イメージでない「表象」の意味
「表象」については、過去に、何度も質問があったようですが、未だに混乱しているので、教えてください。
私の勘違いかも知れませんが、「表象」という言葉は人によって、かなり幅を持った解釈がなされているように思います。そこには、大きく分けると、以下の2種類があるように思います。
(1)何かのイメージ(像)
(2)何かを代表する表現
私としては、(1)は非常にわかりやすいように思います。(1)の具体例は、以下のようなものだと思っています(もし、間違っていたら、教えてください)。
(1)の例: 目の前のリンゴの像、子供の頃の思い出の景色、夢の中の友人の顔、空想で描く宇宙船、幾何の問題を解くとき描く、頭の中の三角形や円。
これに対し、(2)が正確に何を意味しているのか、今ひとつよくわかりません。どなたか、(2)の正確な定義とその具体例を挙げていただけないでしょうか?
例えば、私としては、次のようなものが(2)の具体例なのかなぁと勝手に考えてみました。この考えでよいでしょうか?
例1:「小泉劇場」という言葉
この言葉は、小泉純一郎独特の政治手法を代表した表現だから「表象」
例2:「格差社会」という言葉
この言葉は、現在日本のある側面をある視点から見たその見方を代表する言葉なので、やはり、表象。
例えば、このように考えたときの私の疑問は、そもそも、全ての「言葉」は何かを代表しているのではないかということです。すなわち、あらゆる言葉、あるいは、もう少し限定すれば、あらゆる「名詞」は全て「表象」ということになってしまわないのかという疑問です。
そうなると、上述の(1)と(2)を合わせると、意識に上るありとあらゆる全てのものが「表象」だということになってしまわないでしょうか?これが、私の最終的疑問です。
お礼
すいません。戴いたリンクでは歯が立ちませんでした。 ベルクソンいわく、自身の語るイマージュは、観念論者の説く表象よりも強く、実存主義の主張する事物よりは弱い、とか。 難解な用語のようですので、喩えなど用いていただけると助かります。