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仏像とは良く出来た美術品ですか?
こんばんは。 古い建物が好きで良く京都のお寺とか行きますが仏像の前は素通りです。 興味が湧きません、拝みもしません。神社では願掛けなどは時々します。 見ればすごく精巧に良く出来ているとは思います。 仏像を美術品として見る楽しみは有りますか? それともそう言う見方よりまず先に宗教心と言いますか、敬拝心と言いますか、 そう言う気持ちから入って、その後に美術品として見るのですか? いやそんな軽く考えられては困る、と言う考えもありそうですが立派な美術品ですよね。 皆さんはどのような見方をしているのですか? では宜しくお願い致します。
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>古い建物が好きで良く京都のお寺とか行きますが仏像の前は素通りです。 興味が湧きません 仏像がどうのこうの以前に ギリシャ彫刻とかオブジェとかの彫刻作品はお好きですか? 建物はご覧になれておられるようですが、付随している庭園や植栽にご興味はありませんか? 古建築物にご興味がおありの用ですが、近代建築物については如何でしょうか? 絵画はお好きですか? 以上の質問でお気づきの通り、興味がなければ、仏像だろうがなんだろうが別に気にされることはないかと思いますが如何でしょうか。何か仏像に拘るようになった切っ掛けがおありでしょうか。 鑑賞して楽しむのには興味がないとどうにもなりません。 いくら理屈で解っても嗜好というもはどうにもなりません。 最近はあまり流行していないようですが、仏像を変わったものとして見て歩いていた若い女性が沢山おられたようですが、別に信仰だの宗教だのとは無関係でした。(彼女達流に言うと「カワイイ~」ということのようです) 最近は古墳がカワイイ~と言ってなにやらグッズまで売り出されているようです。 ということで、今まで通り素通りで一向にかまわないと思います。
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No3です わざわざお礼を記入して頂きありがとございます。 こんな話があります。 骨董屋の小僧を鍛える為には本物だけを見続けさせるのだそうです。 早ければ3年遅くとも5年もやっていると自然に本物と偽物の見分けがつくようになるのだそうです。 その間に絶対に偽物を見せてはいけないのだそうです。 質問者様ご自身も古建築物を御覧になるついでに仏像を御覧になられておられれば自然に違いが見えてくるようになります。 理屈や知識ではどうにもなりません。 クラシック音楽も興味がなければ何を聞いても同じです。 まして、コンサートで2時間も座っていろと言われたら拷問以外のなにものでもありません。
お礼
あら、そうすると私はけっこう本物を長いこと見てるかもしれません。 でもすごく時間掛けて名工が丹精込めて作ってるのでしょうけど、 素材が素材だけに違いが出せないと言うか、作る人も勝手にアレンジできないし。 どうもありがとうございました。
- tonton83
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美術品として見る方です。僧侶はどうなんでしょう疑問です。美術品としてもゴッホの作品を拝んだりしないだろうし。仏像と言える形なら拝む対象になるのでしょうか。美術的価値のない幼稚なものでも形がそうなら拝むのでしょうか。一定以上の作品になにかおまじないでもして拝む対象にするのでしょうか。
お礼
いやお坊さんは美術品として見たらいけないと思いますよ。 御仏の仮のお姿ですから、いやそれがいかに稚拙なものだとしてもそれは仏さんですから。 良く仏像を輸送するとき一旦魂を抜くとか言うじゃないですか。 生きていると言う建前だから、これいくらで売れるかなーなんて考えてたら 見ぬかれちゃいますよ、きっと。 どうもありがとうございました。
- studiotribird
- ベストアンサー率52% (18/34)
美術系の仕事をしてた者です。 >仏像を美術品として見る楽しみは有りますか? ↑良い問いだと思います。 基本的に、人間って 「自分にとって都合の良い事実しか認識できないようにできている」 らしいです。(現代思想の基本でしょうか) なので、仏様がリアルだった時代には、それはそれはすばらしかったんだと思います。(あくまで「当時は」という想像ですけど) そんな素晴らしい仏様を作成するんだから、「素晴らしい造形の名人(しかも集団で)」が作成します。 だから、美術的な目線で見てもすばらしい。 「このラーメン、めちゃ美味い」って言ってるようなものでして。 ラーメンが嫌いな人にはわからないわけです。 ラーメンが好きだから、いろんな店をめぐる人もいるでしょう。 わざわざスープの調合や麺との相性を褒めるもいるでしょう。 カップ麺でいいやって人もいるでしょう。 それぞれですよね。 (例えが酷くてすみません) 「別に宗教心もないし、美術とか興味ないや」 って人には、ただのオブジェにしか見えないでしょう。なぜなら 「自分にとって都合の良い事実しか認識できないようにできている」 からです。 この世界には、本当にすばらしい物事で溢れかえっています。(ラーメンしかり) でも、その価値に気づくには、その人の考えが根本的に変わらなければなりません。 >いやそんな軽く考えられては困る、と言う考えもありそうですが ↑たまに、宗教の話すると、こんなふうに感情的になる方もいらっしゃいます。 でも、別にそれは人によって温度差があったもいいと思います。(つけ麺は邪道って言ってるようなものです) ・歴史の勉強として ・造形として ・宗教として ・市場経済の貨幣価値に置き換えた価値として …こんな感じで、いろんな人のいろんな目線で「価値」が測られます。 正直、どう見られようと、誰が評価しようと、なんでもいいんです。 自分自身を高めようと誇り高く生きようとしさえしていれば、仏様が勝手に偉大になっていくでしょう。 長くなりましたが、参考にしていただければ幸いです。
お礼
やはり御仏の仮のお姿だとすると、 それを美術品として見たらいけないんじゃないかと、 そのように感じたわけです。 先に拝んでから、でそのあと美術品として見るとか。 どうもありがとうございました。
仏像やおそらく仏画があなたにとって美術品でしかないように、すでに仏教美術というジャンルがあり、欧米にはキリスト教美術というジャンルもあります。 また賛美歌や聖歌、そしてお経も、あなたの様なタイプの人には、音楽に過ぎません. すでに、そういった見方は常識となっています.信仰と宗教が乖離しているからでしょう. 宗教も美術も、結局は人の問題です.
お礼
お経はお経にしか聞こえませんけど。 確かに仏教美術と言う言葉がありましたね。 この質問開くと下の方に仏像本の広告が沢山出てます。 ですからそう言うファンがいるのは解るのでですが、 そう言うファンはやはり普通の美術品趣味なのですか。 少し違う感じがしますけど。 どうもありがとうございました。
お礼
いや大体そう言う物の知識はありませんが、広く浅く興味はあります。 お寺は良く行きますから仏像も人より見る機会は多いはずです。 興味と言われても大体が同じに見えてしまいます。 どうもありがとうございました。