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昔の橋の呼び方について調査
- 明治時代における橋の呼び方について調査していると、木造のトラス橋が「釣橋」と呼ばれ、それに続く通りは「釣橋通り」と呼ばれていたことが分かりました。
- 昔はスパンの長い橋を総じて「つり橋」と呼んでいたという話もあります。
- 明治時代には多くの木橋が存在し、その中で珍しいトラス橋が登場した際に「釣橋」と呼ばれた可能性があると考えられます。
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大変興味深い話題なので、専門外の推測ですが、自分の思うところを書かせて頂きます。 まず、明治期のトラス橋は、当時としては、とてつもないエリート技術者が設計したものと考えられます。 そのような技術者は、お抱え外国人だったのかも、しれません。 そのような技術者が、トラス橋を、吊り橋と誤認することなど、100%考えられません。 では、その橋が「吊り橋」と呼ばれた理由は何か? 以下は、完全に私の推測です。 もともと吊り橋が有ったところに、拡幅や馬車や鉄道を通したい等の理由で、トラス橋に架け替えたのではないでしょうか。 それまでの橋は、平らな橋であれ、太鼓橋であれ、橋桁間のピッチは、最大でも10数m程度です。 木製でも、トラス構造で、その限界を超え、吊り橋しか掛けられないとことに掛けた。 そのような経緯を考えると、トラス橋を吊り橋と誤って呼ばれていても、不思議は無いように思います。
その他の回答 (1)
太い材木で組み上がられているので、四角い箱を載せたように見えますが、力学的には、支えているのではなく、外側の枠で橋を吊っていると考えます。 写真のような外観では解り難いかと思いますが、外枠が半円のアーチ状の橋を思い浮かべて下さい。 音戸大橋や東京の勝鬨橋の左右の部分のイメージです。 この、やや専門的な話しが独り歩きして、明治時代の人達は最新型の西洋風のつり橋だと考えたのでしょう。 蛇足 住宅の屋根裏の構造でも、屋根のてっぺんから垂直に下がって天井の梁と繋がっている柱は、屋根を支えているのではなく天井を吊っていると考えます。 自転車の車輪のスポークも、支えているのではなく、外側のリムで車輪の中心を吊っていると考えます。
お礼
ありがとうございます。 西洋風吊橋ですか。 なるほど。 当時の人、それも一般庶民が橋の専門的な名称を知っているわけもないと思うのですよね。 スパンの長い橋を吊っていると表現してもおかしくないのかなぁ、なんて思ったりします。 もう少し調査してみます。
お礼
ありがとうございます。 当時の人、それも一般庶民が橋の専門的な名称を知っているわけもないと思うのですよね。 スパンの長い橋を吊っていると表現してもおかしくないのかなぁ、なんて思ったりします。