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「手足のきれいな人」とは?

谷崎潤一郎の「細雪」の中で,お見合い相手の条件について,「手足のきれいな人なら,かまわない」という表現が出てくるのですが,これはどういう意味でしょうか?関西地方の伝統的な言い回しなのでしょうか?

みんなの回答

回答No.3

ご質問箇所はこの部分でしょうか。 「その人も巴里を見て来た反動でか、奥さんは純日本式の美人に限る、洋服なんか似合わなくてもよい、しとやかで、大人しくて、姿がよくて、和服の着こなしが上手で、顔立も勿論だけれども、第一に手足のきれいな人がほしいと云う注文なので」(新潮日本文学 谷崎潤一郎集 p.8) この文脈から読むと、字義どおり、手と足(脚ではなく着物の先から出る部分のこと)のきれいな人、ということになります。 「伝統的な言い回し」ということではありません。 ただ同時にこのことは、水仕事などしなくてもよいような(すなわちそれなりの家柄で-たとえばこの薪岡家でも、在阪時代の長姉鶴子、次姉幸子とも、台所仕事など一切女中にまかせっきりにしています)、ある程度以上の家柄が前提になっている、ということでもあるのだとは思います。

  • grande
  • ベストアンサー率66% (10/15)
回答No.2

一般に谷崎潤一郎は手足に対する関心が極めて高かったといわれています。谷崎の好みがこの文章を生んでいるということではないでしょうか? わたしもじっさいにはあまり谷崎の文章は読んでいないので分からないのですが、そうではないかとおもいます。

noname#118466
noname#118466
回答No.1

細雪を読み直す時間もありませんので一般論を・・・ *相手が女性なら 「特に美女にはこだわらない。でも手足のきれいな人がいいな」 この場合は昔の美人の基準のひとつである「すらりと伸びた足、白くてすべすべした手」や美人の基準のひとつだった「小さめの手足」など主人公の美の基準を表したセリフではないでしょうか。 *相手が男性なら 「悪いことさえしていない人なら誰でも結構です」と 理解しますが・・昔から「悪事に手を染める」「悪事から足を洗う」などと悪と関係することを手足で表現します。

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