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わびさび・いびつさと均整(美意識;顔について)
NYに来て疑問に思ったことがあります。日本人の顔に対する美意識・美醜の判断についてです。皆さんのご意見をお聞かせ下さい。(もしかしたら医療のカテゴリーで質問する方が妥当かもしれませんね。美容医療の専門家の方ならご自身のお考えをお持ちかもしれませんし。) まず、西洋と日本の美意識を比較してみます; 西洋における美醜の判断基準=「均整がとれていること(ばらんす良いこと)」 それに対する日本における美醜の判断基準=茶の湯においてゆがみ・いびつさに美を発見。いわゆる「『わび・さび』という不均整」 以上を前提にして考えたいと思います。 日本人には、バランスのとれていないものを美しいと思う美意識があるにも関わらず、顔の美醜においては、やはり西洋的な「バランスの良い、整った顔立ち=美」という判断がなされています。 なぜ、容貌については、「バランスがとれていないからこそ美しい、ゆがんだ美」という伝統的な「わび・さび」の美意識が働かないのでしょうか? (やはり日本においても、美意識の基本は「均整」にあり、ゆがみ・いびつさを美しいと思う「わび・さび」という日本人の美意識は、日本人の様々な文化の模倣や受容により付加的に生まれただけであり、容貌に対しては美の判断が厳しいために、基本(均整がとれたものが美しいという基本)からそれた美意識をもつ事はなく、日本人の文化受け入れの柔軟性は物に対して発揮されるのでしょうか?)なんだかワケのわからない文になってしまいました。ご勘弁下さい。皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
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>日本人には、バランスのとれていないものを美しいと思う美意識がある 日本人の美意識をかなり誤解されているように思います。 日本人も普通は、バランスのとれているものを美しいと感じるはずです。 「バランス(均整)=左右対称」と思ってませんか? 日本人が好み、西洋になかった概念「左右非対称の美」は、 左右非対称でありながら絶妙の均整がとれているので「美しい」のです。 「均整」は、歪みや左右非対称の中にも、ちゃんと存在し得るのです。 ですから正しくは、西洋で好まれる美は「シンメトリー(左右対称)の美」、 日本で好まれる美は「アシメトリー(左右非対称)の美」と言うべきでしょう。 生け花などを体験されると、日本の美意識がわりと手っ取り早くわかると思います。 「わび・さび」については、一度今までの知識や思い込みを全部捨てて、 真っ白な状態からもう一度勉強されつことをおすすめします。 そして本題の容貌に対する美醜基準ですが、 日本人の顔も西洋人と同じく、ほとんどの人の顔は左右対称にできています。 (厳密には左右非対称ですが、目には左右対称に映ります) その左右対称の形の中から美を判断するわけですから、 西洋と同じような基準になって当然だと私は思うのですが、いかがでしょうか。
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- Bsukesan
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これは私の個人的意見ですが、「わび」「さび」とは、あくまで心、精神的なものだと思うのです。 こころの美しさを言ってるんだと思いますよ。
お礼
おっしゃること、なるほどと思いました。ありがとうございました。
- nemosan
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「わび」「さび」を、ゆがみ・いびつさと捉えるからワケがわからなくなるのでは? 参考サイトからの引用ですが… 「わび」 茶道を大成した千利休が追求した境地 といわれ、 「不足の美」ともいわれます。「飾りやおごりを捨 てた、ひっそりとした枯淡な味わい」です。現代風 にいえば、時流の社会の価値観に囚われることなく (世間的な事物…富・力・名に頼っていないこと) その人の心中に、時代や社会的地位を超えた、最高 の価値を追求することです。 「さび」 芭蕉の俳句の理想的境地とされたようです。 「孤独」や「孤絶」を意味し、限りなく変わりゆく 無情さの中に、価値を見出すこと。利害やわずらわ しい人間関係から自由となり、自然と一体となった 美を追求していったのでしょうか。 これを人の顔に当てはめると、化粧や整形などで飾らない素っピンの美とか、年寄りのシワやシミの付いた顔に人生を見い出す美を感じるようなものでしょうか。
お礼
ありがとうございました。参考URL、参考になりました!
お礼
みなさんのご意見大変参考になりました!あまり詳しくお礼をかけないのですが、この場でお聞きしてよかったです。 また、質問の仕方も悪かった事、反省しています。私の認識があいまいな状態だったせいですね。 新たに勉強しなおします。ありがとうございました。