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家康ファンの方
まず最初に謝っておきますね、家康ファンの方ごめんなさいm(_ _)m 私は「アンチ家康」です。(家が関西地方だというのもありますが)数多くいる戦国武将の中でどうしても家康だけは好きになれません。その理由は ・約束破りの連続だからです(場所は忘れましたが、何処かのお寺の鐘の文字の刻印についてイチャモンを付けて「反逆だ」、大坂夏の陣で大坂城の外堀の一部を埋めると約束しながら、ほとんどの堀を埋めてしまった事、秀吉が息を引き取る直前に「秀頼を頼む」と懇願したのにも関わらず自害に追い込んだ等・・・) たしかに家康は幼少期に人質として苦労したり、信長に疑いを持たれ実の息子や本妻を殺したなど不幸話もありますし、知力にも長け良い部下も居て信長・秀吉が出来なかった「幕府」を開いている・・・すごい事なのだとは思いますが、「狸親父」と言われるあの性格はどうも好きになれません。(^^; 家康ファンの方はどの辺がお好きなんでしょうか? よろしければ聞かせて下さい。
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さきほど書き忘れましたが ちなみに1番のファンは真田幸村です。。。
岡崎生まれの僕は家康ファンです。 数々の裏切りは、家康が混乱した世の中を平和な時代にしたいという考えの元だと思います。 この時代の寺とかは、今で言うテロみたいな武力を持った組織であったので、もし反乱したらまずそうな所は早めに潰しておけば平和安定に繋がったのだと思います。豊臣家も然り、このまま秀吉無き後秀頼では天下平定は無理だと考えた果てこのような行動を取ったのだと思います。 この時代は下克上が当たり前だったので、何かとイチャモンつけては力をそいがなくては、戦のない世の中をつくるのはほぼ不可能だったのでしょう。そして200年の平和によって、現代の人々のように平和が当たり前という時代ができたのです。 まぁ今で言うブッシュみたいな感じではないでしょうか?イラクやテロ組織や北朝鮮など歯向かいそうな奴等は潰すみたいな。 obrigadoさんは今イラクや北朝鮮が歯向かって、ミサイルが飛んできたり、石油製品の価格が高騰したり、ニューヨークのテロみたいになったり、ガソリンが1リットル500円になったらどう思いますか? 結局、平和を乱す要因になるものは、約束など破りまくって潰していく必要があると思います。 農民や商人(今で言う国民)は将軍(今で言う小泉総理)が誰だろうが大して変わりはないのだから、平和という1番の利益を提供してくれることが、家康の魅力だと感じます。
- snowbees
- ベストアンサー率22% (173/760)
関が原の戦いで、毛利ー石田の西軍が勝った場合を想像すると、後知恵ですが、家康は偉大だと思います。私個人は、「刷り込み」もあって、家康は嫌いですが。(笑い!) 明治維新での勝海舟や大久保利通の様な立場でしょう。(いずれも、功績の割りに個人的人気はないが)
- mutant
- ベストアンサー率18% (17/90)
歴史から学び、未来に対しての卓越した感覚を持った尊敬できる政治家だと思っています。 将来徳川家に対抗する可能性があるのは天皇家と予測をしています。徳川の血が断絶しないように、御三家の中でも水戸家だけは、将来徳川家と天皇家が対立した時には天皇家を擁護する立場をとるように指示しています。その教育が生きて、幕末において水戸家は尊王を貫いています。 豊臣家に対して徹底的に潰しにかかった事は、平家が源頼朝、義経に甘い対応の結果滅ぼされた事を教訓にしています。 260年先の事になったのは結果論かもしれませんが、過去、現在の日本にこの様な人物は残念ながら見当たりません。特にバブル後の日本を見ると悲しい限りです。 家康が悪く言われた原因は、明治政府の皇国史観による影響か強いと思います。明治政府ー善、徳川幕府ー悪、朝鮮に出兵した豊臣家ー善、それを滅ぼした徳川家ー悪の教育です。同じような教育に、楠正成ー善、足利尊氏ー悪もあります。 ちなみに自分は信長ファンですが・・・
- aminouchi
- ベストアンサー率46% (376/804)
えーと、家康ファンというわけではありませんが誤解があるようなので・・ 家康が詐術に満ちた言動(obrigadoさんのいう「約束破り」)をしたのはその生涯の末期、秀吉無き後の天下を取りに行くときとそれを仕上げにかかった時、つまり、豊臣家を滅ぼそうとする時だけです。しかも、その約束破りの相手はただ豊臣家に対してであり、他の大名たちにはきちんと約束を守っていました。 家康の一生を一言で言えばかれは「律儀」な人であったと言えます。同盟者である信長には部下扱いされ、姉ヶ崎の戦いなどではきちんと援軍を出しながら、武田信玄の状況の時にはろくろく兵も出して貰えないなど信長に裏切られつづけていながら一度かわした同盟の約束をきちんと守る「律儀さ」は戦国大名としては異例です。つまり、一度も同盟を解消しようともしなかったし、他の大名に対しても一度かわした約束はきちんと対応してきました。戦国時代にしては希にみるこの性質のために徐々に周囲の信頼を勝ち取っていったのです。 ついでながら、秀吉亡きあと天下は再び乱れんとし、徳川ばかりでなく、豊前の黒田家、加賀の前田家、中国の毛利家、薩摩の島津家などいずれも天下を伺いました。そうした状況の中で各家がさまざまな動きを示し、結局は「律儀」で通っていた徳川をたよる勢力が拡大していったのです。もし、言われるようなことばかりしていたとすれば、確かに250万国という大名でありましたが周囲から信頼されることもなく、天下を争うところまで行かず、豊臣家の筆頭大名として終わったでしょう。逆にみんなの目の敵にされて最初に滅ぼされてしまったかもしれません。 家康が狸親父と呼ばれるようになった言動にしても、身の危険を感じたNO2がNO1を倒して天下を取ろうとする動きであるとする解釈も成り立ちます。そう判れば好き嫌いは別として、言動を理解できるのではないでしょうか。
- nekketu
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チャンスを絶対に逃さない嗅覚。かな 裏切りはアノ時代当然のことだし 裏切られる方が無用心ではないのでしょうか? 信長にしても、秀吉にしても後継者のために、 周りの環境をきっちり固めないままに死んで しまったのがいけないと思いますが・・・ 秀吉は信長の子どもを利用して自分が 天下人になったのだから、当然家康も 自分と同じ事をすると予測して、 備える必要があったのにそれを怠った。 信長から何も学んでいないといわれても 仕方がありません。 その点、家康は、これまでの経験から、 後継者を3代目まで決めて、大名の力を そぎ落として一族の安泰を確実なものにした。 彼は人生の経験から天下人の心得を キッチリ学んで実践しているではありませんか。 でも、なんといっても3人の中で一番長生きした のがイチバンの“勝ち”ですけど。 これも秀吉は自分より年下だと分かっていたのですからね。 私は、我慢するところと、“行く時は行く” ということを知っている優れた武将だと思います。
- cse_ri2
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ファンではないのですが、まがりなりにも戦乱の世を終結 させ、二百数十年に渡って安定した社会を構築した実績は それなりに評価をしています。