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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:空(くう)について)

空について

このQ&Aのポイント
  • 空について理解がないため、説明をお願いします。
  • 物事の認識は経験則や概念によって行われています。
  • 空の存在について疑問を持っています。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#189751
noname#189751
回答No.5

こんばんわ。 空の解釈ほど分かりずらいものはないですね。 試しですが、以下のように解釈してみました。 ご参考にしてください。 「空」という一字の意味を、分けてみました。 空であること 空なるもの 空であること、とは既にご存じのように、全ての現象に実体は無い、という概念です。 空なるもの、とは客観的事実という真実以上のものを指している、絶対なるものを指している、と捉えることができると思います。 前文の解釈は不要だと思われますので、後文についてのみ述べてみます。 その前に一応、事実と真実についての関係を簡潔に記してみます。 事実とは、実際に起きた事柄 真実とは、正確な事実、疑いようのない事実 事実がそのまま真実であるとは限らない 認識における主観と客観が一致するとは限らないからである 事実を主観的事実と、客観的事実とに分けるところに真実は明らかとなる 正確な客観的事実をもって、真実とするのが一般的である 留意すべきは、心の真実というように、感性的心情を含めた認識を人間性の表れとして見失わないことである 上記の、 事実を主観的事実と、客観的事実とに分けるところに・・ というところから入りたいと思います。 般若心経に説かれている 五蘊皆空の五蘊ですが 色受想行識の色とは、物質的現象であり、客観的事実に相当します。 受想行識は、精神的現象であり、主観的事実に相当すると思います。 五蘊皆空とは、これら全てが「空」であるという事です。 この「空」は、実体が無いという否定的な概念に留まるものかどうかは、その後に続く言葉によって示されていると思います。 色不異空、空不異色 色即是空、空即是色 色と表された現象と、空と表されたものとの照合のようです。 般若智といわれる深い直観的な智慧による照合の結果を表していると思います。 不異とは、異ならずという意味で、まだ概念的結果を残す照合の段階を示していると思います。 即とは、そのまま、完全な一致という意味で、概念すらない完璧な照合の終り・結果を示していると思います。 以上からですが 客観的事実も主観的事実も 全て 「空」そのものである となると思います。 客観的事実を真実と置き替えれば 真実も 全て 「空」そのものである となると思います。 「空」というものが、実体が無いという概念でしたら、真実には実体が無いということになります。 概念は真実を否定できない、とするならば、この解釈には無理があります。 「空」というものを概念ではないとするならば 真実も 全て 「空」そのものである、とも言えますし、 「即」という完璧な照合の成立も有り得ると思います。 是故空中、空の中において、とあるようにこの言葉も「空」が概念ではないことを示していると思います。 では、概念ではない「空」とは、どのようなものなのでしょう。 事実から真実へ、そして真実以上のものとは・・ それは「絶対」と言うべきもののように思います。 それならば 真実は絶対に異ならず、真実はそのまま絶対である となると思います。 「絶対」とは、最終的である、という意味ならば 「空」とは「最終的なるもの」となると思います。 絶対という、最終的なるものとは・・何でしょうか・・ 般若心経では、それを直接言っていないと思います。 空海の著わした、般若心経秘鍵の中にその記述があるようです。 それは「源初」と記されています。 「源初」にして「最終的なるもの」 空を絶対として捉えるならば、そうした表現も適切ではなかろうかと思います。 以上、ご参考にしてください。

その他の回答 (11)

  • kanto-i
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回答No.12

お礼ありがとうございます。 龍樹の縁起と空の関係を解説ということでしたら、この質問は一旦閉めて 新たに質問を上げられたほうが、多くの人の目に付きやすいと思います。

回答No.11

『空』は知的理解では獲得出来ない『体験の世界』の事です。もし言葉で表現したとしても、その経験を持っている人達の、暗号に似た『もの』になる筈ですが、言葉で表現する事は出来ます。 但しその経験とか体験が伴わない場合では『言葉遊びになってしまって、ちんぷんかんぷんなものになります。』が言葉で表現してみます。 その前に人間の思考方法のからくりを先に書いてみます、このからくりは『感情や考えが、沸き上がるからくりと性質を一つのものとしています。』このからくりが分かる事が『空』を理解する一つの手立てです。又この体験を禅宗では『見性体験』として一つの目標にしています。 キリスト教に於いても『神との和解』としており、その体験以後では『神の僕となる』という表現方法を取る事によって『自我意識がでしゃばる事が無い生き方をするようになります。』 どちらにしたところで『心的な内容は同じです。』自分の自我意識が、『自分自身の命を働かせている意識』=『自分の命(の源)そのものの意思』と対立や矛盾を解消すると言う意味になる事から、『自分自身の心の内部抗争が収束する事によって』心の中に静かな、争いの無い静寂が訪れます。この境涯が『涅槃』です。 自分の心が(もう一つの)自分の心と争う事がなくなる体験です。 始めにその体験を語っている動画を紹介しますので良く観察して下さい、その後に蛇足ですが少し解説を加えてみます。 『脳卒中、ジル、ボルト、テイラー博士』と検索をしてみて下さい、動画が出てくる筈です。 この中で語られている事が『見性体験』です。 人間に感情や考えが沸き上がるシステムを説明しています。人間の脳内には二つの意識が共存しています。ですがもう一つの意識を実感する事が出来ないシステムになっています。何故ならその意識は『無意識の意識』として内在しているからです。 人間の心は『自我意識』と『無意識の意識』が交替制を取りながら共存しているからです。科学的にその二つの意識を証明している文献がありますので紹介して置きます、脳の機能に関する科学的な証拠です、ウイキペデアからです。 『”ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』 眠る場合で説明すると分かりやすいですので、眠る時を例にして説明します。 誰でもが『自我意識が眠っている』と錯覚をしていますが、自我意識は眠る事はありません。人間が眠る時『自我意識は、無意識の自分と交替しています。』その交替が完了した時点が眠った時です。 従って『自我意識は』無意識の自分に『身体と心を預けた事を知りません。』意識が無くなった時を意識できないからです。 ここのところの違いを『精神科医達は知りません』自我意識が眠る事が出来ない事は、自我意識には機能的に眠る機能が備わっていないからです。無意識と交替出来ない事が『不眠症の原因です。』が精神科医でさえもこの事実を知らないで、専門家として治療をしています。 見性体験以後では、こう言った事実に気が付きますので、自分の実態は『空』や『無』と言う表現になります。 『自分の命の働き』と毎日何百回も脳梁の中(意識の根底)で出会って相談しながら出番を相談して決めています。もう一つの自分の心と出会った時『今更お前は誰かと聞く必要など無かった』と、その体験をした人達は語っていますが、なるほどとうなずく事が出来ます。 生まれた時既に『備わっている働き』が右脳の意識=無意識の意識です、赤ん坊が既に持っている機能が『それ』です。 『それ』は『生命の発生装置兼生命の維持装置』としての機能です。 『それ』は大別するなら『身体の生命維持機能』と『行動の自在性に付いての生命維持機能』と『沸き上がる考えや感情に付いての生命維持機能』です。 『身体の生命維持機能』としての自分と自我意識の交替制が崩れた場合に、自律神経失調主や過敏性腸症候群や難治性の心身症と定義しています。 『行動の自在性に付いての生命維持機能』と自我意識の交替制が崩れた場合に『神経症』と定義しています。 『沸き上がる考えや感情に付いての生命維持機能』と自我意識の交替制が崩れた場合に『心を病む』と定義をしていますが、この場合では『沸き上がる考え』と『沸き上がる感情』と二つに分かれてゆきます。 又これらの境目が無い事から、複雑に絡み合いながら症状が展開していますが、原因は『心の矛盾や対立』ですので、身体や脳の機能的な検査では『異常なし』となっています。共通した訴えは『漠然とした不安感』と『生き難い想い』 つまり『意識地獄』と言う状態になっています。無意識の自分からの交替要請がこう言った『漠然とした不安』となっています。 貴方が見性体験をお望みなら、その方法はジル、ボルト、テーラー博士の動画を良くみて下さい、『自我意識が全てを諦める瞬間があります。』是が『我をされ』と釈迦が言ったことです。全てを捨て去った時『全てがその手の中に満ち満ちている。』と言う意味です。 或いは禅問答を解く事です。禅問答は『左脳の分別脳では解けない仕組みになっているからです。』左脳的な考えを全て捨て去った時『右脳の意識=命の働き』が全面的に登場してくるからです。 その出会いによって、自分の生命は、見えている体だけで構成されているだけではない事を体験します。この体験によって『価値観に革命が起こります。』 不安や恐怖に対する価値観が一変します。『心の革命』とも言える体験です。生死の問題が解決すると言う事を意味します。

  • dropyork
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回答No.10

問題があります。 ブッダが唱えたものなのか、弟子が唱えたものなのか。 ブッダと弟子は、理解度が違う。違うでしょうか。これがわからなければ、迷宮です。 思うに、弟子だと、ソクラテスの洞窟の比喩程度でしょう。これでも、実地に知るのは難解です。 ブッダだと、どうでしょうか。教えません。ブッダではないし。

  • kanto-i
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回答No.9

空は、器を考えるといいと思います。 器は基本、何を入れてもいい。 ラーメンでも親子丼でも入れたものが入っています。 人間の体も器みたいなものです。 自分の中に、何を入れているか。 脳に入れるのは、形の無いもの(つまり情報)ですが 入れたものだから、それについては後からでもどうにでもなるフレキシブルな所が多い。 その為には、知識が必要は必要ですが。 パソコンと同じで、訂正なり情報を増やすなり減らすなり 本当はできるという事を知ることができます。 人間は、生まれたときから死ぬときまで器で有り続けます。 その人が自分をどうしたいかが、どうなるかの一番の決めてだという事を知るのが 「空」と言う理論概念かなと思っています。 入れ物あっての中身が空。 あるわけではないが、ないわけでもない。 それを受け止めるものがあっての、存在が確立できるようなもの。 丼の内側の空間みたいなものです。

sankasetsu
質問者

お礼

皆さん、沢山のご回答ありがとうございます。 kanto-iさんへのお礼の項目をお借りしまして、皆さんにお礼申し上げます。 正直申し上げまして、未だにこれだというものは自分の中で得られておりませんが、みなさまの回答により空に対する考え方が少し変わった気がします。 今現在、私は仏教を時代を追って勉強しており、龍樹の、空に基づく八不による縁起の解説や空・仮・中というものが本に記載されていたのです。ですが、さっぱりわからず、そもそも空とは何であるのかという質問をした、というわけです。この龍樹の縁起と空の関係を解説して頂ける方がいらっしゃいましたら、大変ありがたいです。お礼とお願いになってしまい申し訳ございません。

  • ri-zyu
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回答No.8

動物の心、赤子の心は「空」そのものです  概念化しません、分別しません、性格には出来ません  分別で「空」を掴もうとしても理解しようとしても無理です。

noname#210533
noname#210533
回答No.7

私は、一人の愚か者に過ぎません。 つつましく、ささやかな人生を終えて この世から、私の身体も心も消滅するでしょう。 わたしがいなくなった日の次の朝、いつものように カラスはゴミ袋をつつき回し、バス停では通学中の 学生さんや、出勤途上の会社員が並んでいるでしょう。 私がいなくなって心を痛めてくれる家族も、これから 始まる一日のスケジュールをこなすことに集中しようと しているでしょう。 世界はいつも通りに、何一つ変わらないありふれた 一日が過ぎていきます。 私は、そこにはいない。 今はいるけど、今以外の時間軸に、私は、いない。 おとぎ話の登場人物のように、誰かがふと夢想した 物語の中の人のように。 まず、それが一つの、そして全ての、「空」ではないかなと あなたのご設問を見て、ふと 夢想いたしました。

回答No.6

 回答No.5、about72さんの回答に刺激を受けました。  空、とは“実体”と云うものがない、と云う事だと思います。  実体、という言葉に対応する言葉として変化、を思い付きました。  変化し続けているので、“実体”と云うものを掴めない。掴んだと思ったそのものはいつの間にか変化して別のモノになっていた。  掴もうとしていたものとは違う。  と、考えて見ました。  我々の此の世は、一時も休むことなく変化し続けています。自身の肉体もそうですし、心なんてそれこそ自身を否定されて怒りを感じたかと思えば、自身を受け入れれば即、喜びに変わります。    こうした“変化”するこの世(物質界)のことを実体というものがない、と云う意味で「空」と表現したのではないでしょうか。  色、は空、である。  と、言うときの「色」は物質界の我々の住む世界のこと。  このわれわれの物質界=色は空である、と。  色即是空。空即是色。  これに対して、実体とは変化しないモノ。  存在し続けるもの。  我々の宇宙は存在し続けています。宇宙の内容は変化しながらも“存在し続けている”という、この宇宙そのものを「実体」と云っているのだと思います。  この宇宙の中の“現象(ビックバンとかブラックホールとかも)”は空であるけれどもそれらを現象させている宇宙そのものは存在し続けていて(継続=不変)だからそれは実態と云える、と。  こんなふうに考えて見ました。    

回答No.4

パーキングで車が止められるときの表示が 空 です。 止められないときは 満 が表示されます。

回答No.3

西洋哲学系の「存在と認識」ないし「存在論と認識論」ないし「存在論的と認識論的」といった概念から、東洋思想的な「空」という思想・概念へと思索しようとしておられるようですね。。。 そちらからのアプローチであれば、「・・・「「そのように考えている私」の存在」を認識している私」の存在を・・・」という無限ループを少しばかり考えて見られるとわかりやすいかもしれません。 通常西洋哲学的には「われ思うゆえにわれあり」なので、「何かはあるじゃん」に陥るところに相当します。 ただし、西洋哲学的には、前提条件として「存在と認識の同時性」という概念が背景に付きまとっています。 「空」は時間軸を超越した概念(時間という枠組みに縛られない思索)だと思えば、理解しやすいと思います。 「今・ここ」に存在しているけれど、「数億年後ないし数億年前には存在しない、ないし、存在していなかった」にもかかわらず、そういった変化全体の内部にある(存在する)ため、「今・ここ」にこうして存在しうるのだと認識しうる。。。そういった概念が近いと思います。 もう少し突っ込んでいうなら、西洋哲学的な概念よりも西洋科学的な「時空概念」--- 空っぽではない、時間軸方向の変化を含めて(存在するなら精神・魂としてとらえうるものも)全てが詰まっていて常に変化し続ける時空、ビッグバンで生み出される以前の状態を含めての全て --- が「空」により近い概念だと思われます。

回答No.2

空は諸行無常と同じです。 貴方が「今、此処に、我が」見たと感じる現象・物体は、すでに「今」ではなく、「此処」でもなく、「我」も変わってしまった。 それが諸行無常。 だから、貴方が観たり、感じたりする物・事は、空。