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誰の為なら死ねるか?(戦国乱世編)

質問は表題の通り、戦国時代~大坂の夏冬両陣限定で、この人の為なら死ねるかも、・・と考える魅力的な武将を御教え下さい(出来ればその理由も)。 因みに小心者の私でも、この人を大将と仰げば、ひょとしたら槍襖の前に立ち塞がる事が出来たかも・・、そう考えさせるのが後藤又兵衛、まあ惚れた弱みも込みですが。

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noname#196757
noname#196757
回答No.5

こんばんは。 >誰の為なら死ねるか? 難しい質問ですね。 男子、意気に感じて命を預ける、理外の理と言うことでしょうか? 利害でのみ人間は動きません・・・ 人間の不思議でもあり面白いところです。 >この人の為なら死ねるかも、・・・ 別に衒ったわけでもありませんが、鮭延 秀綱(さけのべひでつな)。 最上の人です。 武将としての評価はあの直江兼継(こんな字?)をして、、 「鮭延の武勇、謙信公、信玄に劣らじ・・・」これで充分でしょう。 海音寺さんに「乞食大名」と言う一編があります。 乞食同然の浪人となった秀綱を家臣が物乞いしながら養います。 家臣の妻たちもかいがいしく仕えるのですが、本人は泰然自若(笑) 家臣の子供たちと無邪気に遊んだりしている・・・ 勿論、この部分は海音寺さんのフィクションでしょう。 でも、秀綱と言う人を表現して面白いのです。 私が鮭延秀綱と言う武将に魅力を感じるのは、 「私」と言う欲が薄くて家臣のことを思う、この2点です。 秀綱は土井利勝の傘の下5000石の知行とりになります。 彼はそれらを家臣に分け与えます。 家臣が、 「それでは殿に何も残らぬ・・・」 「なに、おれは毎日順番にお前たちの家で世話になる!」 呵呵大笑したと言いますが誠に楽しい話です。 最後に、晩年秀綱が領地を一人で歩いていると百姓の子らが、 「殿様、殿様!」 共に手をつないで歩いたと言われてます。 これもその情景を想像するだに楽しいのです・・・。 私がもし、この時代に生きていれば、 秀綱のような武将の為なら死ねるかも知れません。 分かりませんけどね・・・(笑) もう一度くらいお話できるかな?とも思いますが、 明日のことは分かりません。 少し早いのでしょうが・・・どうぞ良いお年を。

isoken
質問者

お礼

こんにちは、回答ありがとうございます。 >男子、意気に感じて命を預ける、理外の理と言うことでしょうか? >利害でのみ人間は動きません・・・ >人間の不思議でもあり面白いところです。 始終仰る通りだと思います。 私自身、決して利害に鈍感ではなく生きて参りましたが、実のところ真の価値観はその辺りにはなく、最も私の琴線に触れるのは、利害を超えた男同士の友情・主従関係等々。 大坂の陣などはその典型、一部に名利を求めた武将もいたのでしょうが、その多くは自らの未来を明確に見通していた、つまり彼らに与えられた唯一無二の希望は、後世に名を残す事のみであったろうと・・、後藤又兵衛・真田幸村他皆そうでしょう。 更にはそれを知りながら、一族郎党・寄騎をして死を覚悟せしめた少なからぬ原因は、やはり既述武将の人間的魅力にあった、そう信じたいものです。 何しろ大坂夏の陣に於いて、伊達の大軍に寡兵を以って立ち向かい、後藤又兵衛が討ち死にした道明寺、そして真田軍団が槍襖を掻い潜り、家康の本陣へと肉迫したくだりは、何度読み返しましても、涙腺が緩んでしまう。 更には討ち死に前夜、真田幸村がその娘を伊達政宗に託したという故事、恐らく幸村と正宗にさほどの交流があったとは考え難い、彼を男として見込んでの事でしょう。 一方の正宗も、徳川家に露見するといったリスクに敢えて目を瞑り快諾した、合戦・調略に於いては陰謀の限りを尽くしたあの伊達正宗がです。 ・・という事で、真田本家とは別に真田幸村の血脈が、遥か奥州伊達家の家臣某に受け継がれた訳で、まさに歴史そして男のロマン。 梟雄として後世に名高い伊達政宗ですが、私はこの一件のみで、何があろうと正宗を評価します、正宗も幸村もまさに男ではないですか。 >別に衒ったわけでもありませんが、鮭延 秀綱(さけのべひでつな)。 >最上の人です。 近江源氏の名門佐々木家の末、そして関ヶ原の戦いから派生した出羽の合戦で、上杉軍を迎撃した最上家の侍大将程度の知識しかありませんでしたが、何だか経歴が後藤又兵衛に似ておりますね、海音寺さんの「乞食大名」ですか、早速読んでみたいと思います。 他方敵の武将を激賞する直江兼続もまさに天晴れ、戦国時代の魅力がこの辺りにもある、良き美風だったのでしょうね。 >家臣が、 >「それでは殿に何も残らぬ・・・」 >「なに、おれは毎日順番にお前たちの家で世話になる!」 >呵呵大笑したと言いますが誠に楽しい話です。 いい話ですねぇ、この一事を以って鮭延秀綱の事を、大好きになってしまいます。 鮭延家臣団は、さぞや戦場で強かった事でしょう、又兵衛もそうですが、名将・猛将と称された武将は、平時は誠に穏やかで優しく家来思いの方が少なくない、この人の為ならばと思わせる事こそ、将器たる由縁なのでしょう。 >もう一度くらいお話できるかな?とも思いますが、 >明日のことは分かりません。 年内20日以上あります、依って年末の御挨拶は、少々先という事で・・。

その他の回答 (4)

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.4

isokenさん、こんばんわ。 石田三成というよりは島左近といった方がよいかな。

isoken
質問者

お礼

ithiさん、こんにちは、回答ありがとうございます。 >石田三成というよりは島左近といった方がよいかな。 三成が秀吉より与えられた4万石の内2万石を提示し、且つ三顧の礼を尽くして迎え入れた高名な侍大将、肝心なこの人を忘れておりました。 尚その昔TVで、司馬遼太郎氏原作の「関ヶ原」というドラマが放映されたのを覚えております。 主役の石田三成:加藤剛・その愛妾:松坂慶子・徳川家康:森繁久彌、そして島左近:三船敏郎といった、民放ではちょっと考えられない豪華キャストは、当時「奇跡のキャスティング」と呼ばれ話題となったほど。 石田三成を悪役・脇役ではなく、真の主役とした嚆矢のドラマであったかと思いますが、裏の主役こそが島左近でしたねぇ。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.3

 武将などには全く興味がありませんので、少しひねった形の答えになるかと存じます。僕ならば千利休ですね。 つまらない領土争いに憂き身を窶していた輩は一時の栄華を手にすることはできても、それが歴史の中では全くの一コマにしかならない、あるいは下手をすればコマにすらならないこともありますが、文化は人間の営みが続く限り残ってもいきますから 笑。

isoken
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >僕ならば千利休ですね。 私自身、千利休に関する著書何冊かに目を通しておりますが、フィクション・ノンフィクション入り乱れまして、未だその生涯に関する統一見解が為されていない、誠に謎に満ちた人物です。 他方、彼を流祖として今尚脈々と続く千家他、彼の文化的功績は紛れも無いもの、或いは仰る通りかも知れません。

noname#203203
noname#203203
回答No.2

大谷吉継と石田三成の関係に一票です。 石田三成は官僚として行政長官として、日本の歴史上、最高の人物だと思ってます。 彼の考えた、仕組みが現在にも生きていますから・・・ 大谷吉継の眼力は凄く、男の生き様として、憧れます。 NHKの来年大河ドラマは黒田官兵衛ですが、石田三成がどの様に、描かれるか 楽しみにしてます。 それにしても、脚本家泣かせの、難しい人物を選んだものです、NHKに拍手!!

isoken
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >大谷吉継と石田三成の関係に一票です。 先の回答者様へのお礼でも触れましたが、大谷吉継は明確に東軍の勝利を予想していたが、三成にかき口説かれ死を決意します。 「紀之介に天下の軍を采配させてみたかった」、あの秀吉をしてこう言わしめた吉継の能力は、それはもう非凡なものだったのでしょう。 一方に於いて、戦国大名・武将はそれはもう小気味良いほど明確にそしてドライに、自家の繁栄・存続他のメリットを求めるものですが、仰るとおりこの二人の関係は、戦国期を通じて極めて異質。 三成との友情に殉じ、関ヶ原にて奮戦した事で後世に名を残した、私としましてはこう自らを慰めております。 >NHKの来年大河ドラマは黒田官兵衛ですが、石田三成がどの様に、描かれるか >楽しみにしてます。 そのハイライトは、中国大返し~山崎の戦い・賤ヶ岳の戦い、そして関ヶ原辺りになるのでしょうか。 尚黒田官兵衛と石田三成は、どうやら仲が悪かったらしい、豊臣家創成期を支えた軍師とその後のブレーン、それはそれで分かる気がしますが・・。

回答No.1

真田幸村です 後藤又兵衛が伊達政宗に突進して行ったのは真田のためです だから又兵衛の無念を晴らすため真田の3500の兵は 伊達政宗の3段構えの騎馬鉄砲隊に果敢に突撃して突破 徳川の本体を突けたのです あるいは真の武人は石田三成なのかも? 大谷吉継は「お主も阿呆じゃがわしも阿呆じゃ!お主1人死なせたら友として生涯の恥よ」と言わせた男です 他にも真田幸村や直江兼続や佐竹義宣らから絶大な支持を仰いでいた三成 もし実際三成が主君なら命をかけたかもしれません

isoken
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >真田幸村です 局地戦の戦闘指揮官としてのこの人の能力の高さは、恐らく戦国期を通じて、他に類を見ないでしょう。 家康の本陣すら蹂躙し、その心胆を寒からしめた真田の突撃、それはもう痛快ですが、その先にあるのはただ死のみ、真田幸村・後藤又兵衛・毛利勝永他が絡み合った大坂夏の陣のこのくだり、私としては未だに涙無くして読めません。 >あるいは真の武人は石田三成なのかも? 大谷吉継の頭脳は、明確に東軍の勝利を予想していたのでしょうが、遂には三成との友情に殉じました。 吉継ほどの人物をして、友情の為に死を覚悟させる人物、後世の三成への評価は、未だ低い気がしますね。

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