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白河
藤原氏は、なぜ白河上皇に権力を略奪されたの?
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こんばんは 白河上皇は、後三条天皇の子ですね。父の後三条天皇は、藤原摂関家を外戚としない天皇として、摂関家に奪われていた政治権力を天皇のもとに奪還し、天皇の権威を回復します。 白河上皇は、さらに 1)摂関家に不満を持つ中下級貴族を院近臣(院=上皇の別称)として組織します。(手足となる僕=しもべとでもいいますか) 2)平正盛、源義家などを「北面の武士」として組織し軍事力を強化します。(いざとなったら力がものをいう) 3)このようにして、上皇=院に権力が集まると、それまで摂関家に荘園寄進をして庇護を求めていた地方領主などは、院に寄進をするようになります(寄らば大樹の陰ですか)。したがって、院は莫大な財力も持つようになります。 こうして、院には、ヒト・モノ(武力)・カネと三拍子が備わることになります。こうなると強いですよ。 さらに、白河上皇の政治=院政の特徴として、院政についての規定は(ほとんど形骸化しているとはいっても)律令にない、ということです。つまり院政は超法規的政治形態ということですね。したがって、律令や先例・慣例などに縛られないというフリーハンドの政治形態というわけです。(形式的には、律令制のトップは天皇ですが、上皇は天皇の父として君臨=律令法制度の上に君臨することになりますね) その点、政治手法の面でも、摂関政治という旧式の、律令法さらには(貴族にありがちな)先例・慣例重視という「過去の縛り」にある藤原氏を凌いでいた、ということができます。 要するに、ヒト・モノ・カネ・シュホウ(手法)ばっちりなわけで、これじゃあ藤原摂関家もたまりませんね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%A2%E6%94%BF http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BB%E5%A4%A9%E3%81%AE%E5%90%9B