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ドイツ兵の行方
第二次世界大戦中のドイツは欧州各国に数百万の兵隊が展開していました。その数百万人がドイツ軍の撤退とともにだんだんドイツ本国に近づいていったとおもいます。最終的にドイツはベルリンの総統府近くの近くでソ連軍にかこまれてしまいました。そんな小さな地域に数百万人がいることはできません。ではその数百万人の兵隊のほば100パーセントが戦死したか捕虜になったということですか。島などでの逃げることができなかった日本兵と違ってドイツは撤退ができたと思います。しかしナチスの総統府付近で戦ったドイツ兵は数万程度だと思います。後のドイツ兵はどうなったんですか?
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>その数百万人がドイツ軍の撤退とともにだんだんドイツ本国に近づいていったとおもいます。 多くの地域にはヒトラーより死守命令が出ていて、たとえ全滅しても撤退できませんでした。また軍隊の移動は(撤退も例外ではありません)、大量のトラックと幹線道路、もしくは鉄道などがなくてはできません。これらを敵に抑えられたり破壊された部隊は、部隊としての移動などできず、そういった意味では小島に取り残された部隊と同然です。 西部戦線はいまだにドンパチしていましたし、東部戦線の兵も撤退は殆どできなかった(あるいはしなかった)のが実際ではないでしょうか?
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- gbrokk
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ドイツはソ連軍がベルリンに近ずいて来てもドイツの広大な占領地に大量の軍隊を貼り付けて置かなければなりませんでした、優秀な装備を持つ大部隊が無駄に立ち往生していたのはノルウエー、フインランド、ドイツ北部、ハンガリー、ユーゴ、ギリシャなどで数十万人単位の陸軍部隊でした それらの軍隊を呼び返せば跡はたちまち敵に占領されるので呼び返せず、結局ベルリン守備で死闘したのは親衛隊とヒットラーユーゲントの少年部隊が主力で死ぬまで勇敢に戦いました
- Scull
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1.撤退した 2.投降した 3.敗走した 4.戦闘を放棄して脱走した こんなものだと思いますが。特に4などは多いのではないでしょうか。自国領内ですと、軍服を脱いで平服になりさえすれば、軍人とは思われませんから。
- tanuki4u
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添付の 連合国に東西から追い詰められるドイツ(1943年から1945年) の図、青い部分が1945年5月段階でドイツ占領地域。 将棋と同じで、王将(この場合は、ベルリンかな)を取る前に、すべての敵を取らなければならないということではないので、残っているところには残っています。