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寛平御遺戒の中で女官(内侍司?)について記してある部分

宇多天皇が息子の醍醐天皇の即位に当たって、政(まつりごと)を行う上の様々な教えをまとめた『寛平御遺戒』という文献について知りたい事があります。 それは後宮を統べる内侍司の女官の菅原氏(道真の女?)や滋野氏といった女性達の性格や長所を記した部分なのですが、具体的にどのようなことが書いてあるのか知りたいのです。 できれば原文の漢文体で教えて頂ければ幸いです。 御存知の方、どうぞお願いいたします。

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回答No.2

では 内侍司は有司すでに存ぜり ただ宮中の至難なるものは、これ後庭のことなり 今すべからくその方の雑事、御匣殿・収殿・糸所等のことは、定国朝臣の姉妹近親の中、その事に堪すべき者一両人、一向に事を行ふべし。日給のもの等第の類は、惣て処分すべし 洽子朝臣は昔より糸所のことを知れり □□の間、猶し兼ね知らしめよ 息所菅氏・宣旨滋野等は、日々女房の侍所に出居て、蔵人などの日給のことを行ひ、兼ねて進退の礼儀を正せ 更衣あるの時に至りては、まさ教正礼節を加へよ それ更衣・蔵人、事に随ひて賞のものを給ひ、功によりて官爵を授くるのことは、皆悉くに執奏して申し行ふべし 菅氏はこれ好く煩わしきことを省くの人なり 宣旨はまた寛緩び和柔なる人なり 各の身を激励して、勤仕せしめよ 新君慎め です この場合の女性は「息所菅氏・宣旨滋野」「定国朝臣の姉妹」「洽子朝臣」でそれぞれ「菅原衍子(道真女 宇多女御)滋野直子」「藤原満子(尚侍)」「春澄洽子」ではないでしょうか

kasane
質問者

お礼

fuzigidane様 おはようございます。 早々にもUPして頂き、誠に有り難うございました。 この一節を確認したかったのですが、昔の資料をなくしてしまい困っていました。心より感謝致します。 醍醐即位の年の897年頃は尚侍・藤原淑子が任官and存命していたのに彼女の名前は記されていませんね。これは宇多退位を機に、職だけは辞さずいるものの実権を満子に譲ったと言うことでしょうか。

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回答No.1

漢文でないとだめでしょうか? もし読み下し文でよければ今手元にあるのでUPできますが。 岩波書店 日本思想大系8 古代政治社會思想 にのっております

kasane
質問者

お礼

fuzigidane様、御回答下さり有り難うございます! いえいえ、読み下し文でも全く問題ありません(^_^) 図書館になかなか足を運べない身の為、御時間の あるときで結構ですので、UPして頂ければこんなに嬉しい事はありません。御手数をお掛けしますが、どうぞ宜しく御願いいたします。

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