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観音さまとシャーリプトラは、どっちがエラいの?
『般若心経』に出てくる 《観音さま・観自在菩薩》と《舎利子(しゃりし)・シャーリプトラ》はどちらがエラいのでしょうか? 観音さまと、声聞の最高位である《阿羅漢》はどっちがお利口さんか、 すごいのか、エラいのか? 教えてください。 よろしくお願いします(ペコリ)。 皆さんのご意見、お考えを、 教えてください。 参考までに、 http://hannyashingyo.web.fc2.com/arekore/eraika.html
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小見を省みずお話させていただきます。 般若心経に説かれている観音様は、深い般若の智慧の象徴として描かれています。 深い般若の智慧とは、無分別智のことであり、直観の智慧を指しているようです。 シャーリプトラへの呼びかけとは、人の意志への呼びかけであり それは 直観的に把握された真実が、意志に与えられ伝えられた事を示しているのだと思います。 シャーリプトラという一人の人間における悟りの内容なのでしょう。 般若心経は瞑想の体験の描写とされているようですが そこには同時にシャーリプトラの内面が描かれているのだと思います。 繰り返される、意志と直観による深まりです。 この事は、仏の智慧に対する解釈として、悟性という意志の働きを重んじるか、或いは直観という意志以前の働きを重んじるかによって分けられてきたように思います。 その辺の事は、増谷文雄氏の「根本仏教と大乗仏教」に載っています。 戒律と理知を重んじる部派仏教と、瞑想による直観的智慧を重んじる大乗仏教の違いなのでしょう。 ご存じとは思いますが・・ ご質問に、カント的解釈を加えるならば、意志(悟性)と直観のいずれが優れているのか といった事になるものと思います。 一人の人間に備わっている理性の一面を、それぞれに取り上げて優劣を付けられるものでしょうか・・ 直観と悟性という、二にして一なるものを比べる事はできない そんなふうに思います。
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限られた知識に基ずく推測でよろしければお聞きください。 続きのお尋ねに対する答えは 般若心経にシャーリプトラの名が登場している点にあると思われます。 仏弟子の中でも智慧第一といわれたシャーリプトラの悟りは、このようであった(このように訪れた)、というように述べられているわけですが 経典の成立の時期からすれば、あまりにもかけ離れている事には違いない にもかかわらず、シャーリプトラを登場させる事が最も妥当であるとされたようです。 それはシャーリプトラが、真理を求める求道者の象徴に相応しいと見なされたからでしょう。 般若心経の訳文の冒頭に 「求道者にして聖なる観音は、深遠な智慧の完成を実践していた時・・・」 とあります。 一応は、観音菩薩が求道者であるシャーリプトラに呼びかける形式になっていますが これは、悟りが受動的に訪れる事を、相対的関係をもって示しているようにも取れます。 悟りという発見が、一人の人間に内在する精神的な働きによって行われた事でもあるように思います。 菩薩とは内在する精神の働き、といってもいいように思います。 また、そのように見た場合 「求道者にして聖なる観音」とは、シャーリプトラ本人であり、声聞の人達であり、真理を求めるすべての人達であると思います。 声聞も菩薩も異なってはいない・・と思います。 (経典を編纂した人の思いは・・遠い過去の求道者への崇敬の念と、変わらぬ心の真実とがあったのかもしれません) ちなみに 胎蔵曼荼羅は人の心を拡大したものと言われていますが 般若菩薩と観音菩薩は別尊として区別されています(この辺は厳密ですね・・) 般若菩薩は直観の智慧そのものを、観音菩薩は意志と直観による智慧と慈悲救済を象徴しているように思われます。 これらは皆、誰の心の中にも在る(居る)もの・・という解釈もできるのではないでしょうか 菩薩は誰の心の中にもいる 菩薩も悟りも、心中にして近し・・ でしょうか 小さな私が答えられるのは以上です。 すこしでもお役に立てれば幸いです。 ご参考にしてください。
お礼
再回答ありがとうございました。
- mmky
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>観音さまと、声聞の最高位である《阿羅漢》はどっちがお利口さんか、 すごいのか、エラいのか? ○声聞というのは現代風に言えば学生のことなんですね。学生の最高位といえば例えれば大学4年生ということですね。つまり、《阿羅漢》とは大学4年生ということですね。大学4年生とは言ってもまだ落第の可能性もあるわけですね。落第せずに卒業できる学生が「不還」でもう一回やり直しで卒業確定が「一来」ですね。 大学をめでたく卒業して社会に出て活躍し始めると社会人と呼ばれますがこれが仏教の「菩薩」ですね。 菩薩も新人から古参までいるわけですが菩薩の中でも十分に経験を積み六大神通力の一部を持つようになった菩薩を観自在状態の菩薩と言う意味で観音菩薩と呼ぶことがあります。このような状態でさらに修行や経験を積むと如来と呼ばれるようになります。如来の最高位が大如来ですね。 ということで観音菩薩は菩薩界上段の菩薩のことですね。みな阿羅漢にならないと菩薩にはなれませんから阿羅漢と菩薩は同じような扱いをしますが、書いたように学生と社会人の違いはあるわけです。 阿羅漢は菩薩の卵ですから菩薩心得みたいな存在ですね。だから正・菩薩の方が上ですね。正・菩薩の最上階に観自在菩薩がいるわけですね。これでどちらが利口さんか、すごいのか、エラいのか? はわかるはずですね。
お礼
こんばんは。 声聞四果と菩薩、如来の観点からの回答、 ありがとうございました。
古代の仏教でいう悟り・解脱というのは第1の悟り・解 脱になるのだろうけど、 おとぎ話のような物に付いてあれこれというのは、軽い 話としてならいいだろうけど?・・・ 観音様というのは一時的半実体の存在だし、、古代既に 菩薩だった存在が未だに如来になれない訳もなく、、一 応、実体の存在なら ま?菩薩というのは修行僧ではなく、如来として天界と の一体化を避けているに過ぎない、その段階へと進もう としない如来の段階達成者(を表現している)、と私は 何度か、私なりに確認し伺っているので、まそうなのか な?と > 観音さまと、声聞の最高位である《阿羅漢》はどっちがお利口さんか、 すごいのか、エラいのか? 人は一時的半実体より優位性があるようなので、しかし 阿羅漢という存在の達成が第1の悟り・解脱なら観音様 しかし一時的半実体の存在は、そのように表現されたに 過ぎないので、より実体性という意味でなら阿羅漢とい う存在になるんでしょうかね? どちらにしても、どうでもいい事かとも思いますけど?
お礼
こんばんは。 ☆しかし一時的半実体の存在は、そのように表現されたに 過ぎないので、より実体性という意味でなら阿羅漢とい う存在になるんでしょうかね? ◇もしシャーリプトラが阿羅漢であったならば、死ぬと灰身滅智してしまいます。 少なくとも現時点においては、 むしろ、存在性ならば、観音さまの方が上なのでは? という気もします。 回答、ありがとうございました。
- ふじ-さん おたま-さん(@OtamaFJWR)
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ひょっとして、「覚者(覚醒者)としてのスキル」を較べたいのですか? 「覚者としてのスキル」で構わないなら、【それぞれ価値観等のモノサシ(任意性)は無い】と指摘できる(重力の法則等、物理の最新の研究から導き出された「プランク定数」と同類)。つまり「覚者としてのスキル」なら「明確に競技の結果が出るモノ」と同類なのだ(精神性が低いとこれは理解できません)。その上で、誰が一番偉いか?、知りたいのであれば、私見ですが、現在、少なくともこの星で【最高位の金メダリストは、No.1で回答されている人物】です。 ちなみに、彼の名前は「Psychological Technology」の略語で、意味は「認識工学」という【未来の基幹学問】の名前を、わざわざ引用的に使っていると推察できます。/ 詩情的な表現ならば「大賢人」で、有名な物語「ゲド戦記」の主役がふさわしいイメージ。ジブリ映画での「ゲド戦記」は、監督が「シュナの旅」という物語の印象を、監督なりの手法で【ミックスした傑作映画だ】と、私は思います(大賢人がいかなる人物像を持つか興味があれば鑑賞されることを勧める)。 要するに、質問者様は「どっちの神が偉いの?」と、公共サイトであるこの場で質問したら、なんとNo.1さんが、(No.1さんは、己が世界一で歴史上でも最高位の賢者であることを公表する必要性が無いため、私くらいしか知らないが)、一般人の回答者として以下のように回答されたと推察できます。 その回答とは:「どっちか?だって? 任意性のあるモノサシでは、比較のしようがないんだよ。仮に、競技のごとく明白なスキルの結果が出るたぐいのモノサシで、偉い人物を知りたいならば、もっと精神性を高め、唯一正しい物理学と矛盾しない思想性を身につけることをオススメする」以上。 ◎もしも詩情的な表現で、状況を表現するなら【ここの質問者さまは、究極至高の生神様(金メダリスト)に対し、どこの誰が金メダルに値するか?を問うたこと】になり、まことに、可笑しい(悪意は無いよ)。ちなみに、私の当該質問に対する回答は、上記に含まれている、とあなたが理解できることを希望します。
お礼
ἐποχή~!!
>《観音さま・観自在菩薩》と《舎利子(しゃりし)・シャーリプトラ》はどちらがエラいのでしょうか? 観音様は仏様です。 舎利子は、お釈迦様のお弟子さんです。 舎利弗(しゃりほつ)とも呼ばれる人で、竹林精舎でお釈迦様の弟子になったとされています。 般若心経の文面から云えば、観音様の方がエライということになります。 >観音さまと、声聞の最高位である《阿羅漢》はどっちがお利口さんか、すごいのか、エラいのか? 「声聞」というのは、仏の声を聞いて悟った人のことを指しますが、大乗仏教(北方仏教)では如来になるのは難しいとされていました。 菩薩は如来になる手前の仏様ですが、観音様は如来になる資格があるにも関わらず衆生救済の菩薩業を敢えてなされている仏様とされています。 となると、阿羅漢さんよりも観音様の方がエライと言っても宜しいでしょう。 ただ、どっちがお利口さんとは言えないでしょう。 どっちがすごいのか、ということになると、如来であるにもかかわず菩薩業を敢えてなされている観音様のほうがすごいと言えるかと思います。 いずれにしても、どなたも我々衆生よりもず~とエライ方々ですから、素人が自分のことは棚に上げて、プロ野球の選手を捕まえて、あいつは上手いとかあいつは下手だとか言っているようなもので、余り当てにはならないでしょう。
お礼
こんばんは。 非常に丁寧で、わかりやすい回答、 ありがとうございました。
- 雪中庵(@psytex)
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小泉元総理をエラいと思う人もいる。 昔の哲学者を利口だと思う人もいる。 それぞれの世界観・価値観をモノサシとして、 計られるものだ。 その点、陸上競技やゲームのように、明白に 優劣の決まるものとは異なる。
お礼
高い見識に基づく回答、 ありがとうございます。 現在の南伝仏教はひとまず棚上げしまして、 ご存知だとは思いますが、 《菩薩・bodhisattva》とは、 本来、 成道以前のゴータマ・ブッダの敬称、尊称です。 仏教草創期の声聞(と言いますか、仏弟子)と、大乗の説く菩薩とは、 異なるものなのか、同じものなのか、 どのように考えていらっしゃるのか、 教えていただけたら、さいわいです。