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一人歩むことの意義
一人歩むことの意義について、思うところある方は、論じてください。 (仏教の教えは関係ありません)
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こんばんは、あ_ほな(^^)/~~~さん。 先日は、あほな( ゜Д゜)!さんと 呼んでしまってごめんなさい。 「独り歩むことの意義」ですね。 もともと誰もが独りで生まれ独りで死にます。 あなたはわたしではなく他でもなくあなたです。 他の人もそうです、ひとりひとり唯一であって 孤独です。 もともと人間は人と交通をしつつも 「独り歩む」ようになっています。 交通をするからこそ「独り歩む」ことができる、 とも言えるのかもしれません。 もともと人間は「自己中心的」にしか」 モノを考えることができません。 わたしもそうだし他の人もそうだと思います。 だって人は どうしたって「自己中心的」に しかモノをいうことができませぬ、 おいらもそうだし、他の人もそうでしょう? 「自己中心的」というのはいけないのか? もちろん「自己中心的」というのは 「自分勝手」や「我利我利亡者」や 「自己愛偏執者」や「放縦児」のことではない、 「自分さえよければよい」ということではない、 「オレのために地球が回っている」というのでもない、 しかし、おのおのが「自己中心的」である、 というのは素晴らしいことなのではなかろうか。 「自己中心的」に話さなければ 他の人に「わたしの思い」は伝わらない。 他の人の「自己中心的」な話を聴かなくては おいらは自分のことさえ 理解することができないのではなかろうか。 ところで、あ_ほなさんは 何のために生きていますか? おいらはこうなんぢゃないかあなって思う。 ひとりひとりがおのおのの「限りある【生】」 をまっとうするために生きているのであり、 おそらくそれ以上でもそれ以下でもなく、 その【生】は他の何モノの奴隷になるべきでもない! わたしが友情や愛情にほだされても、 わたしが敵に嫉妬や恨みを持ったとしても、 わたしの【生】はわたしのものであり、 【生】は他の何モノの奴隷にはならないのです。 ___________ たいていの人がすでに毎日 当たり前のように「独り歩む」をしている、 のではないでしょうか。
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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No.5をおぎないます。 ☆☆(回答No.5) さとりを得るには おのれ独りの固有の時間においてである ☆ と言いましたが この固有の時間を得て さとりがあたえられるようにまで成るのは じつは 人びとの間にあって 共生しているときなのだと捉えます。 舌足らずでした。
お礼
この一見矛盾したようなご回答には、謎が含まれているのかなと感じました。人々の間にあって、しかも固有の時間を得ているというのは妙だと思いました。妙とは悪い意味ではなく。
- kurinal
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a_hona様、こんばんは。 「妥協が無い」ことが、可能でしょうか。
お礼
妥協がないことは難しいでしょうね。世の中にはその難しい事を為す方もおられるかもしれませんが。 御助言ありがとうございます。
- ノーバン(@nobound)
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「連帯を求めて 孤立を恐れず」という名言がありますが、孤立を恐れないとはどういうことなのか。 孤立を恐れて、徒党を組む人が多そうにみえますが、一人で歩める人は連帯、歩めない人は徒党を求めるのでしょうか。 現在のような複雑な集団社会において、一人歩むことの意義を見つけることは難しいですね。
お礼
僕は、孤独を恐れて徒党を組むタイプですね、きっと。孤立を恐れず連帯する、微妙な表現の違いですが、イメージがうまくつかめませんでした。 複雑化した社会の中での一人歩くことの意義は、確かに認められると思います。難しいのですが。
- ふじ-さん おたま-さん(@OtamaFJWR)
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私の愛しいお姉様の「詩」が、全てを語っております。 ーーー「ある、お姉様の作った何気ない詩」ーーー じょうずになんてならなくていい うまく泳ごうなんて思わなくていい たくさん身につけたのなら それをひとつずつ忘れていけばいい わたしというからっぽの湖を ゆっくりと満たしていく水の音 その透明な きれいな音を 耳を澄まして 静かに聴いているだけでいい どんな言葉からも 観念からも遠く 静かな 明るい空の下で わたしが少しずつ満たされていく やがてその水はわたしのふちからあふれだして 別の誰かを満たしはじめる それがいっぱいになれば また別の誰かへ そしてまた 別の誰かへ きこえない時は 何もきかなくていい かわりに何かを 考えようとしてはいけない きこえなくても 水はたえまなく注いでいる 何のためでもなく ただ わたしとあなたを満たすために
お礼
なんとなく、いいですね。しっとりとしています。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 例のクリスマスツリーの理論のことではないのですか? カザリ≒シガラミを削ぎ落とす もしくは つけていても それによって判断を左右されない。 ならば 《ひとりあゆむこと》になります。 ほかの人びとと一緒にいるかどうかとは 基本的に言って かかわらない。と考えます。 ただし そのさとりを得るには おのれ独りの固有の時間においてであるとも言わねばならない秘密はあり得ます。 秘密というより ナゾですかね。ナゾですね。 あるいは 夜中に泥棒のごとくやって来るのが さとりです。眠っているからには ひとりいる時間です。 あと 《ひとり》という言葉は 欧米で言う《個人》という概念を うっすらと・もしくは案外つよくふかく示していると 〔わたしは大嫌いですがその〕山折哲雄が言っていました。
お礼
飾りをとっぱらって、一個人間として、、確かにこれも一人ですね。 早く独立した人格を獲得したいものです。なにせしょぼい人間ですから。(自己卑下ではありませんが)
- Mokuzo100nenn
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君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し と申しまして、君子であれば多くの人と交わりつつも自分を失う事もなく、楽しい旅路を歩むことが出来そうです。 一方、小人であるならば、甘酒のごとく甘く、べっとりとした交わりに妨げられて、自らの欲する道を歩むことが難しい。 若い時は大勢で集って酒を酌み交わすのが楽しかったが、良い年になると一人酒の楽しみが解るようになるよ。
お礼
なるほどー。君子の交わりはさらりとしている、ですか。 ひとり酒の分かる年まで頑張りたいです。
- 雪中庵(@psytex)
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やりたい事が社会的な生産であれば、一人でいる事が 有利ではないが、個人的な創造であれば、一人である事 の効果はある。 これまで20数回登った日本アルプスの登山は、2回を 除いて単独行である。 同行者がいると、しゃべったり、気をつかったりして、 自然の感受や自分の生きている実感が希薄になりがちだ。 山をより深く心に刻むには、単独行に限る。 ここを見ても分かるように、自己顕示欲や自己の感情を 優先して他人に優越しようとすると、学ぶ事は劣等感に つながるので、自ら向上しようとする姿勢が欠如する。 私は、社会人の多忙さの中、自らの思想の停滞を感じ、 何もない途上国での長い余暇の読書と思索の時間を求め て青年海外協力隊&その後の海外コンサルに転職した。 果てしないサバンナに囲まれた我が家での長い夜や、 どこまでも続くヒマラヤの中腹の下宿での休日は、 遠く離れた社会の客観視や、迫りくる自然の本質の 考察に最適である。 国内での我々の情報環境は、人間同士の間でしか通用 しない虚構の情報に満ちていて、その奥の本質を感知 するには五月蠅すぎるのだ。
- suzumenokox
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こんにちは。 自分なりにある程度確立されている手法が、余計なノイズに煩わされないで済む。というのは一つのメリットだと思います。ただし独りよがりになるというリスクはありますが。その‘手法‘は若いほど普遍性から遠く経験を積むほど普遍的なものに近くなるという傾向があるものと考えられ、若いほど一人のリスクは高く経験を積むほど一人のメリットが大きくなるものだと思います。
お礼
なんとなく私にも身に覚えがあります。ひとりよがりで偏屈担っていたかもしれないと思うと、恥ずかしいです。 ためになるお話だと思いました。ノイズにさらされないというのは大きなメリットですよね。静かに観想することは色々と良いことがありそうです。
- Y Y(@yy8yy8az)
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ここで回答?することは私のレベルでは無謀な行為、と思えるけれど質問に刺激を受けたので試みます。 一人歩む。 ややもすると“自己チュウ”の世界に入ってしまいそうだけどそこに「意義」を認めようとするならば、それは“自己の確立”にあるように思います。 思うに、ここ哲学カテの住人は「一人歩む」人が多いのではないでしょうか。 “自己チュウ”っぽい人もいるかも知れませんが。
お礼
ここのカテは個性的な人が多いですね、皆さん独自の見解を持たれているようです。 自己の確立、そうですね、そう考えるのはストレートだと思いました。
お礼
うぇーい♪( ´θ`)ノニュートラルさんいらっしゃい。高らかに謳っていただきました。 身体を壊したり、つまり健康を害したりすると、それだけ弱気になって生きづらくなってしまいます。 そんな中でのこのお答えは、勇気あるものと感じました。高見ある回答や、多く知識を有する回答よりも、正直で心を打ちました。
補足
ちなみに私の生きる目的は、しあわせになること、しあわせを見つけることです。