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誰の為なら死ねるか?(戦国乱世編)
質問は表題の通り、戦国時代~大坂の夏冬両陣限定で、この人の為なら死ねるかも、・・と考える魅力的な武将を御教え下さい(出来ればその理由も)。 因みに小心者の私でも、この人を大将と仰げば、ひょとしたら槍襖の前に立ち塞がる事が出来たかも・・、そう考えさせるのが後藤又兵衛、まあ惚れた弱みも込みですが。
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noname#196757
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noname#203203
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お礼
こんにちは、回答ありがとうございます。 >男子、意気に感じて命を預ける、理外の理と言うことでしょうか? >利害でのみ人間は動きません・・・ >人間の不思議でもあり面白いところです。 始終仰る通りだと思います。 私自身、決して利害に鈍感ではなく生きて参りましたが、実のところ真の価値観はその辺りにはなく、最も私の琴線に触れるのは、利害を超えた男同士の友情・主従関係等々。 大坂の陣などはその典型、一部に名利を求めた武将もいたのでしょうが、その多くは自らの未来を明確に見通していた、つまり彼らに与えられた唯一無二の希望は、後世に名を残す事のみであったろうと・・、後藤又兵衛・真田幸村他皆そうでしょう。 更にはそれを知りながら、一族郎党・寄騎をして死を覚悟せしめた少なからぬ原因は、やはり既述武将の人間的魅力にあった、そう信じたいものです。 何しろ大坂夏の陣に於いて、伊達の大軍に寡兵を以って立ち向かい、後藤又兵衛が討ち死にした道明寺、そして真田軍団が槍襖を掻い潜り、家康の本陣へと肉迫したくだりは、何度読み返しましても、涙腺が緩んでしまう。 更には討ち死に前夜、真田幸村がその娘を伊達政宗に託したという故事、恐らく幸村と正宗にさほどの交流があったとは考え難い、彼を男として見込んでの事でしょう。 一方の正宗も、徳川家に露見するといったリスクに敢えて目を瞑り快諾した、合戦・調略に於いては陰謀の限りを尽くしたあの伊達正宗がです。 ・・という事で、真田本家とは別に真田幸村の血脈が、遥か奥州伊達家の家臣某に受け継がれた訳で、まさに歴史そして男のロマン。 梟雄として後世に名高い伊達政宗ですが、私はこの一件のみで、何があろうと正宗を評価します、正宗も幸村もまさに男ではないですか。 >別に衒ったわけでもありませんが、鮭延 秀綱(さけのべひでつな)。 >最上の人です。 近江源氏の名門佐々木家の末、そして関ヶ原の戦いから派生した出羽の合戦で、上杉軍を迎撃した最上家の侍大将程度の知識しかありませんでしたが、何だか経歴が後藤又兵衛に似ておりますね、海音寺さんの「乞食大名」ですか、早速読んでみたいと思います。 他方敵の武将を激賞する直江兼続もまさに天晴れ、戦国時代の魅力がこの辺りにもある、良き美風だったのでしょうね。 >家臣が、 >「それでは殿に何も残らぬ・・・」 >「なに、おれは毎日順番にお前たちの家で世話になる!」 >呵呵大笑したと言いますが誠に楽しい話です。 いい話ですねぇ、この一事を以って鮭延秀綱の事を、大好きになってしまいます。 鮭延家臣団は、さぞや戦場で強かった事でしょう、又兵衛もそうですが、名将・猛将と称された武将は、平時は誠に穏やかで優しく家来思いの方が少なくない、この人の為ならばと思わせる事こそ、将器たる由縁なのでしょう。 >もう一度くらいお話できるかな?とも思いますが、 >明日のことは分かりません。 年内20日以上あります、依って年末の御挨拶は、少々先という事で・・。