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箱庭療法の解釈
以前、箱庭療法を体験したのですが 私だけ箱には何もおかず、 ただひたすら砂だけを手で触って終わりました。 とにかく何も置きたくなくなかったし、何かをいれたくもなくて、ただそれが正しいかわからないし、与えられた時間があったので砂だけを触っていました。 何も言われずに終わったのですが、箱庭療法では何も置かず、砂だけを触るっていうのはアリだったのでしょうか。 また、これはどう解釈すべきでしょうか。気になってきてしまいました。どなたかわかる方、教えてください。
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- 007_taro
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>私だけ箱には何もおかず、 と言うことは、箱庭療法体験ですか?他に数名いて行う状況だったとか? >何も言われずに終わったのですが、箱庭療法では何も置かず、砂だけを触るっていうのはアリだったのでしょうか。 実際にクライアントとして箱庭に何も置かないことはあり得ます。解釈としては、 1)カウンセラーとの関係がまだ確率されていないため、クライアントが安心して自分の心の中を表現できない(時期尚早だった可能性)。 2)どう自分を表現していいか分からない。 3)箱庭療法と言うものがどのようなものか分からず、何をどう置いていいか、単純に分からない(説明不足か?)。 4)箱庭療法と言う形では自分を表したくない。 通常はカウンセリングを行っていく中で、カウンセラーとクライアントの信頼が構築されていき、安心して自分の世界を表現していくものですが、どうも先の状況からすると、お試しというか、箱庭療法体験的な状況に取れましたので、複数名がいる中では安心できなかった可能性もあります。また、何も言われなかったとのことですので、何も置かなかった、置けなかった点に関して、講師(?)の方は、カウンセリングを行った流れで実施したものでもなかったので、特にコメントができるものではなかったのだと思います。
- amaguappa
- ベストアンサー率36% (140/385)
作業療法士や心理士などの施療者とnatsu0000さんの関係が、 箱庭に向いていなかったというのが、まあ答えといえば答えになるでしょう。 表現系の療法は、ひとりの内から湧き出るのを見るだけでなく、 ケアする側とされる側の関係から生み出すことが大事です。 人間と人間の間に置いて紡がれる世界であることが大切です。 一方に施療者の用意した箱庭の材料があって、 他方に被験者が特に何も選びたくない、配置したくない、砂だけ触れていたい、 という事実がある。 それをそのまま受け止めるのがセラピーの基本です。 言語化の容易な被験者なら、このような状態で言葉を交えていくことがあってよく、 箱庭療法はこれという正解を探すものではありません。 配置を読み解くプロセスもまた、対話として進められるべきものであり、 パターンとの照らし合わせで機械的に導いてはいけません。
お礼
回答ありがとうございます。 お礼が遅くなってしまって申し訳ありません。 箱庭に向いてなかった、という答えもあるのですね! 他の方もおっしゃるように、私と施療者の関係も大きく響くのですね。 私は教授が手元を見られていたので多少緊張していたのを思い出しました。 箱庭に対しては手が動きませんでしたが、バウムテストなど、「描く」方には積極的だった事を思い出しました。
- Gracies
- ベストアンサー率45% (150/332)
>何も言われずに終わったのですが、箱庭療法では何も置かず、砂だけを触るっていうのはアリだったのでしょうか。 ⇒それがあなたの行動だったので、それを基に解釈するでしょう。アリもナシもありません。 >また、これはどう解釈すべきでしょうか。 ⇒あなたが、どういう立場で、箱庭の体験をしましたか?それによって、答える方法を変えた方が良いと思います。 何故ならば、授業も含めて、あなたに、アドバイスをしたり、検査をする方の下で、箱庭の体験をしたならば、その先生に直接、聞いた方が良いからです。 箱庭での部分的な行動だけで、あなたを判断するわけではありません。 また、何もしないようでも、見方によれば、その時のあなたの心が現れているように思う人もいると思います。 あせらず、気持ちをゆったりと持って、まず、その体験をしたところで、そのことを行った人に、 「私、とっても気になってしかたがないのですが、この間、私がしたことを、先生は、どう思いました か?」と聞いてごらんなさい?それを直接言うことが難しければ、手紙に書いて渡しましょう。 そして、その答えを待つのが一番いいですね。 尚、体験をした時期から、かなり時間が経過し、その先生に問い合わせをすることが難しい場合には、類似の体験をする時に、その人に聞いてみるのも一つですね。 ☆★☆★☆既に体験をした時の方に、問い合わせることが不可能な場合には☆★☆★☆ >私だけ箱には何もおかず・・・ということですが ⇒学生として、箱庭の体験をしたのですか? だとしたら、そういう学生さんへのコメント解釈は、ありませんでしたか? それを想い出せますか? この場で、あなた を知らない方のアドバイスを聴くことも大事ですが、まずは、図書館に行って、箱庭療法関係の本を読みませんか?そうしながら、あなたの考えを、もう少し、練っていくのも、大事なことかと思います。 >ただひたすら砂だけを手で触って終わりました。とにかく何も置きたくなくなかったし、何かをいれたくもなくて、ただそれが正しいかわからないし、与えられた時間があったので砂だけを触っていました。 ⇒ほんの参考ですが、 あなたなりの迷いが、そのようになったのでしょう。 これを持って、あなたのことを断定するわけにはいきませんが、他の場面、「例えば、何か新しいものを買おうと思った時に、なかなか品物が決まらず、結局、あれやこれやと迷っただけで、買いそびれてしまうとか、大事なことを、あなた一人に急に頼まれると、あれやこれやと考え、どうしたら良いかわからず、何もやれずに時間が過ぎたり、気になって仕方がなかったり、心配になっって緊張し、落ち込んだり、時には、行ったことを後悔している内に、また同じ失敗をしてしまう・・・等」がありますか? そんなことがあれば、もしかしたら、こういう対応の仕方は、あなたの心の「クセ=特徴or個性」なのかもしれません。 そのような人は、もしかすると、比較的、頭脳緊張型で行動抑制型かもしれません。 但し、いつもいつもそうではありません。思いがけず、大胆な行動をとることもあるからです。 或いは、良く考えた集中力も発揮することもあるでしょうし、逆に、拘ってしまうこともあるかもしれません。その結果、思いがけず、他人からは、びっくりされることもあるかもしれません。 そんな心のリズムや想いが、他の人にうまく伝わらず、他人とのトラブルの原因にされ、あなたのせいにされて、結果、責められたら、辛いですよね。 でもね、人の癖は、なくて七癖。誰にでも、いろんな癖があるんですよ~。(私も・・・) そこで、あなたにお勧めなのは、「ゆったりと、楽しく、行いましょう」です。 その為には、雑学に興味を持つことを、お勧めします。 ジョークや笑い話の種、音楽、絵画鑑賞、どんなことでも良いです。 人との会話のクッションにもなります。 好きなジャンルから始めたら良いと思います。 急がばまわれということは、人にあるべき、深慮なり。これは私の座右の銘の一つです。 直ぐに結論を出さずに、ゆったりとした別のリズムで、豊かに過ごすことで、視野も広がり、人との付き合いもうまくなり、とても優れた気配りができることもあると思います。 「Have a good day!」
お礼
回答ありがとうございます。 お礼が遅くなってしまい、申し訳ありません。 私が体験したのは数年前、学生時代です。 恥ずかしながら、当時は別に専門があったため体験はしたものの教授の解説をよく聞いていませんでした。 先日ふとレジュメを整理していた際に「そういや箱庭やったなぁ」と思い出し、気になって質問させてもらいました。 >「例えば、何か新しいものを買おうと思った時に、なかなか品物が決まらず、結局、あれやこれやと迷っただけで、買いそびれてしまうとか、大事なことを、あなた一人に急に頼まれると、あれやこれやと考え、どうしたら良いかわからず、何もやれずに時間が過ぎたり、気になって仕方がなかったり、心配になっって緊張し、落ち込んだり、時には、行ったことを後悔している内に、また同じ失敗をしてしまう・・・等」 当てはまる節があります。 基本的に優柔不断で、後悔先に立たずなもので… また、「考えすぎる」癖があり、良くも悪くも日常生活に響いていたりします。 少し、当時自分がどんな心境で箱庭療法を体験していたかを思い出すことが出来ました。 確か、「起きたいものがない」のと、そのような療法があるのを知ってはいましたが実際目にして「どうすれば…」と迷いがありました。 また前述したように、教授が手元を見つめていらっしゃった事もあり多少緊張していたように思います。 そういった事が現れていたのかな、と感じました。
- no_account
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箱庭は「心の表れ」です だから正解などは無いのです 箱庭に何も置かなかったのは 「誰も近づいてほしくない」 「自分に誰も関わってほしくない」 という自分の心だったのでしょう
お礼
回答ありがとうございます。 遅くなってしまって申し訳ありません。 正解など無い…確かにそうですよね。どんな気持ちや感情、心理、そしてその表現に正解など無いですよね。 「誰も近付いて欲しくない」や「自分に関わって…」には、思い当たる気がしました。
お礼
回答ありがとうございます。 お礼が遅くなってしまって申し訳ありませんでした。 箱庭療法は大学での授業の中で体験として行われました。 周りに友人がいましたが、なんとなく周りを気にしていたのも事実で、「安心できなかった」という気持ちはあったと思います。 実はバウムテスト等「こういう絵を描いてください」というカウンセリングや、コラージュ体験においては足りないと思う位手が動いていたことを思い出しました。 箱庭療法というものを知ってはいましたが、いざ目の前に置かれるとサーっと波が引くように気持ちが冷めたというか、箱と距離を起きたくなったような感覚もありました。 周りの状況も反映するものなんだなぁと今更ながらみなさんの回答に勉強させてもらいました。