- 締切済み
君主の知名度
今では、現在の自国の君主の知名度というのは国民誰でも知っており、知らないとなると非常識扱いになるくらいですが、昔はどうだったのでしょうか? 日本で例えるなら、平安時代での天皇は庶民でも知られている存在だったんでしょうか? 役人くらいにならないと知らないレベルなんでしょうか? また、海外ではどうなのでしょうか?
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
みんなの回答
- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
今だって道行くイマドキの若者に「今の首相は誰ですか?」って聞くと答えられない人は少なくありません。周囲にそういう人は必ず何人かはいるでしょう? メディアがこれだけ発達した現在でもそういう「自分に直接関係ないこと」には興味がない人が少なくないのですから、ましてや昔の人で文字が読めなければね。 鉄道が発達するまで、洋の東西を問わず庶民というものは自分が生まれた場所から半径15キロ以上に出ることはほとんどなかったそうです。半径15キロというのはだいたい歩いて1日で行き来できる範囲です。隣村か、その隣村くらいですね。 一般庶民にとって、その半径15キロ以内が「世界のすべて」です。メディアが発達していないのだから、その外の世界を知る術もありません。せいぜい商人や旅人から聞く話ですが、例えばその旅人が「○○という大きな町がある」といっても、その大都会なるものを見たことがないから想像もつかないわけです。「オラの村と、隣村と合わせてもまだ大きいのか。すげえなあ」てなものです。 今でもアフリカの真ん中へんの国では「病気は魔術で治す」のが常識の地域があります。面白いことに、そこに医者が来て「薬だ」といって渡すと「そんなうさんくさいものが誰が飲めるか」といって誰も飲まないそうです。ところが、その医者を「魔術師だ」と紹介して「これは魔法をかけた薬だ」というとみんな素直に飲むそうです。 地域(時代)が変われば、常識も変わるということで。
>平安時代での天皇は庶民でも知られている存在だったんでしょうか? 少なくとも京の都に住む人が、御所に誰が住んでいるか、ぐらいのことは知っていたでしょうね~ 日本最古のお伽噺とされる竹取物語に、帝(みかど)が出てきます。 天皇という言葉では知らなくても、「みかど」という言葉で京の都におられる一番偉い人として知っていたと考える方が自然ではないでしょうか。 更に、古代の納税は納税者である農民が都まで自分で届けるのが原則でした。 都へ出れば当然「御所」も知れば「みかど」も知ることになったでしょう。 故郷に帰れば当然土産話に出たでしょう。 国分寺は天皇の命令で全国に作られました。 国守は都から派遣されてくる役人です。 お寺や国府で下働きをしていた人は当然都の一番偉い人である「みかど」のことは知っていたと考えた方が自然ではないのでしょうか。 日本は古代から、地方と中央との結びつきが強く、文化の普及が進んでいました。 沢山の人が往来していました。 歴史的に地方の人は何も知らなかったという先入観は的外れです。 日本海側の地方の方言には多くの古語(都で使われていた言葉)が原型をとどめて現在も使われています。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
たとえば、古代から中世末にかけての古文書や史料を読んでみた時に、庶民の手になるものがどれ位現在まで残されているかから考えてみたなら、東寺百合文書にある「たまがき書状」と呼ばれる史料には日付が記されていません。 あるいは「訴陳状」と呼ばれる訴訟関係の史料には「日付のない訴陳状」も少なくはありません。このことが何を意味するかといえば、日付を書く必要がないものには書かないとの論理があったこともうかがい知る事ができるとの話になります。 そしてもし日付を書く必要があるならば、その時には年号も同時に書かれている必要もありますが、史料の中には干支で年号を記してあるものもあります。同時に改元を行うことは必ずしも天皇の権限ではありません。室町時代の殊に足利義満の時代には「改元」か義満の意思によって行われたとの事例もありますので、安直なことはいえません。 江戸時代ならば、庶民の教養として歌舞伎の脚本や古典の知識があったことも知られています。その中の一つとして上田秋成の『雨月物語』の「白峰」には西行と同時に崇徳天皇が登場することも知られています。
- ithi
- ベストアンサー率20% (1972/9601)
kmxoqxqwさん、こんばんわ。 平安時代は新しい天皇が即位すると必ず、年号を改元するので、庶民でも天皇はかなり知られる存在でした。 詳細は下記のURLを参照してください。 改元 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%B9%E5%85%83