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ヨブ記3章25節を教えていただけませんか?
私には難解なヨブ記。新改訳を少しずつ読み進めています。 わからない箇所は別訳を確認しています。 ですが、いま、ヨブ記3章25節の解釈に悩んでいます。 「私の最も恐れたものが、私を襲い、私のおびえたものが、私の身にふりかかったからだ。」(新改訳) 「恐れていたことが起こった。危惧していたことが襲いかかった。」(新共同訳) 「わたしの恐れるものが、わたしに臨み、わたしの恐れおののくものが、わが身に及ぶ。」(口語訳) ヨブはいったい何を恐れていたのでしょうか。 どなたか教えてくださいませんか? よろしくお願いします。
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大変興味深いテーマですね。 一応最後の42章までざっと読んでみるといいと思います。 ヨブと3人の友人の主張の仕合。それを聞いていた第三者エリフの客観的主張。そして最後に主の答。 >何を恐れるか?< 4章6節に、「あなたが神を恐れていることは、あなたのよりどころではないか。」とありますので、たぶん神の試練がヨブに臨むことを恐れているようですが、その本質的恐れの内容は、37章の最後に書かれています。 私自身もドキッとします。 さらにいえば、2章、主とサタンの会話において、 「主はサタンに言われた、『見よ、彼はあなたの手にある。ただ彼の命を助けよ』。」 という箇所の意味合いを測りかねています。
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 ヨブは 非の打ちどころのない善良な人間であったらしい。 人間ないし人格についてのそういった規定は あまり〔わたしの見るところ〕面白くありませんが〔なぜなら 信仰は道徳ではないからです〕 このようなすでに歩む過程として完全な姿を見せているヨブは その姿についていづれ試されると思っていたのでしょうね。 試されるということは すでに得ていた信仰が試されると捉えてもマチガイではないでしょうが 微妙に違った捉え方もあります。 それは その人の信仰が試されるという場合に じつは まだよわい信仰を持っている人びととの交流が その人あの人とのあいだでそれぞれ展開されるということだと捉えられるからです。 そして それらよわい信仰の人びとが そのときには むしろ完全をあゆむ人(つまりヨブ)を何かと咎めることの出来る欠点を ヨブは持たされるということ。このあたかも火の中をくぐり抜けるかのような道を通らなければならない。つまり ヨブがです。――こういう試練のことを言っていて それのおとづれをヨブは たしかにおそれていた。のではないでしょうか。 メッキではなく純金の信仰であるということがほかの人びとにも分かるようになるには ほかの人びとと同じかまたは低く劣った境位に一たんヨブは降りて行かなくてはならない。そういう境遇に降りて行かなくてはならなかった。こういったことに実際に遭遇することを それは 確かにつらいわけですから おそれていた。 けれども ナゾの何ものかのみこころのままにと言ったか。思ったか。初めからしまいまでヨブは その信仰に堅く立っていたかどうか。
お礼
ご回答に感謝します。 「まだよわい信仰を持っている人びと」、とうのはヨブの友人たちですよね。 私は他のクリスチャンと比べることができるほど信仰が厚くないと思うので、以下の部分に書かれていた「つらさ」とうのがわかりませんでした。 「メッキではなく純金の信仰であるということがほかの人びとにも分かるようになるには ほかの人びとと同じかまたは低く劣った境位に一たんヨブは降りて行かなくてはならない。そういう境遇に降りて行かなくてはならなかった。こういったことに実際に遭遇することを それは 確かにつらいわけですから おそれていた。」
- Nakay702
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>ヨブはいったい何を恐れていたのでしょうか。 ⇒「苦しみにさいなまれながらも死ぬこともできず、苦悩を引き受けたまま辛い毎日を生き続けなければならない」 という恐れではないでしょうか。 しかしヨブは、最後には失った財産の2倍を主から賜り、140年の長きを生きながらえる(第42章10節~)。
お礼
ご回答に感謝します。 確かにこれはとても恐れます。 実際、私は何年も病に付しているものですから、いつまで続くかわからない苦しみは、途方も無く苦しいものです。 でも、正直に申し上げて、健康な時は病に伏して苦しむ姿など全く頭にありませんでした。 ヨブは、もともと神様を恐れかしこんでいたわけですから、そこが私と全く違うのでしょうね。
- Him-hymn
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2章7節にサタンがヨブの足の裏から頭の頂きまで、悪性の腫物で打ったーーとあります。ヨブの持ち物、家族だけではなく、その体を打たれたわけで、それに対する嘆きが3章の24節から26節で表現されています。 ヨブ記は、戯曲のように読むと面白いですよ。まず、1章と2章がエピローグ。そして、がらりとかわって3章は、ヨブの心の嘆きを吐露している独白(モノローグ)の場面。そして4章から37章では友たちとのダイアローグ。38章からは突如神様が登場。そして結びはいかにーー。という具合に。
お礼
ヨブ記の読み方、参考にさせていただきます。 文学作品を読むという感じでいいのでしょうか? 確かに他の書物と比べて、表現やたとえが文学的ですよね。
お礼
ご回答に感謝します。 一度ざっと読んだことがあって、今回は意味を確認しながら読み進めています。1章読むのに3日ぐらいかかっていて、今まだ8章に入ったところです。37章に恐れの内容が書かれているということですので楽しみにしています。