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歴史がこうだったら(戦国時代編)

戦国時代が~だったらという考察です。  ・織田家が天下統一したら信忠→秀信となりますがそうなった場合、大名たちはどうなってどう動いたか想像で教えてください。  関が原で西軍が勝利し徳川が処刑されたとしたらどうなっていたか?腐敗した豊臣政権がだれかしらのカラクリ政権になるのか?  

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  • kurione
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回答No.3

もしも・・・・楽しいですね。天下統一がどうやって達成出来たかによります。それと信長が老いても極端な能力主義者であり続ける事が前提。また織田氏は平氏ですし。信長の性格を考えても強引に幕府を開くことに固執しない。おそらく秀吉に近い政権運営をすると思う。頭が良くて古い権威を否定する信長の対朝廷政策は天皇だけ優遇し、公家(特に五摂家)は激しく統制し没落させ、下級公家を引き立て天皇の側近とする。外様大名に関しては毛利も領国内の武将をまとめきれなくなっており結果的に屈服すると思います。2カ国程度(安芸、石見)。毛利家で頭角を現すとしたら吉川広家。政権内に入れるかも。宇喜多 直家は屈服後も裏で動きすぎて信長に殺されるでしょう。息子の宇喜多 秀家は秀吉には可愛がられていたけれど多分信長には認められずせいぜい備前一国。九州北部は小物のばかりで大軍勢で侵入すればほぼ屈服。問題は島津。島津 義久、義弘、家久3兄弟。豊臣秀吉に対しては馬鹿にしていたが織田信長をどう感じるか未知数。以外とバランス感覚が優れている。?いずれにしても島津は九州の大半を平定しており、おそらく1~2度は戦い結局敗れる。問題はその後信長が許すかどうか。四国の長宗我部は長宗我部元親は梟雄でしたが、もし長男、長宗我部 信親(信長が烏帽子親)が実権を握ったら、彼は聡明であったため早々に織田につくし政権の中枢にも入る可能性。松永久秀は権謀術式に優れてはいましたが、それは戦国時代だから活動できたに過ぎず、統一前に反乱し滅ぼされる。上杉景勝は良く言えば実直、悪く言えば覇気に欠ける。西国が平定された時点で早々に屈服。おそらく越後安堵。このような人物は信長は、嫌うか取り立てるか極端。おそらく信長存命中よりも信忠の代の方がいいかも。直江兼続は平和時の能吏タイプ。織田家の直参になるかも。北条家は北条氏直だろうが父氏政に気を遣う余り部下に任せてしまった。噂では決断力思考力に富んでいたそうで、そうそうに氏政の影響力を排することが出来たなら、家康より直接織田家に接近する。信長も徳川家康の勢力拡大を警戒しているので場合によっては織田政権にも参入させてもらえるかも。佐竹氏は佐竹義重・義宣だが二人ともかなり優秀。先見の明もありそうで、織田家関東以南の平定と同時に織田家に臣従する。東北征伐の先兵となり、その後も政権に参加出来る可能性あり。 東北諸大名は反伊達だが、混沌状態。織田方が関東まで制圧すると東北の諸大名がバラバラに親交を求めようとするが信長はおそらく利用価値の少ないものは相手にしない。暫く混沌に任せ、勝ち残った者を叩く。おそらくは伊達正宗だが信長は正宗のような男は嫌いだろうから東北完全平定までは利用。ただ信長暗殺は企てるかも。織田家は良くも悪くも一枚岩ですから、そこをつくのは正宗なら必ずする。 織田家臣団で実務能力に優れるのは、蒲生氏郷、村井貞勝、明智三成?ぐらい。もし追放されなければ林秀貞も。次席で堀 秀政 次次席で池田 恒興。丹羽長秀は極々普通。柴田勝家、佐々成政、滝川一益、前田利家には実務能力はほとんどない。細川藤孝は教養はあるが統治は・・・豊臣秀吉は優秀な官吏がいて能力が発揮される。それなりの大名には任じられるが、配下の武将は多分芽が出ない。が黒田如水が何か企みそう。森 長可は気性が激しすぎて協調性にかける。いずれもそれなりの領地は与えられるが・・・統治能力に欠ける武将達はそうそうに不手際を起こし潰される。。 そして問題なのは徳川家康。おそらく織田政権での最大の問題。信長の気性を考えれば、信忠のために消し去りたい。まずは関東移封もしくは大昔から中央に反発、統治が難しい東北移封。豊臣政権時代のような根回しが間に合わず諾々と従い家臣が離れていくか、仕方なく単独で反乱。極端な能力主義の信長はさっさと蒲生氏郷、村井貞勝らを信忠の側近にする。明智光秀は信忠を丸め込むかもしれないので側近にはしない。そして側近の武将は豊で要所である、九州、中国、関東に配置。信忠親政のさい執政衆とする。織田家の陪臣のものでも優秀な者を引き上げて補佐とし、長宗我部 信親、吉川広家、北条氏直、島津、佐竹ら実務能力に優れた者を補佐。奉行衆に任じる。それに対して過去の戦功をたてに文句をいうものは譜代でも潰す。 問題はこう言った官僚的な構造が完成する前に信長が死去したときと秀信親政まで に次世代有力官僚候補である大名が育たないと。また騒乱が起こるかも。 西軍が勝った場合、石田三成などは報償で禍根を残す。秀頼への真の意味で忠誠の為に動いたのは立花宗茂ぐらいか、あとは損得やしがらみ。実際西軍で文武とも優秀なのは大谷刑部ぐらい・・・・それも病気で長生きは出来ない。秀頼がもし淀の方の束縛をはねのけ、武将としてトップとして振る舞えれば良いが・・・無理だろうね、秀頼の回りはろくでもないものばかり。(せいぜい大野 治長ぐらい)まずは島津が勝手に九州を平定。伊達も東北で争乱を起こす。やがて関東に進出し佐竹と争う。信濃は上杉が信濃に侵攻する。真田は小さいし、再び混乱。武田家再興なんて話がでるかも。結局豊臣政権が保持できるのは畿内、中部ぐらい。石田三成も暗殺され豊臣家は衰退していく。第二次戦国時代突入。

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回答No.4

信長が生きていたら、日本の近代化は早かったでしょうね。 各国との貿易も盛んだったでしょう。 しかしその反面、キリスト教が入り込み、それを突破口にしてフリーメイソンが入り込み、日本は早くにメイソンに取り込まれ国益は密かに奪われていたかもしれませんね。 家康も寿命には勝てず、絶命したでしょうし、各藩のクーデターも多く、内乱状態が続いたかも。 そうなれば安定した生活もできず、現在のような日本文化も廃れていたかもしれませんね。 近代化により繁栄したのか、クーデター続きで今の東南アジアか中南米のようになったのか。 想像はつきません。 ただ言えるのは、家康が鎖国をし、キリスト教を排除に動いたことでメイソンの侵入を防ぎ、経済的支配を逃れたことでしょうか。 しかし長州・薩摩明治維新でなし崩しですけど。 しかし、全てたらればなので。

  • mudpuppet
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回答No.2

信長は明制圧に出かけていったはずです。 史実では秀吉の朝鮮出兵は家康の地盤を固める結果になりました。 しかし信長が生きていたら当然両者とも付き従っていたわけなので クーデターもなかったでしょう。 関が原は実際にはあっという間に西軍が瓦解していたようです。 東軍の苦戦は神君家康を称えるために美化されていたってこと。 五大老の筆頭である家康に正面から歯向かえる武将がいなかったのでしょうね。

回答No.1

織田政権は正直 信長が奇想天外すぎて想像がつきません 笑 彼の事なので幕府とか関白とかそういうのは興味なかったでしょうし 関ヶ原の件は三成が存命なら彼が秀頼の後見になって支えたと思います まぁ福島とか加藤らが三成に不満を抱いてまた別の反乱が起きた可能性はありますが