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ユダヤ民族が言う六つの災いとは?
関根正雄訳、ヨブ記 第5章 第19節 六つの災いの中で彼は君を救い 七つの災いの中でも君は害を受けない。 地震、雷、火事、親父みたいにユダヤ民族が六つの災いといっただけで通じる厄災がありましたか。 七つになると何が追加されますか。 よろしくお願いします。
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その前後を読むとこうなっています(新改訳聖書)。 神は傷つけるが、それを包み、打ち砕くが、その手でいやしてくださるからだ。 神は六つの苦しみから、あなたを救い出し、七つ目のわざわいはあなたに触れない。 ききんのときには死からあなたを救い、戦いのときにも剣の力からあなたを救う。 舌でむち打たれるときも、あなたは隠され、破壊の来るときにも、あなたはそれを恐れない。あなたは破壊とききんとをあざ笑い、地の獣をも恐れない。 野の石とあなたは契りを結び、野の獣はあなたと和らぐからだ。あなたは自分の天幕が安全であるのを知り、あなたの牧場を見回っても何も失っていない。あなたは自分の子孫が多くなり、あなたのすえが地の草のようになるのを知ろう。あなたは長寿を全うして墓にはいろう。あたかも麦束がその時期に収められるように。(ヨブ記5:18-26) これでみると ききん、戦い(戦争)、誣告、破壊、野獣、略奪 からは救い出されるといっているようですね。そして「子孫を残さず短命である」という災いからは守られているようです。 新共同訳だと少しニュアンスが変わり、 「六度苦難が襲っても」「七度襲っても」となっていて、日本語でいうところの「八百万の神」が単に沢山の神を意味するように、どちらかと言えば「何度災いがふってこようとも」というような意味になります。
その他の回答 (1)
たった六つを決まった災いとして数える思想は、ユダヤの知恵、旧約には見られないだろうと思います。 No1の回答に書かれておられるとおり、 この場はこの場限りのヨブの言葉では。続けて読むと内容があきらかになりますから。 ヨブ記は、災いをたくさん身に受けながらも理由がなく見返りもないという、 理不尽な苦しみの中で、信仰の生を全うする話ですから、 ユダヤの地の厳しく苦しい現実をよく反映しています。 苦悩に理由を求めない知恵と思います。 イザヤ書にもたんまりと災いが載っていますように、 物質的にも精神的にも、それこそ無数の災いがユダヤの民を現実に襲ったはずですから、 旧約の世界は、災いが生の本質であるといえるほどに、災いを描いたものでしょう。 英語とフランス語の版をみるかぎり、災いは不幸、困ったこと、難儀という言葉と同義のようです。 ご質問の箇所では、善良な生活者のヨブが思いつく災難が六つであり、 さらにそれ以上あったとしても、というほどの意味かと思います。 ヨブは知恵者や預言者ではないので、災いの数を断定するほどの知識もないでしょう。 素朴なものと思います。
お礼
分かりました。ANo.1の >>「六度苦難が襲っても」「七度襲っても」 に準じた、ご判断ですね。 新たな説に出合うまでは新共同訳を念頭に置くことにします。張り合いのない反応しかできず、済みません。 今後、特段のご回答が有るものやら無いものやら、21日(金)の夜間まで待って締め切る事にします。 わざわざ調べなおして下さったようで、有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。
お礼
なるほど、そう読むものでしたか。原文がないし、あっても読めないし、彼らの思考方法がわからないし、ないない尽くしでさっぱりです。 少なくとも一つの解釈として念頭におきます。評価する眼力がないので張り合いのない反応しかできず、済みません。 他の方の意見も聞いてみます。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。