• ベストアンサー

政治家の料亭会合の歴史について

 テレビではよく政治家が料亭に会合に入っていく画面が流されます。 江戸時代には殿様は自分の城なり、屋敷に家来をよんで政治向きの話をしていたようにうけとっています。  幕末から長州が京都で藩のお金を湯水のように使って、京都の庶民の人気を勝ち得たりし、明治になってからは井上馨は芸者40人もつれて歌舞伎を見に行ったりして、薩長藩閥の国費の私物化をして、西郷隆盛も失望して、鹿児島に帰っています。  満州でも関東軍は、夜の宴会で無礼講をしたりして、中国人の侮蔑を買ったりしています。  戦後60年余り、なにを宴会で話する必要があるのでしょうか?議員会館もあるし、自民党本部もあるし、首相公邸もあるし、宴会に掛かるお金の出所もいまいち納得のいかないものがあります。  以前より、少なくなったとはいえ、今も活発な宴会政治は明治にはじまったのですか?長州人の遺産ですか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.2

政治家うんぬんというより、もちょっと世俗的に考えてみたいと思います。 近年、「ノミニケーションの復活」が指摘されています。かつて日本の会社文化では夜の宴会を一緒に過ごして相互理解を深めるというものがありました。80年代以降そういうノミニケーションは避けられるようになってきました。お互い「個」を大切にしようとなってきたんです。ところが最近、それで相互のコミュニケーションが少なくなってきたということが指摘されるようになりました。 会社の中だけのシラフの関係では人間なかなか本音を出さないですし、お互いの心の琴線に触れることは難しいんですね。 私個人の経験ですが、今までいろんなところで仕事をしましたが、いい仕事ができたところでは例外なくそこの部署内で飲み会がしばしば行われたり休みの日にバーベキューをやったりと「課外活動」が活発でしたね。しかも、そういう飲み会じゃないと上司も部下も本音を口にしないですし、極秘情報(今度こんなプロジェクトがあるんだよ)なんてのはそういう席じゃないと手に入らないんですね。人間、社内では極秘情報てのは口にできないんですよ。 で、ちなみに料亭とかそういうのが発達してくるのは江戸時代後半になってからですが、江戸時代には太夫(高級娼婦)を身請けしたお殿様やご家老様が結構いました。 こう書くと「日本人は・・・」と思われるかもしれませんが、ヨーロッパでも似たようなものがありまして、高級レストランというのはそもそも愛人(高級娼婦)との会食に使う場所だったんですね。だから、奥さんに「私もレストランていうところに行ってみたいわ」とねだられた貴族が奥さんと愛人と3人で会食した、なんてこともあったそうですよ。

noname#94392
質問者

お礼

ありがとうございます。  アメリカではホームパーティがよく行われているようですが、その代用ですかね。でも日本の宴会では奥さんは一緒に連れられていませんね。防衛次官が奥さんにも甘い汁を吸わせてしまったことは新しいですね。仕事の話がらみなら男同士のほうがいいのですかね。宴会政治がなければ中川さんんも大臣の職を全うできたでしょう。  杉浦日子さんの「お江戸でござる」では花魁の大夫がひかれるのは江戸時代ではOKだったようですね。自分の金ならいいんでしょうね。  欧米ではパーティに奥さんを連れていかないと浮気をうたがわれる可能性が高いのかもしれません。幕末にきた外国人は日本人の性的だらしなさにびっくりしていますが、日本には日本の事情があったようです(逝きし世の面影)。  中国の情報機関は日本の政治家の弱いところは酒と女と見抜いていて、過去につけこまれた首相もいましたね。        

その他の回答 (3)

回答No.4

 我々は仰せのところには参りませんでしたし、場面もあくまでもお互いの気質と本音の確認、ところでぶっちゃけたところでは、口外することなく、お互いの含みということで、・・・。  という次元です。  仕事の仕方の進行での担当者同士の意志疎通。  お互いの立場や内部の情報のことのご理解しあいと協力しあいの打ち合わせをざっくばらんに、打ち明けあう場ですからね。

noname#94392
質問者

お礼

ありがとうございます。  せっかく日本文化をサポートしてもらえるなら、能鑑賞など交えるといいでしょうね。戦国時代の武将がよく能会を催していますね。

回答No.3

 過去とはなったが現代史では児玉や小佐野というのはそういう政商というかフィクサーというのでしょうか。児玉は大佐扱いの軍属として、中国で挑発した貴金属をカマスに二つとか持ち帰り戦後の政治の裏実力者となっていますが、財閥の創始者は得てして、政治や軍事という権力からの見返りのある、好事にくいついていたのですね。まことに魔多しですね。  政商、御用商人なくしては政治や仕事はできないのでしょうかね。  建前はともかく、ところで本音は、というところ、裏。  これは場を変えないと出ないところなのでしょうし、根回しもそういう場が必要なのですね。  ちょいと待てよ、とはとてもしていられない。これが問題なんですね。  回答番号:No.1  白状すれば、私も実務の下っ端でしたが、連日列席し、いい気になっていました。  経費は一定のところからでます。  これを廃止することは、多分無理ではないかと存じます。  本当は心置きなく、仕事でなく、家や友人と静かに飲みたくても、それはできない。  仕事の内なんです。これで心身をいためる人も結構多いのです。  タフでないと無理です。政策や方針、選択問題では。  せいぜいジャーナリズムに騒がれないと、歯止めは利きません。

noname#94392
質問者

お礼

白状までしていただいてありがとうございます。  いろいろ列席されたのは、企業が官の本音をききたいからでしょうね。防衛省の武器購入などは商社がいないとできないように一部報道されていますが、一生懸命に情報収集できれば介在する商社は不要になるようにみえますがどんなものでしょう。 納入品価格が高いままとか随意契約が高い比率で維持されているとか、究極税金で支えられているところに今日の財政危機の一部をなしているとすれば、金がないとばかり叫ぶ官僚がうらめしく思えますね。  老舗料亭や三ツ星レストランの少なからずは社用族の落とす金で潤っているでしょうから、日本の食文化のサポーターなのかもしれません。 江戸時代の「八百善」などもいわゆる官を接待する社用族が多かったのかもしれません。 列席された場所がキャバクラやノーパンストリップなどの風俗でなかったことを祈っています。  

回答No.1

 せごどん(西郷)の話がでておりますので、関連して。  ある対談のとき、馴染の芸者が『せごどん、おかえりなさい。お江戸のお土産を。』というと、『うん、ほら。』と西郷、火箸で火鉢の赤々ともえる炭をはさんでだした。  芸者は、それを袂で受けて下がった。  二人は何事もなかった様子で、対談をすすめた。というエピソード。  宴会や料亭をどう利用してきたのでしょうね。  場を持つ、ちょいと奥のことを。というとき何かとそういう場が必要だったかもしれませんね。幕末以降。  幕末の道場は剣術の修業というより、論客や壮士たちの集合場所でもあったし、床屋さんは談義の場でもあったそうですね。  料亭での打ち解けた話は、やはり幕末からでしょうか。  芸者幾松も、彼女は半平太ですか?  藩邸から河岸を変えてとか。  その前は茶室が情報交換や、意見の伝達かな。  句会などもそうかもしれませんね。  狭いところで、出入り口も小さな。  インドや東洋の王制、王家や有力者では寝室だったでしょうね。  車や輿の中とか。今も運転手は一番情報を知っているとか。

noname#94392
質問者

お礼

ありがとうございます。  自分の懐から出して飲んで政治を語ることはいまでも大切なことですね。  茶室へ招くのも上等な接客、会談方法ですね。いまでもどんどんやってもいいと思います。  幕末では高杉晋作が船を買うと藩から預った2万両以上の金を遊郭で使ってしまいます。明治時代では、乏しい国家予算で日露戦争を戦い、戦後の日露交渉では賠償金をとれず、貧困に喘いでいたのに、長州出身の陸軍の長である山縣有朋などは陸軍の御用商人にたかって、一財産築いていますし、その御用商人に沢山の長州人が群がって甘い汁を吸ったとのことです。関東軍の参謀も御用商人に宴会の費用を持たせていたようです。  お酒を飲みながらの政治では、堅苦しくなくていいのかもしれませんが、誰の金で座を持っているのかを考えると「待てよ」となります。  政治資金で飲んでいるとすれば、議員が政治に金が掛かるのではなく、政治に金をかけていることになります。  料亭での会合が秘密ならまだしも、参加メンバーもわかっているので尻尾かくして頭隠さずになっているような感じです。

関連するQ&A