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後藤又兵衛と母里友信
黒田家の双璧をなした侍大将後藤又兵衛と母里友信はどちらが実力者でしょうか? 又兵衛は周知のとおり大阪の陣で獅子奮迅の活躍をして(一説には家康に重傷を負わせた) 散っていった武将です 母里友信は福島正則が大杯に注いだ酒を一気に飲み干し 名槍「日本号」を賜るなど両者ともに申し分の無い実力者ですが この二人を比べたらどちらが実力者でしょう? その根拠も教えてくれると助かります
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noname#177763
回答No.2
こんにちは。 後藤又兵衛、黒田家時代の事です。 黒田孝高の重臣栗山利安の元100石で仕えていました。 関ヶ原の戦いで石田三成の剛槍使いの大橋掃部と一騎討ちで勝ち、 大隅城(16000石)を与えられました。
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noname#177763
回答No.1
こんばんは。 私は後藤又兵衛の方が上だと思います。 1614年の大坂の役で旗頭として入城し、 その采配から『摩利支天の再来』と賞されたものです。 一方母里友信は記述が少なく『黒田節』のエピソード くらいしか残っていないんですよ。 拝領した名槍日本号もお酒をしこたま呑んで拝領したものです。
質問者
お礼
ありがとうございます いつも最初に回答しますね 狙ってますか?笑 確かに浪人してからの後藤又兵衛の活躍はすごいですね 黒田家時代はどうだったのでしょうね
お礼
ありがとうございました