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学校に通うことの意義は何か
学校(特に小中高)に通うことの意義について疑問があります。 (私自身はとっくに社会人ですが) ある人は 「学校は勉強しに来るところだ」と言いますし 別のある人は 「勉強なんて学校じゃなくても出来る。 学校は友人を作り人間関係を学ぶのが最大の意義だ。」 と言います。 どっちも一理あると思いますが 共に極端すぎな気もします。 学校に通うことの意義って一体何なんでしょうか。
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No.5です。補足です。 そうそう、学校でないと 友人できないでしょうか? (学校がないと 友人ができないか?) 江戸時代はどうだったんでしょうね? マスプロダクトの時代となり、教育もマス になっているんだと(専門家でないのでわかりませんが)考えます。 (産業革命以降ですね。日本では 黒船・明治維新以降ですね。) 確かに 分業して、教育も専門行政機関(学校)に任せるのが効率的です。が、「本当に」効率的なのかは わかりません。 また、私もそうですが 自分の親の世代から「働くまでは 学生(学校)」なのが 当たり前の世の中です。 しかし、教育や人間関係など 学校にこだわらなくてもよいのでは?と 考えてみることも 重要と考えます。 (たかだか 日本で 200年も経っていない概念にとらわれないと言うこと。) ご質問者様のように 疑問を持つことが 大切だと感じました。
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- overtone
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こどもが 小中学校に通う 40代のオヤジですぅ。 義務教育(専門的でないということで高校も)では、 「民主主義を維持するため」に 教育があると考えております。 (高校までは 学校教育法で その目的が定義されていますが、大学は 書かれていない。) 民主主義は、ひとりひとり(国民)が あるレベル(抽象的ですね。ごめんなさい。)で考えられなければ 成り立ちません。 (優秀な人??が 決めているのは、専制政治ですよね。) 成人(選挙権を得る)までに、「自分の考えを持て、説明できるようにならなければ」民主主義は成り立ちません。 なので、義務教育は 「国策」なのだと考えます。 (「義務」は 国民(大人側)が 負っているのは ご理解されてますよね?) もちろん、「学校」だけに任せていては 国の方針に染まってしまう可能性があります。ですので、家庭などで、保護者(親)なども きちんと 自分の考えなどを将来を担うこども達と 話し合う(議論)必要があるとも考えます。 と書くと、「じゃ 数学はなんであるの?」となりますが それは 頭で考える(世の中に存在しない抽象的なことを)事を習得するためのひとつの手段と捉えます。「数」は 自然界に存在しなく、頭の中にしか存在しないですよね。 他の科目も それなりに理由付けができます。 高校までは、「解答のある問題を解いている」だけですよね。たいていは。大学以上では「研究」となるわけです。 ======== 以上は、オヤジなりに 自分のこどもと話をしている内容です。学校では、こんなことは 教えないようです・・・。
#3です。ごめんなさい訂正させてください。 「はっきりとした意義は無い」を 「その意義ははっきりとはしていない」です。すみません。
ただの一般人です。はっきりとした意義は無いように思います。 個人的には、「人間形成」の場という考えよりですが、これもやや、とってつけたような考えかもしれません。 学校に通うということについて思うことがあるのですが、その昔は、学校に通うより、家業・家事を手伝ったり、地域の大人たちの間で、地域特有の仕事などにかかわりながら、成長していったのでしょう。 もうそういう土壌自体がかなり減っているんじゃないでしょうか? 単に、家→学校(友達)→会社ではなく、そろそろそういうことに、いくらか戻ってみることも必要なんじゃないかと思ったりします。 まとまりませんが・・・。
お礼
ありがとうございます。 私の学生時代にはもう既に失われていましたが その昔は地域が人間形成の場を担っていたそうですね。 そういう失われたものを何でも学校に押し付けている気がしますね。
- komomohime
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どっちも正しいと思いますよ。でも、本来の意味はやっぱり勉強なのかなぁ。 昔の人(古代ギリシャ人とか)って、それぞれに天文学や医学などを学び、様々な発見をしてゆきましたよね。でも、それがその人やその周囲の人の「へぇ」で済んでしまったら、学問はいつまで経っても進まないですよね。それを体系化して、~学ってゆう形を作るために、大学が必要になり、その前段階として小中高校が必要になったわけです。だから、個人にとっての意味は「勉強」だし、社会にとっては「文化の継承」の意味があるわけです。 で、現代において、先進国の多くでは学校に行くのは当然だったり、義務ですよね。学校がみんなが集まる場となることによって、学校における「集団性」を無視できなくなっているのです。 学校に入る前の子どもの世界ってすごい小さいですよね。家庭は社会の最小単位とも言われています。そこから外へ出るのが、「学校」です。学校には同年代の関係、先後輩の関係があり、親以外の大人との関係があります。地域社会との関係が薄れている現代において、学校での人間関係は、これから世の中に出てゆくために、欠かせないものなのです。 だから、今の学校で、人間関係を作ることも欠かせないことだと思います。いろいろな人と出会い、好きな人も嫌いな人も見て、自分自身を知り、これから大きな社会でどう生きてゆくか考えることは重要だと思いますね。 あと、「友達作り」と「勉強」は必ずしも両立しないものではないと思っています。学問って、「これ」って事実が独立してあるんじゃなくて、誰かや何かとの関係の中で生まれた不思議を、誰かと一緒に解き明かしてゆくもの。先生は敵じゃないし、友達はライバルじゃない。ともに学ぶことで、より興味を深め、いろいろな視点で知ることができるんだと思います。 まわりくどくて、ごめんなさい・・・。ちなみに私は4月から学校の先生になるんです。こうゆう質問は核心についていて、考えさせられてしまいます。
お礼
ありがとうございます。 No,2さんのように勉強と友達作りは 全く独立してはいないですよね。 グループ学習のように共同で学ぶ事も 多くありますからね。 最後になりましたがNo.2さんが生徒に慕われる 良い先生となられる事を期待します。
- kitakeg
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どっちも正解だと思いますよ。 人間関係をちゃんと学んでおかないとは就職してから仕事をするのが難しくなりますし、 勉強は、今勉強してることは覚えていなくても「脳みそのしわをふやすためのもの」とよく聞かされました。 その中で自分の将来の夢を見つけたり、いろいろな喜びを見つけることもまた意義でしょう。 もしかしたら、「意義」は人それぞれ違うのかもしれませんね
お礼
ありがとうございます。 私は集団行動が苦手なため勉強に偏っていて 人間関係を軽んじたので 就職してからは確かに苦労はしました。 みんなが外で遊んでいる時に一人本を読んでることが 多かったですね。 ただ、私は学生時代友人つくりを重視してなかったのに、1人でいるほうが楽しかったのに 「学校では友人を作らなくてはならない」と押し付けた 人がいたのはちょっとウザかったですね。
お礼
ありがとうございます。 確かに本当に学校教育が一番効果的かってなると 難しいですよね。 個人の特性もありますしね。