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クリスチャンの方教えてください
私は神社やお寺に行くのが好きです。仏像をみるのも好きです。 信仰心から、というよりは建物や庭、仏像等の造詣の美しさが好きだからです。 ですが、クリスチャンになろうとしています。イエス様に救いを求めて洗礼を受けようと思っています。 クリスチャンになると、神社やお寺に行くことはだめなのでしょうか?
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高校の時、縁あってカトリックの洗礼を受けましたが、仏教や神道にも親近感を感じており、お寺や神社を訪ねるのが大好きな者です。坐禅も長年続けてきました。 しかし、やはり一旦洗礼を受けたら、他の宗教に接したり、その施設を訪れるのは不謹慎だと信じている人の方が多いかもしれません。 ある一家がキリスト教に入信する時、先祖の仏壇をお焚きあげした、とか、勤務先から初詣に行った時、自分は参拝せず、門前で待っている、と主張した人がいた、といった話はよく聞いたことがあります。 私は、そういう話を聞くと、正直言ってその頑迷さに腹が立つ方です。 未だに、いや一生涯、厳密な一神教の世界は理解できない、いや理解したくないと思います。いくら十戒の第1戒に、「あなたには、私のほかに、神々があってはならない」という厳然たる掟があって、基本的に異教は崇拝してならないと考えられているからといっても、それは自分がもしそう思いたければ思えばいいことであって、他宗教を信仰している人にまで、押し付けることはできません。 十字軍以来、こうした一神教の考え方が、世界侵略を正当化するための「錦の御旗」になったことは事実ですし、ガリレオの地動説のような多くの科学的な発見も、「神の冒涜」という名の下に、異端(神の意志に背くとみなされる考え方)扱いされました。 前教皇(ローマ法王)ヨハネ・パウロ2世は、最も偉大な教皇の一人と呼ばれておりますが、彼の業績の一つとして、他の宗教との和解を図ったことが挙げられます。1986年および2002年に世界の宗教者をアシジに招いて平和の祈りを捧げたり、2000年の大聖年には聖地エルサレムを訪問し、ユダヤ教との歴史的和解への道筋をつけました。2001年には、シリアでローマ教皇としては初めてイスラム教のモスクに足を踏み入れ、さらに、2004年には東方正教会に2人の聖人の遺物を返還し、1000年にわたる東西教会の分裂を乗り越える試みを開始しました。また、前記十字軍に対する謝罪や、ガリレオへの名誉回復と地動説の承認(1992年10月)など、過去の過ちに対する見直しも行いました。そして、この前教皇の下で、教皇庁諸宗教対話評議会の名秘書官(次長)として、世界の諸宗教を対話でつなぎ平和への道を開いた、尻枝正行神父(本年6月ローマで死去)の功績も忘れることができません。 そもそも第2バチカン公会議(1962年~1965年)以降、カトリックは宗教間の対話にかなり努力するようになり、少なくても表面上はあまり、他宗教を排他的に扱うことはなくなったと思います。例えば、マザー・テレサはインドの貧民街で「死を待つ人々の家」というホスピス施設を創設しましたが、彼女は収容者の臨終に際し必ずその人の宗教を聞き、その宗教で葬儀を行ったと言われています。 このように、カトリックがある程度他宗教に理解を示しているのに対し、プロテスタント各宗派は、どちらかというと、もっと聖書やキリスト教だけへの忠誠を要求しているように感じられます。カトリックの聖堂にキリストの十字架やマリアや聖人の像が多く配置されているのに対して、プロテスタントは簡素な何もない聖堂が多く、それらの像さえ、偶像崇拝だと考え、マリア崇拝についてもアレルギーが強いようです。 一説によれば、「神」というのは、全ての人類にとって超越的な存在であり、ある所にはキリストを通じてキリスト教として伝わり、ある所にはアラーを通じてイスラム教として伝わり、又、ある所には釈迦を通じて仏教として伝わっただけだという説もあります。つまり、神という意味では確かに一つであり、一神教であっても不思議でないというのです。元々私は、信仰厚い家庭に育ちました。両方の祖母とも、超越的な神の存在を信じ、仏教、神道、キリスト教それぞれを等しく崇敬しており、上の考えに近いものでした。 結局、本当の所はそれこそ「神のみぞ知る」ことであり、どの宗教が優れているか、などという議論をしていても仕方がないと思います。宗教の目的は、人間の心の浄化であり、教義は二の次なのだと思います。だから宗教で争いが起こるなどということは、本当に信じられないことなのです。 日本人のこうした考え方は、依然としてやはり世界的にみれば、特殊なのでしょう。それでも、最近アメリカでは、他宗教の人に人に配慮して、Merry Christmas という代わりに Season’s Greetingsっという挨拶を交わすようにしたり、フランスでも、宗教的な強制を排除しようという動きがあるようですね。 以上、長々と自論を展開しましたが、私のこの考えは、多くの日本人の考えを代表しているとは思いますが、多くのキリスト教徒の意見を代表しているとは思えません。却って危険な考え、(カトリックの用語では「異端」)として退けられる考えの可能性があります。 ですから、この意見は、あくまで参考にとどめ、全て鵜呑みにすることなく、自分で考え、それで悩んだ時は、他の方も言われる通り、牧師さんや先輩の信者の方たちに聞かれることをお勧めします。 そしてどうしても納得できない場合は、より柔軟な考えをもつカトリックへの入信を考えるとか、或いは場合によっては、自分の信念に従い、あきらめるという決断もありうると思います。
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- katyan1234
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結論から言えばお好きなように 私たちは人を非難する立場ではありませんので・・・ 捕らえ方によって色々ありますから、 日本人は一番最初に考えてしまう問題だけど その前にイエス様を好きになりましょうね。 それが大事ですね。 救いは簡単です。イエスを信じることですから 「信じるものは救われる」=信じているものは救われているんですよね 後は初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。 聖書の一つの言葉だけでも信じるなら救われますね saisyoさんはどの言葉が好きですが もうクリスマスですね。12月に洗礼を受ければいいですね。 祈ってますね ゆっくりでいいから聖書を読んでね。saisyoさんに渡した手紙ですから
お礼
アドバイス有難うございます。 イエス様を好きになる。これってとても大事ですね。信じることで、お寺など日本の文化にも触れていきたいとおもいます。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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最初ほど、どうでもいいというと、語弊があるるが、いろんなことに悩むというか、考えるというか、つまずいてみるものですよね。 それほど、こちらもせいぜいが40年かそこらだけど。 でも、自分の信仰がきちんといけば、まぁどなたかのようにパチンコやとか、なんとかいったお風呂など(これはおっしゃってはいなかったが)は行くかどうか判りませんが、社会生活はしていくものだし、美術でも、建物でも、仏像でも、いいと思うのは構わないのではないか。 自分の信仰を真剣に考えることだけは継続。持続。中断すると、持ち直すのが、開始より数十倍たいへん。信仰が基本ですよね。
お礼
信仰が基本であればいいのですね。それを持続していく・・・。 アドバイス有難うございました。
- katyan1234
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問題は何のために行くのか?あなたの心の問題ですね。 僕自身友人と付き合ってくださいと言われれば断りません。 後七五三等も、日本の場合は習慣等ありますのでね。 だめだといえば葬式も無理です。他人家を訪問する場合もお守りもあるしね。 自ら行くことはしませんが、信じていく中であなたの心がイエスに満たされ変わっていくだと思います。 以前は教会に行くべきなのか?パチンコ屋に行くべきなのか? 真剣に悩んでましたね。 変化したのは聖書の言葉と貴方の信仰です。だからダメともいいません。もっと聖書を読みイエス様とお友達になってください。 そうすれば理解できるようになると思う。 真の平安が
お礼
私は、神社やお寺に行くのは「観光」と以前から思っていました。 京都に近いのでお金のない学生のときからよく遊びに行っていました。 ですが、信仰となるとキリスト教を選びました。 アドバイス有難うございました。
- michael-m
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キリスト教と言っても多くの宗派があります。 カトリックや多くのプロテスタント。キリストの名を持っているのを全てキリスト教と言うなら、亜流(モルモンなど)もあります。 それぞれに解釈が違う上に、神父、牧師や伝道師など指導者によっても解釈が多少異なるので、直接問うのが一番です。 私はカトリック、マリア会ですが、私が洗礼前に習った解釈は以下の通りです。 神社仏閣の観光は全く支障がありません。 結婚式や葬儀などは、その人のためのものであり、宗教と関係なくOKです。但し「常に心では神に祈りを捧げなさい」と教えられました。 「十字架も神社も仏前も人、或いは神に心を繋げる為の象徴でしかありません。十字架や神仏を表した物体、そのものを崇拝するのは偶像崇拝になります。」 「他の宗教の信仰の対象を否定する必要はありません。他の人が尊敬する人(神とされるもの)は尊重し、敬意を払いなさい。しかし、その対象が正しく人を導けるよう、私達の主(神)に祈りなさい」 という事を教えられました。
お礼
私はプロテスタントです。洗礼前にちゃんと学んでおきます。 アドバイス有難うございました。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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縁があって、受洗する牧師さんか、神父さんにご相談することではないですか。 キリストもイエス様も、普遍なるかたですから、どこの施設においでになろうと、ご自由でしょう。 でも信仰はいつまでもあやふやでもいけませんしね。 そして信仰というのは、忠実をささげないとね。 そして深め、勉強していくものだしね。 そうであれば、仏様にも神社にも尊敬をはらうことは、いいことでしょう。
お礼
アドバイス有難うございます。 牧師さんにそうだんしてみます。
お礼
とても詳しくアドバイスくださり有難うございます。 私もoozora2000さんの考えに近いものがあります。