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大阪の陣で城に命中した砲弾数について
豊臣家が滅んだ大阪の陣においては、大砲が活躍したいわれていますが、何キロも離れたところから撃っているため、滅多にあたらなかったという話を聞きました。 そこで質問なのですが、徳川方のその滅多に当たらない大砲は、何発、天守閣などの建築物に命中したのか記録が残っていますか? また、もう一つ質問なのですが、徳川方は大阪城の一番外側の石垣に触れることさえできなかったという話を聞きましたが、一番外型の堀の石垣とは、どこのことでしょうか? 大きな城には3重ぐらいの堀があると思うのですが、大阪の町まで囲った、天守閣から見て一番外側の3番目あたりの堀の石垣、という意味でしょうか。 よろしくお願いいたします。
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- nene-k
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- あずき なな(@azuki-7)
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回答No.1
お礼
ありがとうございます。 こうして質問させていただいた以上、はっきりさせておきたいのですが、記録としては 冬の陣全体を通して「2発のみ」当たったという理解で良いのでしょうか? 「12月16日に2発命中した」ということはわかりましたが、それだけだったのでしょうか。。