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変わった質問ですが

質問ですが常に難しい事を考えるのが好きな人がいたとします。あまりにも好きすぎだとします。その人は、難解な深いものを考えて理解する事が日常化していて、さらに難しい事を理解する事に快楽を感じ、さらに難しい事を理解してもすぐにその難しい事を理解した時の感動が薄くなりさらに上の深く難しいものを理解して感動を得る人は、その人からしてみればあまり頭を使わない仕事などには無関心になり逆に仕事の内容が頭に入らなくなったり活躍できなくなったりするということはありますか?(よっぽどの難解な事を理解する事が好きなオタクだった場合)

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  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.5

その状況は、無知のまま思考遊びに没頭しているのでは?と感じます。 経験や体験から体感して、理論と結びついていく本当の理解ではなく 頭で「分かった気になってしまう」現象ではないかと。 論理的思考は、系統的な学びと体験が必要になります。 体験なしで、知識を聞きかじりで勝手な繋ぎ合わせをやっていると 現実的な面では(言葉はあまりよくないですが)無能者と周りに見られる側に偏っていきます。 改善方法は、自分のことは自分でやること。 日常の身の回りのことを、できるだけ自分自身でやっていくこと。 家の手伝いを、自ら率先してやっていくこと。 その時に、しっかりと頭を使ってください。 段取りや優先順位や手順や時間配分などなど。 聞きかじりの知識に酔うより、それなりの所で系統的にしっかり学ぶのも大切です。 学生さんでしたら、今学んでいることに力を入れていったほうがいいでしょう。 今学んでいることは、今学ぶ必要があることを学んでいっているはずです。 もしすべてが満点でしたら、勉強のことは気にしないで 運動や遊びや今できる体験を大切にしていかれたらいいと思います。 いろいろ体験したことが、後々になって活きて来ますから楽しんでやっていってください。

barutokai
質問者

お礼

回答ありがとうございます 確かに私は知識をつなぎ合わせるだけのの頭でっかちな面があります。 指摘ありがとうございます

その他の回答 (10)

  • amaguappa
  • ベストアンサー率36% (140/385)
回答No.11

変わった質問ではないですよ。好きでないことには、持てる力を発揮できないものですし、ほんのわずかなやる気や根気もでないものでしょう。心がときめき、感動をおぼえ、変化が見られることに心踊らせ、欲を持って愛着しこだわることのできるものごとに対して、人は努力を惜しみませんからますます面白くなるでしょう。ところが、習慣になく、好きでもないことに対しては、飲み込みが悪くぼんやりしてしまう。もちろん応用数学をやる人が算数の基礎にぼーっとするわけではないでしょう。含まれた内容や全体の部分に過ぎないことに対しては。全く領分の違うことで起こる問題でしょう。だから、習慣の力って大切なんですね。つまんないことでもできるようにしてしまうんですね。

barutokai
質問者

お礼

回答ありがとうございます

  • IXTYS
  • ベストアンサー率30% (965/3197)
回答No.10

> あまり頭を使わない仕事には無関心になってしまう。 そのため、逆に仕事の内容が頭に入らなくなったりする。 そんなことってありますか? こんにちは。 これってあなたご自身のことと理解してよろしいでしょうか?  質問を読みました。 全部が繋がっている一つの文章。 これは昔、『天才の放浪画家』と言われた山下清さんを彷彿させて、懐かしく拝読しました。 ● 回答です。 あなたの質問を短く、一文を20字以内にする。 そうすると、頭が整理され、答えがご自分で見えて来る。 『Make it simple. Make it easy.』

  • IXTYS
  • ベストアンサー率30% (965/3197)
回答No.9

こんにちは。 面白い質問です。 > 難解な深いものを考えて理解する事が日常化していて、さらに難しい事を理解する事に快楽を感じ、 問題は難解で複雑に見えても、答えは簡単なのではありませんか。  『あ~、そうだったんだ~。 どうしてこんな簡単なことに気がつかなかったんだ~。 俺って本当に馬鹿だなあ。』  殆どの問題の答えは0か1。 答えはいつも簡単。 それが人生ではないでしょうか。 ですから難題を解き続けられる人は思考経路を単純化し、二進法で考えていると思うのですが、いかがでしょうか。 私には五才上の兄がいました。数学が好きで学校では『数学の天才』と呼ばれていました。 いつでもポケットに問題集を忍ばせ、食事時でも数学の問題を離しませんでした。 一緒に登校するのですが、途中で『ピーン』と答えが閃く。 すると私だけが先に行き、兄は地面に数式を書いて確かめる。 そして正解だと確認すると立ち上がって、走って追いついて来る。  兄の頭はシンプルでした。 難解な問題が大好きでした。 でも考え方は単純でした。 いつも難解な数学の問題を考え続けられる。 それが天才と言うものなのです。 残念ながら、22才で病気で亡くなりました。 天才って単純なものです。 そして数学の問題がそうであるように、答えはいつも0か1です。 

  • raiden787
  • ベストアンサー率37% (179/473)
回答No.8

そういう人はよくいます。 仕事などのストレスに耐えられず脳内の妄想に逃避しているのです。 逃避している内容は人によって様々です。アニメやゲームの内容だったり、なにげなく目に映った人の内面を空想してみたり、あるいは質問のように哲学とか歴史とかの学問関係だったり。 そう言う人の中には自分の思索は学術的で難解だと言う人もいます。 でもそういう人のほとんどはネットとか本とかで聞きかじった知識を適当に頭の中で繋ぎ合わせて悦に浸っているだけで、その内容を話させると思わず失笑してしまうような未熟な内容であることがほとんどです。 でも、中には本物がいます。数学のことばかり考えているという人に実際に難解な数学の問題を解かせるとあっさり解いてしまったり、授業はほとんど聞いてないのに工学部の教授が驚くほど正確に車のエンジンの図面を引いて見せたり。 単純作業が向いていないのであれば、自分の思索が本物であるかどうか試してみて、その方面の専門家に進んでみてはどうでしょう。 でないと傍から見てるといつも空想にふけっている変な人でしかありませんよ。

  • alphaXXX
  • ベストアンサー率40% (108/264)
回答No.7

単に頭の中でできる1人遊びに夢中になっているというだけです。 遊びをするべき時と仕事をするべきときの切り替えが出来ていないのです。 考えている内容が難解か幼稚かは関係ありません。 頭の中で考えている内容は、例えば高等数学の解法だとか世界の国家間の政治のありようだとか、そういった難解なことかもしれません。でも頭の中で1人遊びをしているという意味では、例えばガンダムと仮面ライダーはどっちが強いかという子供じみた思索と同レベルなのです。

  • ways
  • ベストアンサー率31% (79/253)
回答No.6

いえ、たとえそうだとしても、仕事は別です。頭をよく使う人は、手を動かしていると頭がほぐれるんです。 テレビのタモリさんも、家にいるときには、哲学書を開いたりするそうです。 要するに、世の中や人のことを理解したい、という関心と好奇心からくるものです。勉強したい、という。 そういう人は、考える時間と、仕事をする時間の切り替えもしてると思いますよ。単純作業の時は、手を動かしながら考える、ということもあるとは思いますが。

  • qwensan
  • ベストアンサー率11% (3/26)
回答No.4

何にしろ 人間の考える事です そんなに難しい事等ありません その人は自分だけだと思ってるだろーが 同じ事を考えてる人は 沢山居る筈です 大海を知らず・・って感じですね

barutokai
質問者

お礼

回答ありがとうございます 上の人はいくらでもいますよね・・・・・・視野を広げれば・・・・

  • lamuse
  • ベストアンサー率19% (44/225)
回答No.3

錯覚です。私も、高校時代哲学に反応して、似た様な感覚を持っていました。 あなたは、社会に対して生産性がありますか?失礼なところ、おそらく、生産性はないんではないですか? あなたを、扶養する誰かが、いるから、その様な事が言えるんでしょう。 選民思想的思考です。 社会に貢献している人の発言とは、思えません。 現実を直視して下さい。

barutokai
質問者

お礼

回答ありがとうございます 私はまだ学校に通っているものでバイトをしているのですがバイトしているときはあまりにも無能で先輩に迷惑をかけるので今後の将来を心配になりこのようなおもいつきの質問をさせてもらいました。

  • hamchuu
  • ベストアンサー率23% (62/264)
回答No.2

あると思います。 そこを通過してしまった以上、簡単な仕事はかなり以前の通過点で、周囲もその地点は通過してしまった為に、何を今さら?‥などと思っているかも知れません。 でも、もしその仕事に集中しなければならない状況なら、馬鹿らしくても、筋道立てて、その方に理解してもらえるよう話し合ってみてもいいのではないでしょうか。 周りから どう見られているか、理解できてないかも知れませんね。

barutokai
質問者

お礼

回答ありがとうございます

  • a880926
  • ベストアンサー率51% (25/49)
回答No.1

私も難しいことを考えるのが好きなので分かるような気がします(^-^) あまりにも、物事を深く考えすぎて、けれど自分にとってはそれが普通なので、まわりのひととは当然のことながら感覚のズレが生じる。 それによって、当たり前にやれるはずのことが、自分の次元と異なることで頭に入らなくなる、または、頭がシャットダウンする場合は私もあるのではないかと思います。 見当はずれだったらごめんなさい。なんとなく、そんな気がしたので回答させてもらいました。

barutokai
質問者

お礼

回答ありがとうございます とても的を得ている回答でした

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