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大阪城砲撃について
大坂の陣での徳川方大砲による砲撃で腰元が玉に当たって死亡し、淀君がその威力に驚いて講和条件を飲むに至ったとの話は本当でしょうか? 疑問は当時の大砲を使い城外からの砲撃で天守閣の一部に正確に命中したのかという事です。相当近くから砲撃できたのでしょうか。なお砲撃したと思われる場所と天守閣までの距離など分かりましたらありがたいのですが。
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お礼
フランキ砲は大坂方だったのですか。大坂城の大砲がつかえなかったのは火薬不足。籠城戦の不利を衝かれた訳ですね。 一方徳川方のカルバリン砲は高性能で、大坂城に届くというのですね。 もちろん威力をもっていたので破壊するに至ったわけであり、ぎりぎり届いたのではないということですね。認識改めます。 再度調査してくださいまして感謝しております。ありがとうございました。