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秀吉時代の大阪城と大阪の町

豊臣秀吉が作った大阪城と大阪の町が分かるような地図みたいなものを探しています どなたかご存知ありませんか? 単純な絵地図みたいなものでもかまいません 1・当時の大阪城の規模(天守閣の位置や堀) 2・当時の大阪の町の市街地 などが分かれば結構です

みんなの回答

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.3

補足として。 #2さんのおっしゃる図は本丸のみ(かなり詳しいですが)で、三ノ丸が書いてある絵図が発見されたのは昭和55年なので、それ以降の本を見ないと、曲輪の配置がわからないでしょう。

  • nene-k
  • ベストアンサー率42% (118/279)
回答No.2

#1さんのオススメの歴史読本を見てないので、それについてはわかりませんが、自分の知るところでは、元禄頃より以前の地図というのをあまり見た事がありませんねぇ・・・。 1、に関しては・・・ 確か、現在発見されている豊臣時代の大坂城の図面は、昭和三十五年(1960年)に江戸時代に京都大工頭だった中井家から発見されてものだけだと思います。 それまで、徳川時代の大坂城が、豊臣時代の石垣を利用して構築されたのが、豊臣時代のをすべて潰して建てたのかすら謎だったのが、その前年の地質調査で偶然見つかった地中の石垣と、その図面が一致した事によって、初めて豊臣時代の大坂城が現在の徳川の大坂城の石垣の下にスッポリと埋まっている事が判明したはずです。 現物は、たぶん非公開なので、書家の武内勇吉氏(号歩牛)が拡大模写したものなら、ネット上か何かの書籍に掲載されているかも知れませんね。 2、に関しては・・・ 大阪府治水事務所に江戸時代のものならありました↓ http://www.pref.osaka.jp/nishiosaka/3kikaku/map2.html こっちのほうが古そうですが・・・↓ http://www.geocities.jp/ku_da_ra/samplepage/ikuno-kushi.html あと、一番手軽なところでは、現在の地図の町名などで、ヒントを拾いながら考えていく事もできるかも知れません。 現代の大阪の町並みは、東横堀川から東は豊臣時代に、西側は徳川時代に町割が整備されたと言われているそうです↓ http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2008/09/post_3e53.html 町名も東横堀川を挟んで、西は「本町」、東は「内本町」、と、豊臣時代からある町には「内」がついています。 北と南で、「内」のつく町名とつかない町名のところもあるので、そのあたりが、豊臣時代と徳川時代の境目なのかも知れません。 あくまで、予想ですが・・・

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.1

別冊歴史読本『戦況図録 大坂の陣』(新人物往来社)が、御希望に沿うかもしれません。 なお、大坂の市街は惣構えの内部にあります。 ちなみに、地名が大阪となるのは明治以降です。

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質問者

お礼

大阪の陣関係の本なんか調べて見ました 本によって三の丸の大きさなんかがだいぶ違いますよね はっきりとは解らないってとこでしょうか

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