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「学問」について。
「学問」について思うことを教えてください。 私は 「人類の思考の跡を辿ること」だと思っています。
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- amenhotep2000
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alterdさん おはようございます。追伸です 学問とは?という問いを考ええると、学問はやはり人間性、人格的成長をを育むのに欠かせないものとも考えます。 イラストをを描いて芸術にも奥が深そうなalterdさんならもうどこかで知っているかもしれませんが、数年前、九谷焼の人間国宝の三代徳田八十吉展を美術館で観てきました。 吸い込まれるような青さの磁器に感動しましたが、もうひとつ感動したことがあります。 徳田八十吉の小学校の同級生の父親は豆腐屋をやっていたそうですが、遊びに行くたびに、その父親からパスカルのパンセを読めだの助言を受けていたそうです。 そして徳田八十吉が家業を継ぎ、どのように自分独自の独創的な作品を造るのか悩み、マルセル・ブリヨンの「抽象芸術」に手を出したがわからない。 そこで、同級生の豆腐屋の父親に相談に行ったら、これを理解するためなら、哲学用語・キリスト教・西洋美術史を知ってなければ理解できない。私は哲学用語・キリスト教は教えられるから、君は西洋美術史を勉強しなさいと助言を受けたそうです。 さて、この豆腐屋のおじさんはいったい何者かというと、下村彦三郎という人で、戦時中は戦闘機を造る中島飛行機の部品工場の社長で従業員数十人の会社から数千人の会社に発展させた経歴持つ人で、戦後、自分は戦争に加担したという懺悔の思いで豆腐屋に転職したそうです。 この学問に通じた同級生の豆腐屋の父親なしには、徳田八十吉はなかったでしょうし、下村彦三郎さんの人格には感服し感動しました。 世の中、陽のあたる人と陰で支える人がいますが、私は下村彦三郎さんのような教養豊かな人格者に憧れますね。 まだまだ修業かな? では、またよろしくお願いいたします。
- amenhotep2000
- ベストアンサー率31% (72/227)
alterdさん。こんばんは。お久しぶりです。 私は学問とは「なぜ?」を追及することだと思います。 私にとって哲学は独学の趣味ですが、哲学とは、文学、美術、数学など、さまざまな分野が川とすると、それらすべての川が流れ込む「海」が哲学なのではと思ってます。 ライプニッツに手を出して見ましたが、微分を発明しただけあって、数学が苦手な私は、難しくてさっぱっりわかりません。 学生時代にちゃんと習得していればとこの年になって後悔してます。 自然の美しさと不思議さに対する好奇心が原動力ですが、追求すると、やはりちっぽけな人間を超越する、神様、仏様はいるのではと私は感じます。 西田幾多郎をかじってみましたが、私は西田幾多郎は禅の思想を哲学としただけと思ってましたが、キリスト教もかなり勉強していて、聖書を、日本語だけでなく、ギリシャ語、ドイツ語で読みこなし、後半生はキリスト教の思想も自分の哲学に融合させようとしたということを知りました。 信仰がなければなりたちませんが、宗教も学問なのでは。 とにかく昔の人の読書量には驚かされます。凡人の私が及ぶところではありません。 総括すると学問とは、確かに、技術の発展のための応用もかかせませんが、自分の人生を豊かにするために欠かせないものと思います。 「無教養な人間であるより、むしろ乞食であるほうがましだ。乞食に欠けているのは金だが、無教養なものには人間性が欠けている。」アリスティポス
お礼
お久しぶりです(笑) >私は学問とは「なぜ?」を追及することだと思います。 本当にその通りですね。 実際、赤ん坊がどうして言葉を覚えられるのかすら分かってないそうですし DNAの並び方は分かっても文法は分かってないそうですからね。 また、宇宙の始まりと終わりもそうだし 数学でも未解決の難問は沢山あるそうですから 結局、肝心な事は何も分かってないんじゃないでしょうか。 だからこそ、人生退屈せずに済むとも言えるかも知れませんが。 >ライプニッツに手を出して見ましたが、微分を発明しただけあって、数学が苦手な私は、難しくてさっぱっりわかりません。 私も「モナド」には興味があるんですが amenhotep2000さん同様数学が苦手なので腰が引けます。 ただ、最近、パスカルの「二項定理」の香りをうっすらと理解出来て 感銘を受けたと共にパスカルの偉大さの一端にも触れられたように思いますので いつか挑戦してみたいです。 >やはりちっぽけな人間を超越する、神様、仏様はいるのではと私は感じます。 そうですね。 私も、人間の願望を都合良く聞いてくれる「神」の存在は端的に否定しますが この世の全てを統べる法則がもしあるのなら、それを「神」と呼ぶことに異存はありません。 >西田幾多郎をかじってみましたが 「善の研究」が有名ですね。 私も興味がありますが、どうやら物凄く巨大で深そうですので 未だ手を出せないでいます。 ただ、「臨済録」には強い感銘を受けましたし ヴィトゲンシュタインにも「禅」に近い感覚がありますので 東洋思想も避けて通れないとは思っています。 >とにかく昔の人の読書量には驚かされます。 それはそうですね。 新渡戸稲造は、確か図書館にあった洋書を全部読んだそうですし 白川静や吉川幸次郎等もそれぞれの分野についての洞察は勿論興味深いですが その背景にある西洋の歴史をも含めた教養の深さと広さには驚愕させられます。 >「無教養な人間であるより、むしろ乞食であるほうがましだ。乞食に欠けているのは金だが、無教養なものには人間性が欠けている。」アリスティポス これも、全くその通りですね。 確か、セネカだったと思いますが同じような事を言っていたと思います。 ただ、そのセネカが、自分が家庭教師をしていた皇帝ネロに殺されたのは皮肉ですね。 しかし、私も、ローマの無名兵士に殺されたアルキメデス側の人間でありたいと願っています。 ではまた(笑)
- suzumenokox
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こんにちは。 学問とは「知恵に類することを継承したり発展させたりする、文化の中の一つの分野」だと思います。そして、知恵とは「より暮らしよい世の中の実現の一助となるような工夫のこと(思想・科学技術・その他いろいろに関して)」だと考えます。より暮らしやすい世の中という土台の上でこそ様々な人間の個性が平和的に開花する可能性が開けるものだとも思います。
お礼
そうですね。 私は「知恵」の方が単なる「知識」より高次の情報であると思っています。 そして、それは仰る通り「より暮らしやすい世の中」の為にあるのでしょうね。 誰が言ったのか忘れましたが「良く生きる」為とも言えるでしょうか。 ただ、確かフロイトだったと思いますが 「人は一生を掛けて得たものを、その子供に伝えることは出来ない」というような ことは、往々にしてあるように思います。 しかし、「様々な人間の個性が平和的に開花する可能性が開ける」とは 正に「ユートピア」に向かっているように思います。 それこそ人類の究極の目標でしょうね。 ご回答ありがとうございました。
- kanto-i
- ベストアンサー率30% (180/596)
お礼、ありがとうございました。 >教えるとは他人の夢の実現を手伝うことである だから自分の仕事が、アホみたいに楽しいんだと気がつきました。 その人の思いや夢が叶っていく姿を見ることができるのは、滅茶苦茶嬉しい♪ ありがとうございました。
お礼
おお。 教えることを仕事にされているんですね。 それは凄く幸せなことだと思います。 実際、最近の心理学の研究結果でも 人間が最も幸福感を得られるのは 他者を喜ばすことが出来た時だそうですよ。 わざわざありがとうございました。
- kanto-i
- ベストアンサー率30% (180/596)
自分のやりたいことをやるための知識を身に付けるもの。 「やりたいこと≒夢を叶える」ってのが、私の原則ですね。 今よりも前に進むために、先人の知恵から入る。 より良く、そしてより善くを身に付ける。 知識は得るだけで楽しいですが、やり続けるには目標がないと私的にはできませんね。
お礼
そうですね。 目標達成の為に知識を使えたら最高に幸せですね。 視点を替えると 「教えるとは他人の夢の実現を手伝うことである」という言葉がありますが 全くその通りだと思います。 ご回答ありがとうございました。
こんにちは。 芸術について、も、むずかしくて回答不可でしたが、学問についても、さらにむずかしく、久しぶりに日本語のウィキペディアを参照しました。 大学あるいは大学院で、体系的に学習できる知識と方法、とありますね。 手ごたえとして、コンピューターが、生活に直接かかわってくるようになった、西暦二千年ごろから、(Y2Kなどといって大騒ぎでした。)特にアメリカでは、理数系を学問と見て、人文科学を、ある種の”お道楽”と見る傾向が高まっています。 ウィキペディアでも、英語では、サイエンス、とあります。人間の生活をよりよくしてゆくための、あるいは、世界を変えてゆくための、プロアクティブな知識の集積や方法を、学問と呼ぶようになってしまいました。 この傾向は、今後、修正されることなく、どんどん加速してゆくように感じます。 西暦二千年を境に、アカデミズムの世界に吹く風向きががらりと方向を変えた、そんな風に思っています。
お礼
そうですか。 そういえば、以前、アメリカの財政が苦しくなった時 真っ先に音楽の授業が削られた例がありましたね。 誰が言ったのか忘れましたが 確かに「科学は数学の言葉で書かれている」のは真実だとは思いますが 人文系の学問も世界を豊かにしているのは紛れも無い事実ですので あまりの偏重は嘆かわしいですね。 実際、ファインマンなんかはボンゴ奏者でもありますし アインシュタインもへたながらモーツァルトを弾いたそうですしね。 そういえば、オックスフォード大学の数学者 マーカス・デュ・ソートイ教授なんかも 理系と文系を同時に専攻出来なかったのを嘆いていました。 あの教授がトランペットで吹いた チャーリー・パーカーの「 Yardbird Suite」はなかなかものでしたよ(笑) でも、学問の世界では、えてして効率第一、あるいは権威主義的に なるのかも知れませんね。 まぁ、私は「権威」とは無縁の世界に生きていますので 理系文系を問わず、のんびり楽しんで行きます。 ではまた(笑)
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10004/12513)
>「学問」について思うことを教えてください。 >私は「人類の思考の跡を辿ること」だと思っています。 ⇒そうですね。そのとおりだと思います。古来より謳われてきた金言・格言の類を見ても、学問とは、「人間的歴史が紡いできた英知」であるとの念を強くします。 例えば、Scientia est potentia.「知は力なり」:知(学問)によって自然の法則を取り出し、過酷な生存競争や天変地異から身を守り、それに打ち勝って「生存力」を得てきたのだと思います。 Discendo liberior.「学ぶことによってより自由に」:学ぶことによって、独断・偏見・迷信・妄念などの桎梏から免れ、「洞察力」を得て、人間特有の文化・文明を築いてきたと思います。 Cogito ergo sum.「我思う、故に我あり」:思索によって合理主義精神を確立することで神の束縛を解き、それまで「神学の侍女(はしため)」とされていた哲学を自立させ、「人間力」を獲得したと思います。 ただしその後、このデカルトの理性(至上)主義は頭でっかちに過ぎるとして、20世紀に、オルテガが Cogito quia vivo.「我思う、生くるが故に」と説いて、生-理性主義(=理性も尊重するが、それより一層人間の生を尊重する)を標榜し、「人間力」の獲得を提唱しています。 ともあれ、学問とは、こうした古今の「人間的英知」を継承し、できればさらに磨きをかけ、後世に伝えていくことではないか、とこのように考えます。
お礼
そうですね。 私も、世界全体の広さや深さが分かってない以上 全体の何パーセントが人類に知られているとは言えない訳ですし 世界の全貌が人類に知られることは、恐らく永遠に無いだろうと思っています。 そして、人間にとって、まず生きる事が最大の重要事ですので オルテガの思想に共感します。 そこで、私にとって「人間的英知」とは 例えば、毎日、川に出掛けて砂金掘りをし、たまに手に入れられた砂金のようなものであり あるいは、思考の道具となり得る、より普遍的な概念だと思っています。 簡素な問いに対して 含蓄の深いご回答ありがとうございました。
仕事をするための、スタミナではないでしょうか。自分は算盤を習ったことが、こんなに仕事に役に立つとは思いませんでした。
お礼
そうですね。 応用もそうですが 何によらず基礎的な部分は非常に役立ちますね。 多分、普遍的な部分があるからなんでしょうね。 ご回答ありがとうございました。
お礼
う~ん。 良いお話をありがとうございます。 私もどちらかと言うと無名でも地味に自分の道を行く人に魅力を感じます。 勿論、ノーベル賞を獲ったり金メダルを獲る人達は凄いと思いますし 超人的な努力を尊敬もします。 ただ、単に頭が良いから東大目指すとか 運動が得意だからオリンピックを目指すとかいうのには 申し訳無いですが、あまり人間的魅力を感じられません。 具体的に言いますと 一般人では、旋盤工でありながら哲学書を読むとか 遠洋漁業のかたわら詩を書くとかですね。 そして、学問の世界では 生前は一冊の本も著さず、生徒の講義ノートからおこした本により 言語学に革命を起こしたソシュール等に強烈な魅力を感じます。 多分、それは、人の目や世間体を気にしないで 自分のやりたいことをとことん追求する姿勢にあるのだと思います。 それはそうと 私も、ますます「パンセ」を読みたくなりました(笑) ではまた(笑)
補足
そろそろ締め切らせて頂きます。 少なめながら非常に手応えを感じるご回答を頂けました。 皆様、ご回答ありがとうございました。