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ぼんくら上様の意地
書物を読むと、徳川慶喜公は多種多様の女が好きで用意させ、毎夜絶倫のごとく、いそしんだというが果たして何人の女をてごめにして孕ませたのだろうか?勝海舟よりも多いのだろうか?
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慶喜は10男12女をもうけています。 さすが元は将軍様だけのことはあります。 正妻以外の妾は5人とされていますが、 当時妾と言うのはちゃんとその地位を認められた存在ですから 地位を認められていなかった女性については不明です。 ただ、そういった妾ではない女性には子を生ませてはいないようです。 なお子供を産んでいない妾の一人に新門辰五郎の娘がいます。 一方勝海舟もなかなかのもので、4男5女をもうけました。 正妻の他の妾は5人です。 ここでもそれ以外の女性については不明です。
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- kurikuricyan
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回答No.2
慶喜公のお妾さんが生んだ子供は、どの子も、「自分の母親は?」といったことには 無頓着だったそうで、子供達は、実の母親を含め、他の妾もすべて名前で呼び捨てにしていたそうです。 女は「借り腹」を地でいく話ですね。 正妻には、子供はいませんでした。 夜のお務めや、お風呂の世話(体を洗うとか)は、ローテーションを組んでいたそうです。 お妾さん同志も、とても、仲がよかったそうで、ヤキモチとかはなかっそうですよ。
質問者
お礼
ここまで来ると、一夫多妻(酒池肉林)+プラチナスペシャルコースになって、どこぞかの国王と同じでバラ色ユートピア家庭環境ですな、どうやらこの慶喜公、32歳で将軍職を辞すると77年の人生を終えるまでプラチナライフフォーエバーを堪能したようです、サンキュー。
お礼
おお!やはり上様と勝は女漁りを競争していたか、それにしても上様の孕ませ方は凄い、新門辰五郎の娘をも孕ませた事も十分考えられますな、ところで昔のギネスブックに(38人を生んだブラジルの母)という子供全員と亭主全員の写真が掲載されていたがあれも凄かった!サンキュー。
補足
勝にも女は常時10人くらいは居て、慶喜公を意識して競っていたが、要領の良い勝はやがて何と!孫娘に慶喜公の十男、精(くわし)を婿に迎えて姻戚関係を結ぶ・・50代の頃、日光東照宮の宮司職にあった会津中将松平容保は少なからず慶喜・勝の生活状況は耳に入っていた事だろう、徳川宗家に忠誠を尽くした生真面目な会津中将の胸中はいかがばかりであったのだろうか・・(勝の事などどうでもよいが、慶喜公にあまりにも肩入れし過ぎた俺がバカだったのだろうか?)とでも思っていたのだろうか。