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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:古には高貴な人は風葬したのでしょうか?)

古代の高貴な人々の葬送方法とは?

このQ&Aのポイント
  • 古代の高貴な人々は風葬を行っていたのか、土葬を行っていたのかについてははっきりとはわかっていません。
  • ただ、『古事記』には大国主神が国譲りに際して「八十クマデに隠りましき」と記されており、これは柴を立てた中に死体を置く風葬を指している可能性があります。
  • また、現在の紀伊半島や高野山周辺の村では、土葬の周りに柴を立てる風習が残っており、これも風葬の痕跡と考えられています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • yotsuba_k
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回答No.1

古代メソポタミアあたりだと、死罪のあとも放置させているパターンだろ。

noname#190665
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 古代メソポタミアでは死罪のあと放置していたんですか。 勉強になりました。 国を譲らされた大国主は罪人だとはいえるでしょうね。 もう少し、風葬についての昔の史料などがみつかるといいのですが。

その他の回答 (5)

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.6

サイトを見ました、成る程、風葬とありますね。 私の勉強不足の様です、申し訳ありませんでした。 http://www.osoushiki-plaza.com/institut/dw/199502.html で、こんなのがあります。 これでは庶民は土葬との詔が出されています。 http://www.osoushiki-plaza.com/institut/dw/199112.html 縄文時代でも日本では土葬の跡が見られ、一部では火葬の跡と見られる物もある様です。 日本では土葬でも鳥葬でも火葬でも水葬でも、地域差はあっても大体の土地で選択出来ました。 チベットでは鳥葬(天葬)がメインですが、伝染性疾患で死亡した場合は感染の拡大を防ぐ為に土葬にする事があるそうです。 風葬は基本的に不衛生なのですよね。 平安京で野ざらしが流行ったのは、不安定な時代にではないでしょうか? 平安時代には既に中国からの文化は入って来ており、仏教と共に習俗も入っています。 そんな時代に風葬ならぬ、遺棄葬を行うと言う事は、庶民の生活が相当に圧迫されていたのではないでしょうか? 要は宗教的理由で遺棄したのではなく、生活の余裕が無い為に葬儀を出せなかった故の可能性が高かったのではないでしょうか。 だとするとこれを簡単に風葬とは定義出来ないでしょうねぇ。 まぁ、でも良く考えてみると、ご質問の内容にはそぐわない事ばかり言って、お騒がせしてしまいました。 申し訳ございませんでした。

noname#190665
質問者

お礼

何度も回答をありがとうございます。 貼ってくださったサイトは大変参考になりました。 そういえば薄葬令では庶民は土葬と定めがあるんでしたっけ。 大国主の青柴垣は風葬のように思えますし 柿本人麻呂が詠んだ歌も風葬のように思えます。 薄葬令以前は風葬が多かったのかもしれませんね。 >縄文時代でも日本では土葬の跡が見られ、一部では火葬の跡と見られる物もある様です。 そのようですね。 >風葬は基本的に不衛生なのですよね。 たしかにそうですね。 >平安京で野ざらしが流行ったのは、不安定な時代にではないでしょうか? そのあたりのことはよくわかりません。 ただ天然痘が流行ったりして鴨川が死体であふれていたりということがあったようです。 風葬の習慣がよけいに天然痘を流行らせたなんてことがあったかもしれませんね。 >だとするとこれを簡単に風葬とは定義出来ないでしょうねぇ。 なるほど、遺棄と風葬とは別だというお考えなのですね。 参考にさせていただきます。 いろいろ教えてくださってありがとうございました。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1973/9604)
回答No.5

ghiioppさん、こんばんわ。 風葬というと平安時代に東山鳥辺野などは風葬地で死骸を捨てる場所だったそうですよ。 小野野宮実資の日記「小右記」の正暦元年(990)年7月13日に6歳になったばかりの娘を病で失い、その遺骸を鳥辺野に捨てた記録があります。後で人をやって遺骸を見てこさせたのですが、すでにその形もなかったということですから、捨てたら、それっきりなのでしょう。

noname#190665
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 「小右記」の記録は知りませんでした。 勉強になりました。 それにしても大国主命が風葬されたかのようによめるのは なぜなんでしょうね。 やっぱりNo.1さんがおっしゃるとおり、大国主命は謀反人なので死体が打ち捨てられたということなのでしょうか。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.4

>奈良時代や平安時代の庶民は風葬だったそうですよ。 サイトを見てみましたが、沖縄の風葬と、『鳥葬』などの『動物葬』ですね。 これは別に分類可能なもので、鳥葬ならば古代には其処此処であったでしょうね。 死者を天空に運ぶカラスが神格化されたりしています。 風葬は朽ちるに任せる葬法で時間が非常にかかりますし、通常は獣に食い荒らされてしまうので大型動物のいる本州及び四国九州等では実現が難しいです。 ですので日本では風葬はあまり行われていませんでした。 と言うか聞いた事が有りません。 風葬では遺体の形は、というか骨の並び等は埋葬時に滅茶苦茶になります。 古墳の遺体はアクシデントが無い限り、埋葬された状態で発掘されますので、骨の並びもそのままです。 まぁ、風葬・鳥葬で送られた権力者がいるかどうかは判りませんが、古墳の発掘記録を見る限りは違うでしょうねぇ。 埋葬品が整然と並んで、骨が散乱しているという古墳も私が知らないだけで、あるかもしれませんが。 余談 与論島では肉が腐りきって骨になると、それを海水で洗います。 これは女性の仕事と決まっていて、結構辛いものだったそうです。 ですので与論島での風葬は骨の並びは滅茶苦茶です。

noname#190665
質問者

お礼

何度もありがとうございます。 >サイトを見てみましたが、沖縄の風葬と、『鳥葬』などの『動物葬』ですね。 いえ、その部分ではなく 風葬は、古事記や日本書紀、万葉集などでもわかるように、日本古来の葬法である。 と書いてある部分のことを言っています。 平安時代の風葬についてのサイトを貼り間違いました。 http://search.goo.ne.jp/web.jsp?MT=%E5%B9%B3%E5%AE%89%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%80%80%E9%A2%A8%E8%91%AC&STYPE=web&SH=1&IE=UTF-8&OE=UTF-8&PT=OCNTOP&from=OCNTOP&bt_search.x=71&bt_search.y=13 すいません。

  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (679/1423)
回答No.3

>古には高貴な人は風葬したのでしょうか?  殯(もがり)に対する誤解でしょうか?  殯は、死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置する事をさします。  (あるいは仮安置した場所を指す。)  現代でも行う、通夜等(故人と親しかった人が別れや生前を懐かしむ葬儀儀礼)に相当します。  ただ、墳墓などの準備に手間取った等の理由で、期間が極端に長くなって実質風葬状態(現在のドライアイスや冷暗設備が無いと腐敗して白骨化してしまう)に成ってしまった事例も…。  (隋書に「貴人は3年外に殯し、庶人は日を卜してうずむ。」なんて記載されている。日本書紀には数ヶ月程度で終わっている事例も有るが…。)  大化の改新以後の薄葬令によって、葬儀の簡素化や墳墓の小型化が進められた(要するに古墳時代の終了)のと、仏教の火葬(お釈迦様の葬儀に倣う)の普及で殯は急速に衰退する事になります。  ちなみに土葬が復活するまでの平安時代前~江戸時代までは、皇族も火葬が一般的でした。  (ですが今上陛下の意向により、旧来の土葬から火葬に変える事が、現在宮内庁で検討されています。および天皇・皇后両陛下の合葬も…。)  なお、戦後の昭和天皇や貞明皇后、香淳皇后の崩御の際にも、殯宮が皇居に設置され崩御後45日目を目処に行われる大喪の礼や斂葬の儀までの間、殯宮拝礼の儀を始めとする諸儀式が行われています。

noname#190665
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 > 殯(もがり)に対する誤解でしょうか? 殯については存じ上げています。 http://www.enjoy.ne.jp/~hisasi/98-1.html 質問にも貼りましたこちらのサイトでは 「 ●イザナギノミコ トがモガリのところに入っていったら、死体は「ハレタタエ」ていた。 とあって、こちらはモガリについて記されていることがわかります。 ちょっと上記のサイトの方の文章があいまいでわかりにくいんですよね。 ●大国主神が国譲りして、「八十クマデに隠りましき」とありま すが、「クマデ」というのは、のち「青柴垣」と書かれるように、柴を沢山立て た中に死体が入っていたということです。 こちらの方では、青柴垣の中に死体が入っていたと記述があります。 土に埋めたとは書かれていない。 青柴垣の中に死体を入れるというのは風葬のように思えます。 また、石清水八幡宮の青山祭は風葬のようすを再現したものだとする説を聞いたことがあって 大国主が青柴垣の中に入っていたというのに、似ていると思います。 ところが ●今でも土葬の周りにたくさん柴を立て る風習が紀伊半島、とくに高野山周辺の村村によく残っていて、高野山などの墓 は青く茂っています。 と続いているので、あれ、土葬したということなのかな、と思うのですが そのあとにまた ●死者をクマデの中に置くことを、ここでは大国主神はその 中に隠れたというふうに書かれています。 とあります。 「土に埋める」とは書かれていないで、「置く」と書かれています。 ただ死体を「置く」のであれば風葬なんじゃないの、と疑問に思ったのです。 ●「万葉集」によれば、讃岐の狭岑島というところの海岸に死者があり、海岸に 「いほり」していると書かれています。「いほり」というのは、建物を建ててそ の中に死んだ人がいたということです。それを柿本人麻呂が見て、 荒磯面に いほりてみれば 波の音の繁き浜辺を しきたえの 枕になして 荒床に 自伏す君が と詠んでいます。荒床とは、死体を風葬する場合に筵とか薦を敷いたことで、 「餓鬼草紙」にも見え、今ではそういうものを極楽茣蓙(ござ)といっています。 そのあとに続くうえの文章は完全に風葬についての説明です。 >仏教の火葬(お釈迦様の葬儀に倣う)の普及で殯は急速に衰退する事になります。 > ちなみに土葬が復活するまでの平安時代前~江戸時代までは、皇族も火葬が一般的でした。 http://blog2.hix05.com/2012/10/post-67.html 上記には、次のように書いてあります。 持統天皇以後、文武、元明、元正と四代にわたって火葬が行われたが、聖武天皇以降はもとの伝統的な土葬が復活した。火葬が再開されたのは、西暦1011年、一条天皇の遺体を荼毘に付して、その遺骨を円城寺に安置したのが最初で、西暦1107年には堀河天皇が火葬され、その遺骨が香隆寺に安置された。以後歴代天皇の多くが火葬されるようになった。 ただし、一条天皇の前に、淳和天皇が火葬・散骨されています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B3%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87 火葬はたった4代の天皇に対して行われたのみで、その後土葬に戻っているので 火葬が普及したとは言い難いのではないでしょうか。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.2

すいません、答えは知りません。 が、風葬は日本では余り聞いた事がありません。 私の知る限りでは沖縄地方に見られました。 第一、風葬にすると骨は生前の形を保てず、発掘の時にはバラバラになっている筈ですが、その様な古墳を私は知りません。 基本、土葬だけだったからこそ、発掘時に埋葬品の配置が確定できるのですから。 庶民に於いても基本は土葬だと推測出来る発掘資料が圧倒的です。 というか、風葬は知りません。

noname#190665
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >風葬は日本では余り聞いた事がありません。 そうですか。 私は聞いたことがありますよ。 奈良時代や平安時代の庶民は風葬だったそうですが 高貴な人は立派な古墳に葬られていますよね。 沖縄はつい最近まで風葬をしていたと聞いたことがあります。 >第一、風葬にすると骨は生前の形を保てず、発掘の時にはバラバラになっている筈ですが、その様な古墳を私は知りません。 うーん、詳しいことはしらないのですが、完全な遺骨がでてきたケースはたとえばどのような古墳がありますか? 古墳内に水が入り込んで棺が水浸しだったとか 高松塚古墳では小骨ばかりでてきて頭蓋骨がなかったとか そういうことを聞いた記憶ならあるのですが。 >庶民に於いても基本は土葬だと推測出来る発掘資料が圧倒的です。 というか、風葬は知りません。 奈良時代や平安時代の庶民は風葬だったそうですよ。 http://www2.odn.ne.jp/kaienji/bunko/bunko.1/souhou.html http://www.npo-kazokusou.net/rekishi/huusou.html 京都の鳥辺野・化野・紫野・蓮台野は風葬の地だったそうです。

noname#190665
質問者

補足

http://www.enjoy.ne.jp/~hisasi/98-1.html 上記、質問文に貼ったサイトをお読みいただくと 古代の日本に風葬があったということがわかります。 下に、その文章を引用して記します。 「万葉集」によれば、讃岐の狭岑島というところの海岸に死者があり、海岸に 「いほり」していると書かれています。「いほり」というのは、建物を建ててそ の中に死んだ人がいたということです。それを柿本人麻呂が見て、 荒磯面に いほりてみれば 波の音の繁き浜辺を しきたえの 枕になして 荒床に 自伏す君が と詠んでいます。荒床とは、死体を風葬する場合に筵とか薦を敷いたことで、 「餓鬼草紙」にも見え、今ではそういうものを極楽茣蓙(ござ)といっています。 ●荒床とは、死体を【風葬】する場合に筵とか薦を敷いたことで、 と書いてあります。

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