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日本人の宗教観に対しての不思議・・??

私の勝手な思いこみかも知れませんが、一部の人を除いて大旨に何故に日本人は特定の宗教を持たないのでしょうか? 例えば観光を含めて、いろんなお寺とか神社へ行って、それぞれにお参りをすることが不思議に思ってしまうようです。 神社とかお寺とか京都・日光のような単に観光としての見学は理解できるのですが、宗教、宗派も違うそのようなところろへ、 決まってみんなお祈り?お参り?をしている姿が不思議でなりません。 クリスマスには教会に行って、お正月には神社に行って・・なんていうことは、信仰を含めて何だか一環した考え、 思いがないように感じてしまったりします。 「勝手でしょ!・無宗教も宗教の一つ・余計なお世話」などということも言われてしまうかも知れませんが、読んでいただけた方の 考え方を少しでも知りたいと思い投稿させて頂きました。 どうぞ宜しくお願い致します。

みんなの回答

  • cb1300p
  • ベストアンサー率24% (29/120)
回答No.16

無宗教で良いのですと言いたいですが宗教の自由ありますので難しい ですね。特定の宗教に洗脳されてしまう方が実は非常に恐ろしい事で 争いも生まれます。歴史上宗教思想の違いで何度も戦争も起きてます。 神社、お寺、お墓など確かに色々な宗派の場所で手を合わせてますね。 でも大半は無事に過ごせたらいいなとか共通する願いで手を合わせま す。神々が本当に居て信じきり願う訳ではないですし。 弘法大師、日蓮、キリスト、その他色々居られますが架空の人物では 無いにせよどの宗教も神様が何かなさるのかと言うと何も神様が特別 奇跡を起こすなど皆無です。今現在も宗教思想で戦争してるアメリカ とイスラムを見て無宗教だから冷静に見れ愚かだなと思えますし。 厄除けしても厄来てます。実際川崎大師の交通安全祈願帰路交通事故死 もあるんです。厄除けして大丈夫、その心の隙でしょうね。 某○○○会(超有名)では何故か入信してる家系に癌や頭の病多いんで すよ。自然体で生きるのが精神的にも肉体にも良いので入信してお布施 無理してまでやり日々の暮らしまで捧げると良くない結果だろうと思い ます。亡くなった方を偲び思うに宗派は関係ないはずですし特定の宗教 でなければならないと言う方が本来間違いなのです。神社は神社の良さ 寺はまたそこの良さもあり無宗教の方が縛られず見れるので不思議では ないんです。クリスマスやバレンタインに大騒ぎはちょっと疑問です。

noname#105938
noname#105938
回答No.15

宗教の本質というのは「現実生活をよりよく生き、生きている今、幸せになる」というものです。 お釈迦様は「寺院や神社にいき、お賽銭をいれなさい」なんて教えは一回も説いたことはありません。 「ひとりひとりが今の人生の困難に負けず、幸せになって生きていくこと」を教えてくれています。 他宗教がよく掲げている「死んでから天国に行く」というのは大きな誤りです。お釈迦様もそんな教えを説いていません。 簡単に言えば、初詣やクリスマスなどは、神社や寺院の「金儲け」をさせていると思ってください。なので、おみくじ賽銭は何のご利益もないのです。 なので正しい見地からすると、京都の五重塔、立派な寺などは全く宗教的な意味はありません。それはただの観光地で、宗教などとは全く関係ない政治の力を人々に見せ付けたと思ってくれれば理解できると思います。 そして人々は無知です。特に日本は西洋のカッコいいロザリオ、教会きらびやかなクリスマスなどを楽しんでいますが、キリスト教が賛美歌を歌って聖書を拝読している、コレだけです。 「一貫した考え」がないのは単なる人々の無知だからです。 ひどいところには便所にも神。確かに神がいないとは限りませんがたいした力はありません。 大会社の社長を「釈迦」でたとえると、「神」というのは平社員です。たいしたことはできないのです。 イスラム教、キリスト教など布教のためには戦争をも辞しません。 人間の命を無視した低い考えの宗教の証拠です。 「お釈迦さま」という存在を無視した、行動なので日本の国に良い事があるわけがありません。 宗教の教えの間違いが日本の社会の「自殺」を多くしている原因だとも言われています。信じる宗教の間違いによって幸せが決まります。 釈迦の教えを脈々と受け継いだ日蓮聖人の法華経しか今の混沌とした世にはつける薬はありません。 確かに観光などでお寺めぐりなどがありますね。「楽しむ」という意味ではいいと思っています。 しかし信仰をしても、たいしたご利益はありません。 神道の中心「天照大神」がいますが、その神は日本を守る役目をしています。しかしこの日本・・・守られているように思いますか? そうです。いま、日本に天照大神はいません。みんな間違っているからです。 「現在の人生をよりよく生きる宗教」をみんな一貫して保てば、天照も出てきます。 私もぜひともみなさんが正しい教えを持って生き、日本がいい国になってくれればと思っています。

回答No.14

私は日本人の信仰感はこれで良いと思います。 多くの人々は生まれたらお宮参りと称して神社やお寺に生き、結婚式はキリストで行い、死んでしまったらお寺さんにお世話になる。 それと困った時の神頼み。 だから宗教戦争なんて起こるわけがない。 これでOKと思います。

回答No.13

日本の最も主な宗教は、八百万の神というたくさんの神を信仰する一つの宗教(神道(しんとう))で、 たくさんの神(勉学の神、健康の神、雨の神、晴れの神など)がそれぞれ「担当」を持ち、共存共栄する宗教です。 この宗教においては、自然の神、キリスト教の神、イスラム教の神も、全て神です。 海外に多い唯一神(一神教)や全知全能という考え方からすれば、 複数の神が存在するというのは不思議に思われると思いますし、 他人の存在を認めるというのは、非常に難しいというか、自分の信仰に反することだと思いますが、そういう宗教もあると言うことです。 あと、もう一つの仏教ですが、これは神(神道)ではありません。 神は自然の成り代わり、仏は人間の成り代わりで、仏教における死後の世界は、たとえるならパラレルワールドですね。 人が死んだら、パラレルワールドにいる神や仏(他の死者)と一緒に暮らすことになる、というのが仏教です。

  • kametaru
  • ベストアンサー率14% (339/2313)
回答No.12

古来から治癒神と言う考え方が希薄なのではないでしょうか。

  • cliomaxi
  • ベストアンサー率33% (2921/8736)
回答No.11

暴論です。 欧米人は信仰していると云うだけで免罪符となると考えている。 対して日本では行いそのものが影響する。 近代になって歴史を学ぶようになるとユダヤ教、キリスト教、イスラム教は元を同じとするもずっと争い続けている。 地方の「神」を配下に置き、自らを唯一神とし、それまでの神を「天使」に格下げ。 これは地方の「王」を配下に於いて「豪族」に格下げした「天皇」と類似している。 客観的に見ると辻褄が合わなくても地球の誕生は数千年前であるとか、絶滅生物の化石を神がそこに置いたと完全に進化論を否定していると言った矛盾だらけの一神教に冷めてしまったのではないでしょうか。 因に私はフライングスパゲッティモンスター教徒です。

回答No.10

こんにちは。 自分(日本人の一人)が思う、 自分には背負う山と向かう海があります。 山には、いろいろな物事を吟味する力があり、落ち着く力があります。 海には、いろいろな物事を進めていく力があり、駆り立てる力があります。 海と山に、それぞれを思い描いた結果(というプロセス、過程)が、 いまの姿になっているのではないかと。。。 個人のこころのなかで「決して止まらないもの」の世界に、 宗教があるのではないかと、も、一足飛びに思ってしまいます。 宗教と言ってしまえば、 ある一般的に広がる範囲にカテゴリ化されるけれど、 そんなもの範疇では入りきれない世界が 各々のなかに作り出されているのではないかと。 それを人が人をみて、 不思議がるのは当然なのかもしれないし、 妥当というのも当然なのかもしれない。 究極の物質社会が生み出されている社会のなかでの 精神社会の現在の脆弱さと 事によっては途方もない未来の可能性が日本に眠っていると、 思います。 たとえば、欧州人でさえ、 キリスト教を信じる社会を作るには数百年かかり、 その理想郷を追い求めようと(表面的には)するには さらにそれから1000年かかったし、その間でどんな矛盾が起きたか…。 もちろん他宗教でも、 キリスト教と似たようないやまるで違うような判別付かない歴史の流れが今までどれほどの力と知と血を費やしながら、 答えを追い求めてきたのだろう・・・ という問いかけが、 おそらくひたひたと知識の中で眠っているから。 日本人には、 そんな一刹那では、 「宗教」を語りきれない領域を感じているのではないかと思います。 もちろん、語りきれる!と思う人たちがいるのも確かだし、 渾然一体となって、蠢き、命も失うことがあり得る、テーマかなと。 不思議なテーマですが、こうして日本で生活してるので、考えたいですね、これからも。

noname#107500
noname#107500
回答No.9

元々、日本人あたりは神道だからじゃないでしょうか。 あ、明治以後のインチキな国家神道とはちがいますよ。

  • juyjuy
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回答No.8

キリスト教国の(特にカトリック)人でも神社、お寺といった宗教的に「聖」とされているものや場所ではその人なりに「聖」なるものに対する態度をとるのはごく普通の事です。京都、奈良、鎌倉で外国人の観光客にに聞いてみてください。 No.3様の回答にもありますように質問者様が心配されているほど、外国人の信仰が深いわけではありません。 日本人は2000年も前からアミニズムの信仰から、道教、仏教さらにキリスト教・・奈良時代に中国から景教というキリスト教が来たという説もある・・これもカトリック、ロシア正教、プロテスタント、無教会主義に至るまで次々と新しい宗教にとびついて行った歴史があります。 国家神道はちょうど奈良時代に国家仏教を作ったのと同じです。(権力が作ったと云う意味で・・) 宗教はもともと権力側と被支配者側がお互いに自分の立場にいいように創り上げてきたものです。時代によって宗教の値打ちもころころ変わります。 最近読んだ本の中に質問者様の疑問に答えられる内容のものがありましたので紹介させて頂きます。著者は学者ですがこの本ではこの質問箱のレベルの人なら十分わかる易しい言葉で書いてありますので是非お読みください。 新潮新書 日本辺境論 内田樹 この本は思い切った仮定から論理を立てていくので面白いですよ。

  • the-ugly
  • ベストアンサー率21% (39/180)
回答No.7

#6、補足です。 日本は宗教との関わりが希薄だったという意味では決してありません。 近世からの短い期間に宗教が形を変えたり入れ替わったりしたことが大きいと思います。 中国の例を出されている方がいますが、それは一般的な例ではありません。 おそらく世界でもっとも無神論者の割合が多いのは日本と中国です。 中国の場合は共産主義革命の影響です。 豊かになった国々では、無神論者が爆発的に増えています。 そういう意味では日本は世界のトップランナーです。

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