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フォケウルフの行方
第二次世界大戦中、ナチスドイツから日本へフォケウルフが数機輸入されたとの記述を何かの本で読みました。 それらの機体はその後、どのようになったのでしょうか?
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陸軍航空隊飛行実験部に配属されて模擬空戦などの各種テストに使われました。 wikiにも書かれてますが、飛行実験部はドイツから輸入されたMe109やJu87などと占領地で捕獲したP40やP51, B17などを所有しており、日本陸軍機との比較試験などを行っていた部署です。Fw190の排気管処理が五式戦の設計の参考にされたのは有名な話です。(イギリスのホーカーシ―フュリーも同様) wikiには終戦後どうなったのか記載されていませんが、他の日本軍機と同様連合軍によってスクラップ処理されたと思われます。これはFw190に限らず、連合国軍側の機体であるP40やP51、B17も同様です。 ここの所属機で唯一生き残ったのが、現在知覧にある三式戦二型改です。 現在あの機体は244戦隊の小林少佐搭乗機のカラーリングが施されていますが、二型改は244戦隊とは全く関係のない機体です。244戦隊が使っていたのは一型だけで二型改は使っていません。終戦間際に三式戦から五式戦に機種転換しています。 以前はこの二型改は飛行実験部時代と同じカラーリングだったのですが、知覧に持ち込む際に単純に三式戦=244戦隊と安直な考えで塗り替えられてしまいました。オリジナル度が高かかっただけに非常に残念なことです。 それと244戦隊からは特攻を出していません。特攻記念館なのになんで244戦隊?と思ってしまいます。 もっとも所詮日本にある大戦機はどこの機体もこの程度の知識しか持っていない連中が管理しているので、似たり寄ったりの状況ですが。