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「細雪」の美
「細雪」の中の谷崎の作品の美とか、 古典的な美とか、日本人の美意識の表現とか 「細雪」の「美」について、皆様はどのように理解するのですか? これについて、関連サイトがあればも、ぜひ教えてください。 お願いいたします。
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西洋の小説は、よく建築のような構成をとっている、といわれます。 それに対して、日本の小説は、絵巻物的な構成をとっている、と。 これはどういうことかというと、日本の小説は、川が流れていくように物語が時間の経過とともに展開していく、ということです。 絵巻物というのは、中国の画巻が8世紀ころに伝来して、のちに日本でも作られるようになったもので、横長の巻物にストーリーと絵が交互に書かれ、右から左へと展開していきます。 季節のうつりかわりとともに、できごとがおこる。 そうしたできごとが重なり合って、たとえば全体を貫く大きな物語に収斂したりするのではなしに、時間の経過に合わせて、できごとがおこる、またおこる、それがずっと続いていくのです。 『細雪』のもっとも大きな特徴としてあげられるのが、この絵巻物の構造をとっている、ということです。 『細雪』に、大きなストーリーはありません。 もちろん、三女雪子がお見合いを重ね、結婚にまでこぎつける、という一応の筋はありますが、これがメインストーリーというよりも、この小説は、雪子の何度目かのお見合いから結婚までの間を切り取って、わたしたちの眼前に繰り広げられたもの、と考えた方がよいと思います。 雪子のお見合いも重要ですが、この小説の中では、それと同じくらい、いや、それ以上に蒔岡家の人々が、花見に行き、月見をし、蛍狩りにいくことが、準備の段階、お化粧や着物や帯を選ぶところまでも丁寧に描かれています。 これは当時にあってさえ、失われつつある風俗でした。 作者は、それを惜しみつつ、こうした日本の伝統的な行事を『源氏物語絵巻』のように書き残そうとしたのだと思います。 谷崎潤一郎は、文学史の流れで見ると、「耽美派」の流れに属する人です。 創始者である永井荷風は、二十代後半から三十代初めの青年期をアメリカとフランスで過ごし、帰国して後、表面的に近代化のまねごとをしている明治の日本に対して、激しい憎悪を感じた人です。 こうして荷風は、東京の下町、とくに花柳界に残る江戸情緒を賛美した小説を書くようになります。 この荷風の下で学んだのが、谷崎潤一郎です。 ただ、潤一郎の場合、荷風に見られたような、思想的な文明批評という視点はあまりありませんでした。 荷風が、男性の「歓楽」のための道具として扱われる女性を描いたのに対し、潤一郎の場合、処女作『刺青』でいわれているように、すべての男性は女性の美を輝かすための「肥料」である、と考えるような作品を、とくに初期、発表していきます。 一方、大正十二年の関東大震災後、潤一郎は関西に移り住むようになり、そこで古い日本の伝統美を「発見」するようになります。 源氏物語の口語訳を始めたのも、この時期です。 その後、三度目の結婚で得た、新しい妻の係累をモデルに、この『細雪』の一部分を発表します。 この作品は、戦争へと傾斜していく日本の社会にあって、反社会であるという理由で、軍部や警察からは何度も執筆停止命令を出されますが、潤一郎はかまわず執筆を続け、作品全部が発表されたのは、戦争が終わってからでした。 幸子の夫である貞之助は、作者の分身であるとも言われています。 彼の雪子に対する思慕の念は、初期の作品のように表だって表現されてはいませんが、抑えられたトーンで、全体を貫いています。 たとえば貞之助の中に、『春琴抄』の佐助(盲目の美女春琴の美貌を、心の中に永遠に封じ込めるために、自らの目を潰す)を見る人もいます。 また、まるで平安貴族のようにおっとりし、徹底して受け身で、時を超えて美しい雪子に対して、自立心の強い、行動的な妙子は、自らトラブルを引き起こし、不幸になっていく。妙子の不幸に、時代のはざまにあった当時の日本女性の不幸を見ることもできます。 以上のことを簡単にまとめると、『細雪』の美とは、失われつつあった日本の風俗を、美に対して独特の考え方を持っていた谷崎潤一郎が、哀惜の意を込めて、古典に学んだ華麗な表現で描いたもの、ということになるかと思います。 以下、蛇足を少し。 私がこの本を初めて読んだのは中学生のときだったのですが、四女妙子がチフスで死にかけているというときに、次女の幸子が“今年はお花見にいけないかもしれない”と思うシーンに、なんだかぎょっとした記憶があります。 妹の生死とお花見が同列に扱われている。 この小説は、美を描いたもの、とされているのですが、それと同じくらい、病気の描写が多いんです。病気で死んでいく人の鬼気迫るような描写が、伝聞の形でさりげなく挿入されていたりする。 とてもとても個人的な感想なんですが、谷崎って、おっかない人だと思います。 彼の美の意識って、濁ったもの、汚いもの、怖いもの、そんなものを一切合切ひっくるめた上に華麗に咲く花みたいだと思っています。 これはあくまでも個人的な感想なので、そう思った日本人もいる、ということで。 わかりにくいところがあれば、補足要求してください。
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- endoh3
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谷崎作品に興味を持ったことがありましたので何か探せるかなと思ったのですが、 美に関しての参考になるサイトは見つけれませんでした。すみません。 谷崎の『細雪』は従来、日本の失われつつある伝統的な美を表現したものと思われがちだが、それよりも、当時の戦争に抵抗したしたたかな批評精神を見なければならない。 映画化されたものには、そうした点がすべて抜けていて、ただ豪華絢爛(けんらん)な点ばかりが強調されるのが不満。(http://www.worldtimes.co.jp/syohyou/bk040329-2.html) 「細雪」の何よりの特色は、作者たる潤一郎の一種の心境小説になっていることだといった。潤一郎はもともと唯美派でエピキュリアンである。若い時代はそれが異常な官能追求に向っていたが、関西に腰を据えるようになり、そして軈(やが)て歳を取つて来ると、それが一種の風流趣味の方向を辿るようになった。 (http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/asamifukashi.html)
お礼
endoh3様、ご回答どうもありがとうございます! 早速いただいたHPを拝見いたしました。 たいへん役に立ちますわ! 心から感謝します~~
- goo455452
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関連サイトはたくさんあると思いますが、私個人的には、関西のお金持ちの、ゆったりした時間の流れ方が非常に好きです。 あとは、それぞれの姉妹の性格が非常に感情移入しやすく描かれているところかなぁ・・・。 読んでいるだけで、着物の柄だとか芦屋のあたりとかがカラーで想像できる!そんな小説ってなかなかないですよね? 映画化もされましたが、こちらの評判はどうだったのかわかりません・・・。
お礼
goo455452様、ご回答どうもありがとうございます! 市川監督の映画「細雪」私も見たことがあります~ ちょっと・・・小説によって心に残された印象とは違っているような気がします… でも美しいです~~ 舞う花びらの下の美人姉妹~~~ できたら、ぜひもう一度見たいです~~
お礼
ghostbuster様、ご回答どうもありがとうございます! たいへん役に立ちます。 助かりました。 超感激です~~ ~~>_<~~