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《ウリナラ》は 《アフリカ的段階》だろうか?

 市民社会と公民圏との二階建て構造なる国家という社会形態を採ったとき 次のみっつの種類に分けてみた。  (α) 対話型:日本社会    (κ) 民衆暴君型:アフリカ型社会  (ω) 競争型:西欧社会  以下にこれを説明した文章をかかげます。その中から 韓国社会については むしろこの《アフリカ的段階》なる要素を色濃く持っているかも知れないのではないかとたづねてみます。ふと思いついたもので 気軽に問うものです。  セヲル号沈没事件や これまでの大統領が任期を終えたあとには 石持て追われるかの様相を呈しているところを捉えて 思い浮かんだものです。どうでしょう?        *  (0) 用語の設定  社会形態は いやしくも国家と称するようになるならば 市民たちの第一階とそして公民圏としての第二階とから成ると考えられ この一階と二階との社会力学的な関係のあり方によって 市民一般の生活のありさまや生活態度としての思想やが かなりの程度において規定される。こう考えます。   市民圏= 第一階: S 圏: 市民 S   公民圏= 第二階: A 圏: 公民 A   これら互いの力学関係: A ‐ S 連関制・・・(α)  こういう用語で説明して行きます。  (1) 国ゆづり型としての A‐S 連関制  (1-1) 日本における国家は 《国ゆづり》型であるゆえ 市民 S らは おとなしい。もともとおとなしく けんかをするほどに仲良しであった。  その中から出た公民 A らは 特に優秀であったゆえ 人びとは社会というヤシロにも特別な神棚をこしらえてやりもっぱらその空中庭園に住まわせた。この第二階となる神棚にまつりあげたことになる。  優秀であるうえに品行方正で申し分のないほど人間的な人間たちであったが ただひとつ玉にきずなのは つねに人びとから注目を浴びていなければ落ち着かない。お山の大将型であったことだ。  市民らは かれらに根負けして それならと言うので神棚をわざわざこしらえて そこを棲み処とさせた。人権を限定するような檻に住まわせたとも言えるのだけれど これが のちのち或る意味でわざわいともなった。  (1-2) 市民 S らの中には この第二階への出世志向が流行り病いのごとく起こり(=アマアガリ・シンドローム) ひとつには とうとう A 者公民たちにこびへつらうようになり ひとつには ゆすり・たかりをはたらき甘い汁を吸おうとするようになる者が出た。  このお二階さん志向――そして別様に言えば お上意識; つまりは アマテラス予備軍症候群――が絡んでくると 仲間どうしのあいだでも いざこざが絶えなくなる。  簡単に言ってこういうわけで 市民 S 者のあいだには まっすぐな心持ちにもとづく行動と どこか歪んだところのある振る舞いとそれら両面が見られることになる。  (2) A と S とが《競争型》なるその連関制  (2-1) つまり西欧の市民 S は そして公民 A も 誰もがおのれの中にお二階さん志向(または アマアガリ欲望)を持つ。すなわちひとりの個人がその内面においてあたかも《 A = S 》としての市民 S であり この市民 S が同じく《 A = S 》としての公民 A と成るという傾向を有する。こう推し測られる。  (2-2) すなわちこの競争型とは   (ω) 欧米型(または遊牧民型): A ( A=S ) ∽ S ( A=S ) 連関制  である。相似形の記号( ∽ )の意味は つねに転覆(回転=レヲ゛リューション)が起こり得るということを表わす。  言いかえるとその社会では 第一階においてすでに 《人は人に対して狼なり。( Homo homini lupus. )/ 万人の万人に対するたたかい( bellum omni contra omnes. )》という市民(《 A = S 》なる市民 S )どうしの意識の流れが関係し合っている。  そのような個人としての・ワタシとしての意識が互いに日常においてすらも対立しがちである。そしてそのいわゆる弁証法的展開が ふつうに見通されているのではないか?  (3) (α)および(ω) 両者の比較対照   日本市民が このアマアガリ志向に対して《くにゆづり》をしたと言う時 それは非戦論であり そうだとすれば それに対して欧米市民は 主戦論に立つものと考えられる。  土地に縄を張って ここはおれのものだと宣言したとき 言葉たくみににしろ力づくでにしろ その土地を獲ってしまえば 自分のものになると考える傾向なのだろうか。  日本市民は これこれはおれのものだと主張するときに どういうかたちにしろ争うことは 人間の弱さから来ると考え それならと言って 非戦論を採った。いちどゆづったら その神棚に挙げてしまったのだから おいそれとは返せとは言えない。言わない。おとなしい。ただ それだけのことだと考えられる。  ただしそのアマアガリ・シンドローム(末は博士か大臣かの出世症候群)の感染具合いに応じて 波風の立つこともある。  (4) さらに三つ目の A - S 連関制  これは 《アフリカ的段階》と呼ばれるもので ひとことで説明するなら 市民らに絶対主権があるようなかたちである。   (κ) アフリカ型:S (=じつは A ) ∽ A 連関制  ◆ (『アフリカ的段階について』 ヘーゲルを解剖学した世界観?) ~~~   http://y-bat.txt-nifty.com/doyo/2009/01/post-8de9.html  マルクスはインド・ヨーロッパ語圏の外にアジア的共同体を見出したが、吉本〔隆明〕はそのアジア的段階より前の段階としてアフリカを見出している。  ( a ) そこには殺生与奪権を独占し自由に行使できる王(* A )がいる。  ( b ) しかし、民衆(* ――《〈じつは A 〉なる S 》――)は豊穣と生活の保障と引き換えに王(* 権力)を認知しているのであって、不作や疫病があれば王は民に殺されてしまう。  ( c ) 生命の等価交換(という原始的なシステム)の上に成り立っていた頃の世界がそこにはある。  ( d ) 民衆(個人 S とその共同性)と王(権力と象徴= amaterasity アマテラシテ)は等価なのだ。  ~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ このアフリカ型(κ)は 特に( b )の特徴にかんがみて 民衆暴君型である。日本は対話型(α) 西欧は競争型(ω)であろうか。

みんなの回答

回答No.2

【日本~中国南部~雲南~ブータン】=ジャポニカ米稲作農耕文化 (温帯モンスーン&常緑照葉樹林帯)=土地に定着+年周期の生産 +集約労働=几帳面+協調性=A型 【朝鮮半島~中国北部~モンゴル・チベット・インド北部~中東】= 遊牧文化(半乾燥地帯)=ファミリー単位で草地を追って移動= ゴーイングマイウェイ+飽きっぽい+目的志向=B型 【太平洋~南アジア~インド南部~アフリカ】=狩猟採集文化(熱帯 ~亜熱帯)=環境に即応して生きる=情緒的+頑固+人間関係 重視=O型 (住んでみて分かった事)

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  のっけからジャブをかましますが メガネをはづすと とても孤高で独りの世界に閉じこもるとは見えないほどやさしい感じなのですね。  さて 回答No.1でのやり取りを見ていただけたでしょうか。  No.1のお礼欄から通し番号をつけることとします。  (す)  理念型と言いますか 社会のあり方についてのモデルをつくることには 一長一短があるようです。    いかに粗いとしても たたき台となって議論をすすめる上で役に立つ。  ただし その網の目の粗さからどしどしこぼれてしまう魚もある。  (せ)   今回取り上げてもらった地域環境的にして・したがってそこにおける生業のあり方にかんする問題にかかわった民族的な特徴ですが もしそれがおおむね妥当な見方であるとすれば・そうだとしても 今度は モデルが粗いというよりも 生活基礎的な特徴にして・しかも必ずしも国家といった社会形態のあり方に関する民族性にまでは 到らない――あるいは到っても ただちにどういう理論モデルとして利用すればよいかがわかりにくい――分析成果ではある。こう感じます。  (そ)  たとえば日本人は 肉食ではなかった。それが すでにじゅうぶん肉食文化を持つに到っている。――こういった歴史的な変化もあるわけです。言いかえると 簡単に民族性を規定するわけにも行かないところが つねにと言ってよいほど出て来る。のではないか。  (た)  家系ないし血筋が男系の一系であるというのが 遊牧民のあいだに見られる特徴だというとき これは――たしかに現代にまでもかなりの有意性を持って特徴を成すと思われるのですが(たとえば 韓国人のあいだの家系をしるした《族譜》の存在)―― ただし 次のようなやはり歴史的な変化も見られます。  (ち)  すなわち 男系の万世一系のときには 女性蔑視ではなくても男性優位の考え方や振る舞いのあり方が見られると言いますが それにしても クリスチアニティ―を受け容れたヨーロッパ社会において なるほど神は――大地母神なる母親のイメージではなく―― 父親のイメージである。ローマ法王は 《おとっちゃん(パパ)》です。    (つ)  ただし 絶対神が父親であって 社会が父系社会であったとしても その一方では 聖母マリアの信仰にも近いほどの崇拝も見られます。父性と母性とは それほど差別がついているわけでもない。  (て)  ことほどかように 一般にモデル分析は 一面的な片寄りをさえ招きかねません。  そういう意味では 今回の《みっつの類型への分類》にしても――これは 重ねて述べれば 趣旨説明欄におけるモデルと同じく《一短》を持つと言わねばならず そこからさらに蜀を望みますと言いたいのですが―― さらに探究をすすめて行きたい。特にここでは いわゆる二階建て構造としての国家においての《一階 vs. 二階の対立かつ協調の構造》をめぐって 考察を推し進めたい。とは思っております。  (と) 中国では 北部の遊牧民とその文化があり 中部・南部では 農耕が発達している。したがって その北からは モンゴル人の立てた元なる国家としての《 A-S 連関制》の問題もあれば 同じくでしょうかマンチュー(満州・女真族)人の立てた《清》国のそれの問題もあるかと見られます。  (な)  朝鮮半島は 一般に人びとはみな 遊牧民かその子孫であるのかどうか?  (に)   ★ 【太平洋~南アジア~インド南部~アフリカ】=狩猟採集文化(熱帯~亜熱帯)  ☆ というとき 決して暑い地域ではなく日本列島にあっても狩猟・採集・漁労の経済による生活がいとなまれていました。それも 一万年もの長きにわたっています。縄文人の時代ですが これが すっかり今では無くなったというわけでもないであろう。いわゆる原始心性ですが そのようにも考えられます。  (ぬ)  遊牧民のあいだの《男系一系》について 省きましたところの聖書記事をかかげておきます。  ◆ (マタイ福音1:1-17)) ~~~~~~~  1: アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。  2: アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、  3: ユダはタマル(女性)によってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、  4: アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、  5: サルモンはラハブ(女性)によってボアズを、ボアズはルツ(女性)によってオベドを、オベドはエッサイを、  6: エッサイはダビデ王をもうけた。・・・  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  (ね)   ただし こうは言っても――そして天皇氏の家系も このように伝えられていると言いますが ただし――血筋がいわゆる万世一系であるというのは 誰にも当てはまります。記憶や記録がないだけです。父親の系譜をたどって行けばよいだけです。  (の)  遊牧民の特徴として挙げられることは 短所としてはやはり帝国主義ないし植民地主義でしょう。  世界を所狭しと地球上のどの土地どの国に対しても 勝手に侵入し侵略し うまく行った場合には 二階から一階を見おろしてのごとくよきにはからえという統治をおこない しかもこれがしばしば上手く行く場合もあるようなのです。  (は)  少々こまごまとした話ですが 民主主義的な遊牧民は 人材登用にあたっては 適材適所をつらぬくと言います。  血筋や家門のいかんにかかわらず優秀で有用な人材を抜擢することがあるのだと。  このことが 対話・協調型の日本社会にあっても 片や合議制でトコロテン式の登用のかたわら 他方で人びとのあいだにアマアガリと呼ぶところの出世なる《競争》をも生んでいる。のでしょうか。  (ひ)  そのような方面のことで 日中韓ならこれら三国のあいだで どのような違いと共通性があるのか? こういった課題をも持つように思われます。  (ふ)  どうなんでしょう。この際 江上波夫の仮説をかかげて みなさんのご見解をうかがおうかと思います。  長く引用します。  ▽ (江上波夫:遊牧民と農耕民とについて) ~~~~~~~~~  牧畜・騎馬民族の特徴は 自分たち人間は労働するものではないという考え方です。働くのは牛馬や農耕民の仕事でね。自分たちはその上に立って支配する。軍事を司り 学問し 政治をする。   * (ぶらじゅろんぬ註) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   韓国社会では 自分のからだを動かすのは 下々の人間の  することだとされているそうです。   自転車は 自分で漕ぐので 嫌われるそうです。   会社では 体力仕事は何もしない会長とそうではなく社長  とでは 雲泥の差があるとかないとか。   あとは かつての貴族たる両班がそうであったとか。   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  牛馬と言えば もともと彼らはたいへんな発見をしている。羊 山羊 牛と馬 これだけ飼って世界を横行することを考えた。何もない所へ行っても これだけで全部間に合う。食べる方は乳と乳製品で十分 毛と毛皮で 服も夜具もテントもできる。それ自身が生きた缶詰です。  鞭ひとつで草のある所 水のある所へかついでいってくれ かってに子供も産んでくれる。あとは寝ていればみんな事足りる。人間よりよっぽど頭がいいですよ。    * もう少し引用してみます。近代以降の経済社会にまで触れるよう   になります。  彼らはやがて牛馬の代わりに機械を働かせるようになる。あるいは植民地の人々を働かせる。それが帝国主義となり 産業革命となり いわゆる近代文明を生んだ。  いっぽう農耕民族は人間は労働するものだという考え方なんですね。ここのところが牧畜・騎馬民族との大きな違いです。  農耕民族からみれば 牧畜・騎馬民族には文化がない 彼らは野蛮人だというのですが 文化の型が違うのです。  牧畜民は個人主義で 自由で 民主的です。文化は農耕民族の創出したものを摂取すればよい と考えている。  実際にいろいろな文明を融合して普遍性のある世界的な文明をつくってきたのは農耕民族ぢゃなく 牧畜民なんです。  ヨーロッパでは 地中海世界ではなくてゲルマンが牧民なのです。そういう意味で 世界史における牧民の役割を明らかにするのが私のテーマになっちゃったんです。   (江上波夫(著者代表):天城シンポジウム 日本人とは何か――民族の起源を求めて―― 1980 pp.16-17)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  (へ)  さらにありましたら お寄せください。  生活感覚によっても得た文化区分をありがとうございます。

回答No.1

こんばんは。 日本は対話型なのでしょうね。 歴史上、暴君と呼べる支配者は存在しましたけれど、独裁者は存在しませんでしたから。 宮中における朝議は有力貴族による合議制ですし、もっとも強固な組織であった江戸幕府にしたところで、合議制。天皇や将軍は、直接政治にはタッチしません。というよりも、タッチさせてもらえなかった。 古事記においても、何か問題や厄介事が起こると、高天原の神々は集まって話し合いをする。そして、アマテラスはその決定事項にしたがう。 現代ですと、町内会やPTAなどが、そのいい例なんでしょう。 これが、太古の昔から続く日本人の変わらないスタイル。 ヨーロッパは、カトリックとプロテスタント的スタイルがあると思うんですよ。 カトリック社会は、基本、階層・階級社会なので、競争は起こりにくいと思うんですよ。変革などの動きは、上から起こる。カトリック社会で起きたルネサンス、有力な貴族から起こったわけですし。 対して、プロテスタント社会は、かなりラディカルですよね。 イギリスがプロテスタント社会なのかは、かなり疑わしいところがありますけれど、 プロテスタントでもっとも過激なピューリタンは、革命を起こし、王さまの首をハネてしまった。 教会や国王という社会的装置を抜きにして、神と人とは直接結ばれているので、国王など、ある意味で、どうでもいい存在。 しかも、プロテスタント論理ですと、勤労は美徳であり、その勤労の結果としての富も尊い。職業は神から与えられたものなので、人々は、義務として、せっせと働いて、金儲けをしなければならない。こういう社会では、激しい競争がおきます。そして、こうした社会には、不断の競争が存在するのでしょう。 競争をするのは、神さまが彼らに課した義務に違いない。 こうして考えますと、 進化論がイギリスで生まれたのも、ある意味で、必然的な出来事であったのかもしれません。 人は互いに競争しているのだから、動物同士もきっと競争しているに違いない。神は、きっと、そのように自然を作ったに違いない、と、ダーウィンは考えたのかもしれませんwww。 ダーウィンについての私の記述はともかく、 プロテスタントの信者にとって、競争は義務なんじゃないでしょうか。 ピューリタントが建国したアメリカという国家と、その倫理観と価値観を先祖代々受け継いできた、WASPと呼ばれる人たちの、やるからには何でも一番にならなければならないという考え、信念は、こうでも考えないと説明がつかない!! ───と言いつつ、書き進めているうちに、筆の流れで思いついたんですが・・・(ポリポリ)─── WASP的価値観では、NO.1以外はダメなんですよ。NO.2は負け犬なんですよ。どんなにすごいNO.2でも負け犬なんですよ。 たとえば、オリンピックのGoldメダリストは、その社会から、様々な名誉を得るだけではなく、富も与えられますが、銀メダリストは評価されないんですよ、アメリカでは。 なるほど、そういう理由があったのか、とひとり納得しております。 ~~~~~~~  ( a ) そこには殺生与奪権を独占し自由に行使できる王(* A )がいる。  ( b ) しかし、民衆(* ――《〈じつは A 〉なる S 》――)は豊穣と生活の保障と引き換えに王(* 権力)を認知しているのであって、不作や疫病があれば王は民に殺されてしまう。  ( c ) 生命の等価交換(という原始的なシステム)の上に成り立っていた頃の世界がそこにはある。  ( d ) 民衆(個人 S とその共同性)と王(権力と象徴= amaterasity アマテラシテ)は等価なのだ。 ~~~~~~~~ エジプトは違うのでしょうが、そうみたいですね、アフリカは。 何かの本で、こういうことを書いてあるのを読んだことを思い出しました。 アフリカでも、地中海に面したところは違うんでしょうけれど。 で、質問の《ウリナラ》は《アフリカ的段階》なんですが、そうなんでしょうね。 大統領は、その職を去ると投獄されたり、そうなる前に自殺したりするんで。 見せしめと言いますか、スケープゴートにされるといいますか、 そうしないと気がおさまらない社会であり、民族性なのではないでしょうか。 現在の大統領なんか、かなり危ないと思いますよ。 在職中に命を奪われるかもしれませんよ。

bragelonne
質問者

お礼

 お早うございます。ご回答をありがとうございます。  (あ)  事例を交えた検証をすすめていただくお話を聞くにつれて これは おおきな主題であるなぁと感じました。  人間と社会とについて歴史的にまた理論的にきちんと把握して行かねばならないようであると。  ということは この A-S 連関制といったモデルが まだまだ粗いものだということでしかないようでもあるのですが。  (い   この質問については まづわたしは  ☆☆ 韓国人は じんるいのあいだで化石人間ではないでしょうか。  ☆ と言ってしまいました。すなわちその意味は:  ☆☆ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ただし わたし自身も 原始心性の化石として存続しているのが韓国人だと言ってしまっています。心的現象の内に思いや考えの筋を見ることなくいっさいが混沌とした状態にある原始心性。  (いえ さすがに現代人として《論理も倫理も》 じつは知っています。知っていながら しかもそれを混沌のブラックホールの中へ投げ入れてしまって しっちゃかめっちゃか状態を《たのしんで》いるようです)。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ この《原始心性》とそしてセヲル号沈没事件で大統領や首相が右往左往するほどに叩かれる事態とを合わせると このいまの《アフリカ的段階》という問題があったなぁと思ったところからです。  (う)   けれども このような市民 S の側の主導権を握ったようなチカラは 考えてみるに 戦後の独立を得て民主主義の国に成ってからのことであるかも知れません。この点は どうなのでしょう。  (え)  あるいは ひとつに――昨夜思い出したことを忘れないうちに書いておくのですが―― 儒教社会だと言われるからには 例の孟子の《民爲貴 社稷次之 君爲輕》なる言葉を出してみなければならないかも知れません。  ■ (孟子:尽心章句) ~~~~~~~~   人民がもっとも重要で 土地の神と穀物の神である社稷はこれに次ぎ 君主はもっとも軽い。   だから衆民の人望を得ると天子になり 天子のお気に入ると諸侯になり 諸侯のお気に入ると太夫になる。   諸侯が社稷つまり国家を危機に陥れると 退位させられる。肥え太った獣を犠牲とし 清浄なお供えをささげ決まった時期に祭祀しているのに 干害・水害がおこったならば 社稷の神自体を新しい神に変える。    (尽心章句 下 236 貝塚茂樹訳)  cf.《民を貴しと為し、社稷之に次ぐ。(孟子)》   http://blogs.yahoo.co.jp/idefix0220/28817032.html  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  (お)  ちょうど昨日でしたかに新しい首相に指名された人が その過去の発言について問いただされようとしているというニュースが出ました。  ▲ (<韓国>「植民地支配は神の意思」首相候補、過去に発言) ~~~  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140612-00000072-mai-int  文昌克(ムン・チャングク)氏は2011年、自身が幹部を務めるキリスト教教会での講演で、日本に植民地化されたことについて「お前たちは朝鮮時代の500年を無為に過ごした民族で、試練が必要だ(との意味だ)」と発言。南北分断についても「神のおぼしめし」と述べた。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ こうだとすると 《試練》を経たあとの・民主制が始まった現代の韓国社会のほうが その素顔を見せているのかも知れない。とは思われます。  素顔は原始心性であるという見立ては 《五百年の無為》とそれほど違わない。とすれば。  (か)  欧米については  ◇ ヨーロッパは、カトリックとプロテスタント的スタイルがあると思うんですよ。  ☆ うんぬん。というふうにヘブライイズムないしクリスチアニティの要素を大きく捉えて分析されています。  これについて――つまり西欧社会=競争型の A(A=S) ∽ S(A=S) 連関制だという見方について―― 別の角度から捉えた議論をも添えたいと思います。  (き)  例によって 江上波夫の騎馬民族論です。  ▽ (『江上波夫の日本古代史――騎馬民族説四十五年』)~~~~  騎馬民族の社会〔は〕   1.民主主義的    2.主知主義的    3.機能主義的    4.国際主義的  といったような 共通な特徴をもち    5.優れて人間中心で    6.すべての民族に解放的な 自由な性格の   7.実力優先の社会であった・・・。  このような古代遊牧民族の社会は 《有形な文明》は持たなかったが 《頭脳の文化》《無形の支配者文明》を持っていたので それがあってこそ彼らは農耕都市文明地帯に征服王朝を建て 多民族の世界国家を建設することができたので またそこにおいては東西の文化を交流させ 地方的な土着の文明 宗教の権威を打ち砕き それらの物質文明を人間中心の理念によって再編成し 様々な世界文明――古代ペルシャ文明 ヘレニズム文明 キリスト教文明 仏教=クシャン文明 アラブ=イスラム文明 ゲルマン=西欧文明などを生成する契機をつくった・・・。  すなわちそれらの文明は ユーラシア大陸の古代遊牧騎馬民族の《頭脳の文明》 眼には見えない《無形の支配者文明》を共通の根源としてもってお・・・ったのである。・・・(1992 p.347)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  (く)  日本社会を国家として作ったのは この騎馬民族ではないかという話は その思想的な要素としては かなり説得力があるように思われます。なぜかと言えば 例のマタイ福音書の冒頭に 男系の血筋が述べられていますが これが遊牧民に固有の《家系ないし先祖関係》の事情だと言います。  すなわち  ■ (《埼玉古墳群における稲荷山鉄剣銘文》に見る系図の記録例)~~~  ヲワケの臣 上(かみ)つ祖(おや)の名は オホヒコ。  其の児〔の名は〕 タカリのスクネ。  其の児の名は テヨカリワケ。  其の児の名は タカハシワケ。  その児の名は タサキワケ。  その児の名は ハテヒ。  その児の名は カサハヤ。  その児の名は ヲワケの臣。  世々 杖刀人(たちはき)の首(をさ)となり 事(つか)へ奉り来りて今に至る。・・・  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 農耕民にとっては 養子を取ることにも抵抗がなく 男系の家系を重んじることもないようですから。  (け)  いまなぜこういった事柄をこまごまと持ち出しているかと言えば 日本が A-S の分離して逆立ちした連関制だというとき 西欧やあるいは韓国と同じように《遊牧騎馬民族》の血ないし思想的な要素が入って来ているかも知れないとすれば それは 何を意味するか? が問題となると思われるからです。  (こ)  もっともヘブライイズムもヘレニズムも そしてゲルマンもみな 《民主主義的で自由な国際主義的でさらに人間中心主義》といった特徴を持つとすれば そのような共通性とそしてヨーロッパにおけるクリスチアニズムによる影響とは けっきょくそれほど変わらないことだとも見られます。  (さ)  アメリカで  ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  WASP的価値観では、NO.1以外はダメなんですよ。NO.2は負け犬なんですよ。どんなにすごいNO.2でも負け犬なんですよ。  たとえば、オリンピックのGoldメダリストは、その社会から、様々な名誉を得るだけではなく、富も与えられますが、銀メダリストは評価されないんですよ、アメリカでは。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ というとき それは 競争型がひとつの極へと振り子の振り切った姿だということでしょうか。  (し)  ちょっと収拾がつかなくなって来ました。最後にあらためて むしろ特殊な見解としての江波説を掲げておきます。  騎馬民族は その入って行った土地にまたその住民の生活習慣に同化すると言います。  ▽ (江上 前掲書) ~~~~~~~~~~~~~  征服王朝が征服している場合は武力による場合ももちろんありますが むしろ軍事力によってではなく 文化的に同化したり 政治・経済的に合作したり 結婚や買収や 盟約や談合や 外交手段などで 戦争による場合と同様な成果をあげて 相手を服属させたり 仲間に入れたりする無血征服の場合が多い・・・。(p.289)  ▽ (江上波夫vs佐原真:『騎馬民族は来た!?来ない?!』)~~~  近代を特徴づける   1.民主主義・   2.個人主義・   3&4.植民地活動・    2.実用的な学問・実験の発達  は 本来 遊牧騎馬民族の間にあったものだと思うんです。・・・   8.核家族制   9.契約制    5.土地よりも人間を問題にする人間主義    7.能力主義    1&5.平等主義    6.恋愛の謳歌    3&4.開拓・植民    2&3&7.知識・情報の愛好など  は 早くから騎馬民族を特徴づけたものです。・・・  動かざる農耕的な古代的文明をつくったものと それから 動く一つ一つは滅びて消えていったけれども それぞれが常にその時代におうじた騎馬民族的な役割を持ったものと その両者によって世界ができているんだと私は思うわけです。(1990 p.115f.)  ~~~~~~~~~~~~~~

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