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秀吉の朝鮮出兵は誰が一番兵を出したのか
タイトルのままです。 文禄の役・慶長の役、合わせてでお願いします。
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毛利家です。 ○「文禄の役」で1万人以上出して率いた武将を抜粋しますと・・・ (1)毛利輝元・・・3万人 (2)鍋島直茂・・・1万2千人 (3)島津義弘・・・1万人 (4)宇喜多秀家・・・1万人 (5)小早川隆景・・・1万人 (6)加藤清正・・・1万人 ○「慶長の役」では・・・ (1)毛利秀元・・・3万人 (2)鍋島直茂・・・1万2千人 (3)島津義弘・・・1万人 (4)宇喜多秀家・・・1万人 (5)小早川秀秋・・・1万人 (6)加藤清正・・・1万人 文禄・慶長両方とも、毛利家が3万人出していて断トツです。 この数字は1924年に出版された日本軍参謀本部編纂の「日本戦史・朝鮮役」からのものです。 ちなみに秀吉の出した「高麗陣陣立書」(誰がどれだけの兵数を出し第何陣になるかが書かれたもの)が現存しています。 下に貼ったのがその「秀吉高麗陣陣立書」・・・慶長の役について書かれたもので、神戸大学付属図書館からの画像です。 http://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/27010047.html
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- buchi-dog
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具体的な資料を持っている訳ではないですが、毛利家(小早川・吉川を含む)でしょう。 大名への軍役(1万石あたり300人、と言った要領)は、「戦地に近いほど大、戦地から遠いほど小」となります。 例えば、豊臣政権の九州征伐では中国と四国の大名の軍役が大で、北条征伐では徳川家や上杉家の軍役が大でした。 朝鮮征伐の場合は、九州・中国・四国の大名の軍役が大となったはずです。 そうなりますと、中国地方と伊予や筑前に120万石+小早川領(30万石程度)を有する毛利家の出兵数(石高x軍役)が最大となります。 なお、島津家は、豊臣政権下での石高は56万石でした。他の九州や四国の大名は、島津より石高が小さくなります。 徳川家の石高は250万石ほどですが、朝鮮に兵を送っておりませんので対象外です。
お礼
詳しい内容ありがとうございました。 参考にします。
お礼
参考にしますありがとうございました。