないとのご落胤の話を知りたいのです。WIKIも見たが、何だか歯切れが悪い。
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- tote81jp
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- at9_am
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お礼
ありがとう。一休さんは有名でした。天皇のご落胤はいっぱいあっただろうと思われる。妾の子と言えば大正天皇もそうです。 http://www9.wind.ne.jp/chihiro-t/royal/Tennoke.htm